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私の読む「枕草子」 279段ー最終段

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 翌朝いつもの小廂で誰かが話しているのを聞くと。
「雨がひどく降る折に来た人は、ほんとうに
いとしいものですね。日頃気がかりでうらめレいことがあるとしても。そうして濡れて来たら、いやなこともきっと皆忘れてしまうでしょう」
と兵部が言っている。なぜそんな風にいうのだろう。

そうでもあろうが、しかし昨夜も、一昨日の夜も、その前の夜も、ずっと近頃しきりに顔を見せる人が、今夜もひどい雨にめげず来たというならば、やはり一夜も離れまいと思うのかと、いとしいことだろう。

さらで(さあらで)そうではなくて、畿日も姿を見せず気をもませて日を過ごす、そんな男が。こうした雨の夜に限って来るなんて,自分なら絶対愛情があるとは解すまい、とそう思うことだ。

人によって考えがそれぞれ違うためだろうか。見識もあり分別もある女で、情も解していると見える、そういう人と言い交して、尤も他に幾人も通う先があり、本妻などもあるので、そうしげしげとは姿を見せないが、それでもそんなひどい雨の折などに来たというのが、他人にも評判させ、ほめて貰おうと思う男のやり方ではないか。
 それにしても全然愛情のないような女には、成程どうして真似ごとにも顔を見せようなど思うわけがあろう。

そうではあるが、雨の降るときに、ただもううっとうしく、今朝までは晴れ晴れとした上天気であった空とは考えられない、憎くて、
どんな立派な細殿でも、すぱらしい所とも思わない、ましてそれ程でもない家などでは、ただ早く降りやんでくれと思うだけだ。

 興味のある面白いことや心を揺らす哀れなることもないが、それでいて月が明るいそのことだけは、過ぎ去った日々、行く末まで、ありとあらゆる物思いがされ、魂も身を離れ、素晴らしく、身に沁みることが譬えようもない。

 そんな気持ちでいる夜に訪れてきた人のことは、十日、廿日、一月、もしくは一年も、まして七、八年もたって思い出したならば、本当に面白い気がして、そこがはいることのできない具合悪い所であったり、また人目を憚る事情があるとしても。立ったままでも何か話をしてかえすか、又留まっていいならば引き留めなどもしたいものだ。

 月が明るく澄んでいるのを見ることで、過ぎて遠くなった過去のことなどを思い出されて、思う通りにいかないで惨めだったこと、嬉しかったこと、面白かったこと、そんなことが今起こったように感じるときが他に有ろうか。

 こま野物語はこれといって面白い点もなく、言葉も古い言葉ばかりで見がいのある箇所は多くないのだが、月を見ているうちに昔を思い出して虫食いの蝙蝠扇を取り出して、
 思ひ忘れにける人のもとにまかりて

 夕闇は道も見えねど古里は
   もと来し駒にまかせてぞ来る
(後撰集、十三恋五978)
 と詠いながら思い出しているのも、情けない。

  雨は心ないものと思い込んだせいか、わず
かの間降る雨でも憎い。どんなに大事な儀式、面白いはずのこと、尊くすばらしいはずのことでも、雨が降ればそれだけでつまらなく残念なのに。前の兵部の詞「さてぬれて来たらんは云々」への反駁でもないが、何でその、ぬれて不平を言いながら来たのが素晴らしいわけがあろう。

  交野(かたの)少将をひやかす、落窪物語の左近少将が、姫君に交野の少将の色好みを諷したが、左近少将は雨の夜も通った。面白い。昨夜一昨夜と続けて来たからこそそれも意味があるのだ。左近少将が雨夜に姫君を訪い、水で足を洗った、憎い仕種である。さぞ汚かったであろう。
風が吹き風雨激しい夜に訪問されては、楽しく嬉しくあるのは当然であろう。
 
雪こそ楽しい。
紅の初花染の色深く
   思ひし心われ忘れめや
(初咲きの紅花で染めた色が深いように、深くあなたを思い初めた頃の愛情を私がどうして忘れようか)(古今集723)
という歌を独り言で詠い、人目を忍ぶ場合は勿論、それ程でない所でも、直衣などはいうまでもなく、狩衣の袍や蔵人の青色の麹塵(きくじん)の袍が、冷たそうに濡れたのはなんとなく趣がある。

六位の着る緑色の袍であっても、雪にさえぬれたなら、憎くはあるまい。
昔の蔵人は夜であっても、人を訪ねるときはただ青色の袍を着て、雨に濡れて絞っていたと言うことである。今は昼でさえ着ないらしい。ただ緑衫ばかりをちょっとかけている様子だ。
六衛府(左右近衛府・左右兵衛府・左右衛門府)の役人が着ているのはまして、可笑しいのである。

私がこういうのを聞いて、雨降りには外出しない人が出てくるかもしれない。

月が大変光り輝く夜に、大変に赤い紙に、
源信明がただ、
恋しさは同じ心にあらずとも
     今宵の月を君見ざらめや
(拾遺和歌集787)
とだけ書いた歌を送り、それを廂に射した月明かりに当てて、女が読んだとは面白い。

雨が降ったらそんなことが出来ますか。

【二九三】
いつも必ず後朝の文をよこす人が
「何言っても仕方ない。今はこれまで」
といって、翌日何とも音沙汰がないので、
明ける早々さし出す文が見えないのは、さすがに物足りないことだと思って、
「それにしてもはっきりしたやり方だなあ」
と、言いながら暮らしている。
次の日、大層雨が降る。昼近くまで連絡がないので、
「全然さめてしまったのだわ」
などいって縁の方に坐っていたその夕ぐれに。傘を挿して使いが持ってきた文を、常よりも早く開いてみると、ただ、
「水増す雨の」
 とだけある、何の歌の一部だろう、多く知っている歌よりも面白そうな歌だ。
真菰刈る淀の沢水雨降れば
   常よりことにまさるわが恋
(貫之 古今集587)
雨降りて水まさりけり天の川
    今宵はよそに恋ひんとや見し
(源中正 後撰集227)
こんな類歌があったが。


【二九四】
今朝はそれ程とも見えなかった空が、すごく曇ってきて辺りが暗く、雪が一日中降る時、大層心細く外を見ているうち、見る見る白く積って、その後もひどく降る、そこへ随身らしくすっきりした男が傘を挿して、脇の方にある塀の戸口から入って、文を差し出したのは見ていて感じよかった。

真白な檀紙や白の色紙の結び文にしてある、その上にすっと引いた封じ目の墨が、書くとすぐ凍ってしまったので末が薄くなっているのをごく細くに巻いて結び、巻き目はこまかく折り目がついてくぼんでいる。その文は、墨を黒く、薄く、行間も狭く裏にも表にも書きちらしてあるのを、裏返してゆっくりと読むのを、他所から何が書いてあるのかと気にして見ているのもいい感じである。

まして微笑して読む所は、大層見たい気がするけれど、遠くにいた場合は、黒い文字などだけが、それかと思われるだけで読めはしない
 
額から左右に分けて頬(ほお)から垂らした髪が長く、顔だちのよい女が、まだ暗い時分に手紙を受け取って、火を点すのももどかしく急いで文を開いて、火桶の赤い炭を火箸に挟んで、危なっかしい姿で読んでいるのも趣があって好い。

【二九五】
威儀正しい様子。
 近衛の大将が先払いをしているさま。
孔雀(くぎ)経の御読経会。
御修法。御七日御修法のこと。宮中で毎年正月八日より七日間、玉体康寧。国家安穏を祈る秘法。