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私の読む「枕草子」 279段ー最終段

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【二七九】
とうときこと。
九条の錫(さく)杖。一名「錫杖経」と言われている。一条を誦する度に錫杖を振り、
錫杖の頭部に取り付けた環が鳴り響いて、一切衆生菩提心を起し諸仏亦成仏するという。
錫杖は僧侶や修験者が持つ杖で頭部に数箇の環がつく。
念仏のあとに唱える回向文。法会の終りに、その功徳を自他の成仏や往生、死者の成仏などに巡らし向ける意を表すために読誦するもの。

【二八〇】
 歌謡は風俗歌。中でも、「杉立てる門」
古今集(982)
わが庵は三輪の山もと恋しくは
    とぶらひきませ杉立てる門

梁塵秘抄(456)
恋しくはとうとうおはせわが宿は
   大和なる三輪の山もと杉立てる門
 などがある。

内侍所の御神楽にうたう歌謡もよろしい。
神楽歌。催馬楽・朗詠等古典的な歌謡に対し現代風の歌謡、今様歌は、節が長くて曲節がある。

【二八一】
指貫は、濃い紫、萌黄(もえぎ)。大変に暑い頃の夏虫、蝉の羽の色は二監の色。青蛾の色は瑠璃色、涼しそうである。

【二八二】
狩衣は、香染(こうぞめ)の薄色のもの。白いもの。
略儀の用にする白い袱紗。赤色。松の葉色。青葉。桜襲。柳襲。青い。藤襲。
 男はどんな色の衣を着たのか。

【二八三】
 男子の正装で下襲の下(袙を着る場合はその下)に着用するひとえの衣は、白色。
 正装すなわち束帯姿の紅の単衣の袙などは
仮に着るのはよい。されど、やはり白いのがよい。黄ばんだ単衣を着る人などは、とても気に入らない。白絹を練って糊をとり淡黄色
とした衣を着るが、やはり単衣は白がいい。

【二八四】
下襲は、冬は躑躅(つつじ)表蘇枋、裏紅打(べにうち)。桜。掻練襲、表裏共に練った紅。蘇枋襲(すほうがさね)、表は白の瑩(みがき)。夏は二藍。白襲。

【二八五】
扇の骨は朴の木。紙の色は赤、紫、緑。

【二八六】
檜扇は無紋か唐風の絵。

【二八七】
 神社の祭神。松の尾神社は山城国葛野郡、祭神は大山咋命・別雷神。
石清水八幡宮はこの国の帝であらせられた
応神天皇が祭神で有り難い。行幸の歳には葱花輦(そうかれん)の輿で行かれる。目出度いことである。

大原野神社は山城国乙訓郡大原野にある。春日社藤原氏の氏神で目出度い。
山城国葛野郡の平野神社は、使ってなかった家を
「何をするところか」
と、尋ねたところ、
「御輿宿(みこしやどり)」
 と答えられた、有り難いことである。
 神域を周る齋垣(いがき)に蔦が多くからみ付いて様々に色付いているのは、紀貫之の
ちはやぶる神の斎垣にはふ葛も
     秋にはあへず移ろひにけり
(たけだけしい神の威光に守られた神社の玉垣に這いかかっている葛でさえも、秋の力にはかなわないで、すっかり色づいてしまったことだ)(古今集262)
を思い出されて、いつまでも車を立てて(停車)いたことだった。

みこもりの神。みくまり(水分)の神。名前が可笑しい。賀茂、稲荷さらに面白い。

【二八八】
御崎は、近江国滋賀郡、琵琶湖の唐崎。
 出雲国美保の関。駿河国三保が崎。

【二八九】
 建物は、葦・茅などでかりそめに葺いて造った家「まろ屋」
 棟を設げず四方葺きおろしの簡素な建物、
「あづま屋」

【二九〇】
 禁中で夜警の武士が時刻を奏上する「時奏(じそう)」は実に面白い。凍てつくような寒い夜中には、ごほんごほんと咳つきながら沓を擦りながら来て、弓弦を鳴らして悪魔をよけ、
「何の何がし、刻丑の三刻(午前三時)、子四つ(午前一時半)」遠方まで聞こえるような声でいうと、巡回を証明する刻の釘を刺す音が、大変に楽しい。亥の一刻から寅の一刻まで一刻毎に行う。(清涼殿の殿上の小庭に時の簡(ふだ)があり、一昼夜十二時の四刻毎に木釘をさす)
「子九つ、丑八つ」鼓で時を報知すると里の人は言う。どんな場合も第四刻にだけ、時の簡を刺すと決まっていた。


