私の読む「枕草子」 279段ー最終段
子の二刻から丑の一刻までの間半夜の導師の読経を聞いて夜中も過ぎた頃に退場したであろうよ。
毎日降っていた雪は今日は止んで、風が強く吹いたので、つららがひどく垂れ下がり、
地面などはまだらに白い所が多いのだが、屋根の上はどの家も一帯に白いので、粗末な田舎家も雪に皆顔を隠した状態で、有り明けの月がくまなく清んで、大変情緒がある。粗末な家でも銀ででも葺いたような所に氷柱が水晶の滝と言いたいような形で或いは長く或いは短く、わざわざ架けたように見えて、口に出しては勿体ないぐらいな景色の中に、下簾なしの車が簾を高々と上げているので、月の光が射し込んみ奥まで見える。その車の中に、
薄紅色の七枚か八枚の紅梅襲、その上に濃紅色の至極鮮明なのが、光沢など月光に照らし出されて見事に見える。
その傍らには、葡萄染、固紋の指貫、白い衣を多く着込んで山吹襲・紅などを上着の下から下着の端を出す出衣の様で、直衣の紐をゆるめているので、緩やかに白い衣が肩から垂れ下がり車外にはみ出している。指貫の片方は車の前のかまち(踏み台)までこぼれている。途中で人が出遭ったならば、ああいいと思うに違いない。
月光が明るく照り勝ってくてるので具合が悪く恥ずかしくて、女が後の方にすべり入るのを、男は始終前へひき寄せ、女が月光に丸見えにされて当惑するのも面白い。
「秦甸之一千余里。凛々氷鋪。漢家之三十六宮。澄澄粉餝」
(秦甸(しんてん)の一千余里(いつせんより)、凛々(りん/\)として氷(こほり)鋪(し)けり、漢家(かんか)の三十六宮(さんじふろくきう)、澄澄(ちようちよう)として粉(ふん)を餝(かざ)れり)
倭漢朗詠集(240)、長安十五夜人賦 公乗億
という漢詩を何回も誦(ず)していらっしゃるのは、大変に面白くて、一晩中牛車を乗り回していたいのに、目的地が近くなってくるのが悔しい。
【三〇三】
宮仕えする人々が主家から退出して会合して、各自の主君のことを賞讃申したり、御殿内のこと貴公子方の噂などを互に話し合っているのを、一家の主人として聞くのは興深いものだ。
家が広くて綺麗で、自分の親族は勿論、少し親しくて日常会話をする人、宮仕えをする人、そんな人達を部屋部屋に住んでもらいたいものである。何かの折にはみんなが一カ所に集まって話をして、誰それが詠った歌を色々と批評したり、集まった人の所に来た手紙を見せ合って返事を書き、また、親しい友が訪れてきたときは、綺麗に室内を飾って、雨など降って帰れない時も気持よくもてなし。主家へ参上するおりは心をこめてその世話をし、その人の思う通りにして出仕させてやりたい。
高貴の方の御生活ぶりなどが大層知りたい、それこそけしからん心であろうか。
【三〇四】
見ていて移る、真似する。
あくび。幼子達。
【三〇五】
気の許せないもの。油断のならないもの。
と言っても、立派だと他から言われる人よりも、心に隠しごとを持たない人。舟の航路。
【三〇六】
麗らかな日差しの日に、海がとても凪いでいてのどかで、浅緑の、砧で打って艶出しした衣を一面に張ったようで、すこしも恐ろしい様子などないそんな時、上衣の下に着込む
袙(あこめ)や袴を履いた若い娘、若い侍など艪(ろ)というものを押して歌を多く詠うのは面白い光景である。高貴の方などにもお見せ申したい、と思いながら舟で行くと、風が強く吹いてきて海上がただ険悪になる一方なので、正気もなく、碇泊する予定の所に漕ぎ寄せるその間、船に浪のかかった様子など、ほんのちょつとの間に、あれ程穏やかだった海とも見えないことだ。
