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私の読む「枕草子」 278段 積善寺

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と、仰っている。車に乗った所でさえあんな風だったのに、今は少し明るくあらわな上に入れ毛をして調えた髪も車の中が狭いので流していることも出来ないから手で持つようにしていたために唐衣の中でぶくっいてみっともなくなったであろう、髪の色の黒い赤いも見分けられる程なのが大層っらいので、すぐには下車しにくいので、
「まず後にお乗りの方からどうぞ」
と言うと、その人も同じ気持か
「どうぞお退き下さいませ。勿体のうございます」
と言う。
「はにかんでおられるな」
外で伊周らが笑っておられる。何とかして下車すると、私に寄ってこられて、
「宮が『致孝(むねたか)などに見られないように注意して、隠れて下車させるように』と仰せられたので、やって来たのに、察しられないことよ」
 と言って、几帳から外に出られた。中宮がそうお頼み下さったのかしらと思うと有りがたかった。

 自分がお側に参上すると、先に車を下りた女房がよく見物できそうな端の方に八人ばかり坐っていた。中宮は二尺余りか二尺位高い長押の上においでになる。
「ここに、隠れてつれて参りました」
 と、申し上げると、
「どれ、どこに」
 と中宮は几帳のこちらにお出になった。見るとまだ、御裳・唐衣を召したままでいらっしゃるのは大したことだ。紅の御衣など並一通りのはずがあろうか。中に、唐製の綾織物の柳がさねのお召物、葡萄染の五襲の織物に赤色の唐の御衣、白地に藍などで唐の薄布に模様を摺り出した織物を模様の縁を色糸または金泥で細くふちどり模様をはっきり見せる
象眼重ねた御裳などを差し上げて、衣の色などは全然一般のものに似ていようはずもない。

「わたしをどう感じますか」
と仰せになる。
「大層お立派に拝しました」
 など申しても、言葉に出しては世間並でしかない。
「待ったでしょう。それは大夫が女院のお供の時着て人に見せたのと同じ下襲のままでは不体裁だろうと、別の下襲を纏わせておられるうちに遅くなったのですよ。大層凝っていらっしゃいますね(おしゃれなこと)」
中宮職の長官道長のおしゃれで遅くなったと笑っておられる。大層明るく晴ればれした所では、なお一層際だって素晴らしい。

額髪を上げておられる釵子に分け目の髪が少し寄って、くっきりお見えになることさえ申し上げようもないくらいだ。(晴装束の場合は額髪を銀子であげる)
  三尺の几帳一双を表裏交互に立てて此方の境として、その裏に畳一畳を横長において、畳の縁を長押の端に合わせて長押の上に敷いて、女房の、中納言の君、宰相の君二人が座って御覧になる。中納言の君は、道隆の父親兼家の弟道隆の叔父に当たる者の子供であるから中宮とは従姉妹になる。宰相の君は、道隆の父藤原師輔の従兄弟藤原顕忠、富小路右大臣の孫娘で父親は藤原重輔右馬頭である。

中宮は見渡されて、
「宰相は彼方へ行って皆のいる所で見なさい」
 と、仰せになるのに、宰相の君は頷いて、
「ここでも三人は十分見物できましょう」
 と中宮に言われるので、中宮は、
「では、お入り」
 と私を長押の上に上げられる。それを下になった女房達は、
「昇殿を許された内舎人というところでしょう」
 と言って笑うが、
「これはまあ笑わせるおつもりでしたか」
「馬副(うまぞい)ですね」
 などと言うが、言われたとおりに長押の上に上って見るのは晴れがましい。
(内舎人は、公卿の息子に習練のために昇殿させる者。馬副(うまぞい)は乗馬の人の従者)
 こんな事を自分でいうのは自慢話のようでもあるし、また主君のおためにも軽々しく、この程度の人をそれ程にお気に召したのかなど、自然と、物知り顔に世間を非難などする人があっては、不都合で(勿体ないが)、尊い御身に関して、有り難いことではあるが、事実である以上、またどうしよう。真実身の程に過ぎたこともあるに違いない。

 女院のお桟敷、高貴の方々の御桟敷見渡すと立派である。関白殿は中宮のお側から女院の御桟敷に参上されて、しばらくして、自分らの桟敷にお出でになった。伊周と道頼二人の大納言、三位の中将は近衛の陣に着座しておられたので、弓箭を帯していかにも武官らしくお立派だ。殿上人、四位、五位ことごとしく連れだち、お供に伺候して並んで立っている。

 殿は中宮の御桟敷に入られて皆様を御覧になると、御匣殿を始めとして皆さん裳・唐衣着用されていた。殿の北の方貴子様は裳に小袿を着ておられた。殿は、
「絵に描いたようなお姿である。もう一人は今日は人並らしいわい」
 と冗談で北の方の姿を言う。
「三位の君、中宮の裳を脱がせなさい、この中の主君は外ならぬ宮さまです。御桟敷の前に近衛の陣屋を設けておられるとは、並大抵のことか」
と言われて涙を浮かべておられる。本当だと周りの人も涙ぐんでおられるのに、私の着ている赤色に桜の五重襲の衣を見て、
「僧の正服の赤色の袍が一つ足りなくて慌てていたが、おまえのその衣を与えれば良かった。それでないなら、もしやあなたはその法服をとって自分の物とされたのか」
 と、いつもの冗談を言われると、大納言殿はずこし退いて坐っておられたが、
「清僧都のかもしれませんな」
 と、私の「清原」をとって仰った。総てが目出度いことである。

  伊周らの弟隆円僧都は十五歳。赤色の薄い法衣に紫の袈裟、大変に薄色の衣、指貫をはかれて頭を青々と剃って美しく、地蔵菩薩のように見えて女房に混じって歩かれるのが面白い。
「僧正・僧都・律師の中で威儀具足しておられないで、女房の中に混じって、見苦しい」
 などとみんなが笑う。威儀具足は法華経などに見える語で、行住坐臥の四礼にかない品位の具わっているさま、を言うのである。

  大納言の桟敷から伊周の子供の松君(長男道雅の幼名)をお中宮の御桟敷につれてあがる。葡萄染の織物の直衣、濃い打ち物の綾の紅梅の織物などを着ておられる。お供には例によって、四位・五位の者が多数従っていた。中宮の桟敷に入ると女房達に抱かれていたが、何が気にくわなかったのか、騒いで泣かれるのさえ、実に華やかだ。

  法会がはじまって、一切経を紅蓮の造花の一輸ずつに入れて、僧・上達部・殿上人・地下・六位以下何々に至るまで捧げて続いた様子は大変に尊厳が高い。本日の首位の僧都が参堂して回向が始まる。舞楽などを一日見ていると目がだるくなった。
  勅使として五位の蔵人が参上した。御桟敷の正面に胡床(腰掛)を立てて坐った様子など本当に目出度い栄誉である。

  夜になった時分に式部の丞則理(のりまさ)が参った。帝の言葉、
「『このまま夜分参内されるよう。お供申せ』
と宣旨を蒙りまして」
 と言って帰ろうともしない。中宮は、
「ひとまず二条宮に帰ってそれから」
 と仰るが、続いて蔵人の右少弁高階信順が参上してきて、父君の関白にもおことづてがあるので、主上の仰せのままにと、中宮は宮中へ参入されることとなった。

女院の桟敷から、
みちのくの ちかのしほかま ちかなから   からきはひとに あはぬなりけり
(続後撰集、恋二738)
文が届いた、近くいながら対面できないの心。文の行き来がある。結構な贈物など互に交換されたのも素晴らしい。