【下襲】したがさね
 公家衣服の一種。束帯の半臂(はんぴ)の下,または直接に袍(ほう)の下に着る垂領(たりくび)で身頃二幅仕立ての腋(わき)あけの内衣。平安時代後期以降,衣服の大型化,広袖化とともに下襲の後身の裾(きよ)(尻(しり)ともいう)が非常に長くなった。947年(天暦1)に下襲の長さが,親王は袍の襴より出ること1尺5寸,大臣1尺,納言8寸,参議6寸としたが,1212年(建暦2)には大臣1丈,大納言9尺,中納言8尺,参議7尺となった。


 延喜式によれば、鼓で時を報知するのに子牛の刻は九つ、丑未は八つ、寅申は七つ、卯酉は六つ、辰戌は五つ、巳亥は四つ打つ。


【二九一】
うららかな日の昼頃、または、夜が深く更けて子の刻になった時分に、もうおやすみになったかしらなど拝察するに、
「蔵人を呼べ」
 と呼ばれるのは結構なことである。
 夜中に、帝の笛の音が聞こえる、大変に有り難いことである。

【二九二】 
源成信(なりのぶ)中将は、村上天皇の皇子致平(むねひら)親王ー入道兵部卿ーの子供で、姿が美しい心のよろしい方である。
参議源惟正の子供、伊予の守兼資(かねすけ)の娘、親が伊予に赴任するが、可哀想なことと覚えてる。
 暁に行くからと言って、今夜お出でになって、有り明けの月が照らす中をお帰りになったその直衣姿が、目に焼き付いている。

その方(成信)がいつも私の所へやってきて、人のことを、悪いのは悪いと仰るのに、
物忌を奇特に、・・・・・・・・する者の名を姓として持った人がある、その人が別の人の養女となって平何々などいうけれど、若い女房たちは旧姓ばかりを口癖にしては笑う。
入道兵部卿のことである。容姿も格別なこともない、美しい点なども縁遠いのが、それでいて人中にさし出て気の利いた風などがあるのを、中宮におかせられても、見苦しいと仰せになるが、意地が悪いせいか当人に知らせる人はない。

一条院今内裏に作られた清涼殿の一柱間の廂に作られた部屋には、自分の気に入らぬ人は全然寄せない。
東の御門に直面して、大層風雅な小廂(廂の間の小さい所)に、式部のおもと、と共に自分も夜昼と居るのだが、主上が常に見ながら入って行かれる。
「今夜はもうみんな寝てしまったでしょう」
 というので、南の廂に二人は寝てしまう。
その後でうるさく呼ぶ人があるので、うるさいわね、言い合って寝てしまったように見せかけていたが、なおまだうるさく呼び続けるので、
「二人を起しなさい」
と中宮が仰る。先ほどの兵部が来て起こすのであるが、ぐっすりと寝込んだ様子を見て兵部は、
「一向お起きにならないようです」
 と、客の所へ言いに行ったのに、そのまま坐り込んで何か言う様子だ。

少しの間であろうと思っていると、夜も更けてしまった。
「権中将(成信)だつたのですよ。これはまあ何を一体坐り込んで話すのでしょう」
そっと二人で大笑いするのも、話に夢中な兵部は何で気づこう。暁まで話し込んでから帰っていった。翌朝、
「あの方(成信)ほんとうにいまいましい。もう絶対、寄っていらしっても口も利きますまい。何を一体そう夜通し話しているのでしょう」
と、言い合って笑っていると、遣戸(やりど)をあけて女が入ってきた。