思えば、船に乗って漕ぎまわる人くらい、呆れて気味の悪いものはない。一通りの深さなどでさえ、そんな頼りないものに乗って漕ぎ出すべきではないのだ。まして底も分らず、深さは千尋(ひろ)もあるだろうにまあ。沢山の物を積んでいるので水際まではただ一尺程度さえないのに、人夫たちが一向恐ろしいとも思わずに走りまわり、ちょっと間違いでもしたら沈みはしないかと思うものを、大きな松の木の差し渡し二、三尺もあろうかと見える丸太をぽんぽん投げ入れなどするのは大したものだ。
船屋形が有る方で艪を押す。それでも奥の方にいるのは安心だ。端の方で立っている者は目もくらむ気がする。早緒と名づけて櫓とかいうものに結びつけた綱の、まあ弱そうなこと。あれが切れたらどうなるのか。すぐさま海へ落ち込んでしまうだろうに。それさえ決して太くなどない。
自分が乗った船は、きれいに造り、妻戸を開け格子を上げて、そう、水面とすれすれに、下がりそうにもないから、ただ家の小さいのと同じだ。
小舟を見やるのは心配なものだ。遠くに見える小舟は本当に笹の葉で造った舟を水の面に散らしたのにそっくりだ。碇泊した所で一つ一つ船にともした灯はまた、面白く見られた。
「はし舟」という名の特に小さな舟に乗って
漕ぎ回る。早暁などは実にしみじみした感じだ。船の跡に立つ白波は本当に歌の通り次々と消えて行く。沙弥満誓の歌が思い浮かぶ
世の中を何に譬へん朝ぼらけ
漕ぎゆく舟の跡の白波
(世の中を何に譬えたらよいだろう。朝早く港を漕ぎ出て行った船の、航跡が残っていないようなものだ) (拾遺和歌集1327)
高位の人はやはり乗って廻るべきではないと思われることだ。徒歩の旅も亦恐ろしいそうだが、それはとにかく地面に足が着いているから至極頼もしい。
秦甸之一千余里。凛々氷鋪。漢家之三十六宮。澄澄粉餝
八月十五夜の月光にてらしだされた長安のみやこのさま。
都をめぐる畿内千里の地は氷を敷き詰めたごとくさやかに輝きわたり、漢の代以来の三十六の宮殿は清み通って粉粧をこらして冴えている。
秦甸
礼記、王制篇に「千里の内を甸(てん・でん)という」。長安は秦の故地であるから、長安の周囲千里を秦甸といった。
凛々
寒いさま。
三十六宮
文選、酉都賦に「離宮別館三十六所」とある。西都は漢の西都である長安のこと。
澄澄粉餝
明瞭に澄んでみえるさま
(日本古典文学大系 頭注)
海は何といっても大層気味が悪いと思うのに、その上に、海女が水に潜って貝などを捕ることを業とするのは辛いことである。腰に回した緒が切れでもしたら、どうなることやら。せめて男がするというならまだそれでもよかろうが女はやはりいい加減な心ではあるまい。
舟に夫が乗って歌なんか唄って、楮(こうぞう)の皮で作った縄を海女の腰に結びつけて、海に浮べて漕ぎまわるとは、危っかしく気がかりではないのだろうか。浮き上がると言う合図で海の中の海女はその縄を引く、ということである。舟の上の夫があわててその縄を手繰り上げる様子はまことにもっともなことだ。
上に上がった海女が舟の端に捕まって荒い息をして呼吸を整える姿は、ただ見ている人でさえ真実涙が落ちるのに、海女を海に投げ込んで、海上を漂いまわる男のやり方は、目もくらむばかり呆れた次第だ。
【三〇七】
右衛門府の三等官のある男が、つまらぬ父親を持っていて人の手前不面目だと当惑していたのが、伊予の国から都に上るときに、海の中に投げ込んだことを、
作品名:私の読む「枕草子」 279段ー最終段 作家名:陽高慈雨