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私の読む「枕草子」 278段 積善寺

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一切経の供養のために中宮は明日積善寺へ
おいでになるというので、前夜参上した
東三条南院、道隆邸の北面を覗いてみると、高杯灯台に火を点して、親しい女房同志が屏風や几帳で境をして三、四人ずつ集まり話をしている。また、そうでなくて、大勢集まって坐り、単衣の裾を直し、裳の腰帯に半組の緒を刺しつけ、化粧をする様子はいうまでもなく。髪などのことも明日だけが目的で、その後のことはあり得ない程夢中な有様だ。
「寅の刻(午前四時頃)に御出発の予定だそうですよ、何で今まで参上なさらなかったのですか。扇を持たせてあなたをお探しする人がいました」
と私に言った。
     


 構造 
 腰のベルトとなる二本の小腰、袴の腰板のような大腰、後ろに引きずる紐のような二本の引腰とプリーツスカートのような裳の本体で構成される。
 着用法 
 現在の着用法では唐衣を羽織ってから最後に腰に結ぶ。大腰を唐衣に当てるようにして固定し、小腰を前に回して形よく結ぶ。単、袿、打衣、表衣を固定するベルトとしての役割がある。

 さて、出発は寅の刻(午前四時)かと服装を整えて控えていと夜が明けて日が射してくる。西の対の唐風の庇の建物に車を寄せて乗車するというので渡殿へ全員が行く廊下で、自分のようにまだ新参の女房などは遠慮がちなのに、西の対には殿がお住まいであるので、宮もそこに居られて、まず女房達が車に乗るのを見ようと、御簾の内側に中宮・淑景舎(しげいき)殿二女原子・三と四の君・関白道隆の北の方高階貴子・貴子の妹の三方、皆さんお立ち並んで御覧になっておられる。

  車の左右には、伊周大納言・その弟隆家三位の中将お二人してそれぞれ簾を上げて、下簾も引き上げ、乗車の手助けをしてくださる。せめて大勢一緒なら少しは隠れ場所もあるだろうに、四人づつ順番を書いた紙を読み上げて、
「次は誰、次は誰」
 と、女房を乗車させる、歩んで出る気持ちは情けない、御簾内の大勢の方々の視線の中でも、中宮が見苦しいと御覧になるそれ程苦になることはない。汗がにじみ、手入れをした髪が逆立ちした気がする。

 御前を通り過ぎ車のそばに寄ると、大納言と三位中将が、気おくれする程綺麗な様子で微笑して見ておられ、とても正常な気持ちではない。
倒れもせずにそこまで行き着いたのは、偉いのか厚かましいのか、判断がつかない。

 全部乗り切ると車を引き出して、二条の大路で轅を榻の台にのせて物見車のようにずらりと並べた。見事だ。人もそう思って見ているだろうと胸がときめく。四位・五位・六位の者達が多く出入りして、車のところまでやってきて、気取って何かを言おうとするが、中宮の母君貴子の兄明順(あさのぶ)の気持ちは、空を仰いで胸そらしたいのであろう。

 まずは、女院東三条院詮子のお迎えに、殿をはじめとして殿上人、地下(ぢげ)みんな集まってくる。女院の御一行が出かけられて後に中宮は御出発のはずだというので、大層待ち遠に思ううちに、日が昇ってからいよいよお出ましになる。牛車は全部で十五輌、そのうち四輌は尼の車、先頭の車は女院の車で
、屋根を唐風の破風造とし、屋蓋・庇・腰等に濱榔の葉をふさにして垂らす。上皇・后・東宮・親王・摂関など晴れの乗用車の「唐車」である。

 それに続いて尼の車、車の後方、乗用口より水晶の数珠、薄墨色の裳、袈裟、衣大層に立派だ。簾は上げず、下簾は薄い色で下の方が少し濃い。次に女房の車十輌、桜の唐衣、薄色の裳、濃いくれないの衣、薄紅に黄を帯びた色の香染め、薄色の表着など、非常に優美だ。お天気は麗らかであるが、空は一面に霞んでいるのに女房の衣裳の色がそれに映り合って、非常に華やかな織物や色さまざまの唐衣などよりも優美で美しいことこの上もない。

  関白道隆様は、弟の道兼・道長様ら参列の方々全部で大事に奉仕して行列をお通し申される有様は、実にすばらしい。この行列をまず拝して、皆はほめさわぐ。こちらの車が二十輌立て並べてあるのも、あちらでは同様、美しいと見ることだろう。

 中宮のお車も早くお出まし下さるといいとお待ち申していると、実にひまがかかる。どうしたわけかと待ち遠に思ううち、やおら采女八人が馬に乗って引き出されてきた。青裾濃いい裳、裙帯(くんたい)、領布(ひれ)を風になびかせながら、とてもよい。「ふせ」
と言う名の采女は、典薬頭丹波重雅(しげまさ)の愛人である。典薬頭は葡萄(えび)染の織物の指貫を着ているので、紫色又は紋柄のある織物の袍は禁色(ゆるし色)と称し特に許可がないと着用できない。葡萄染は紫に似てしかも織物なので、
「重雅は、色を許されたのだ」
 と、道隆の長男道頼、山の井の大納言がお笑いになった。

  全員次々と馬に乗って立っているところへやっと中宮の輿が出発された。先刻すばらしいと拝した女院の行列に対しては、これはまた比べようのない立派さだった。

朝日が明るく華やかに輝き始める中、御輿の屋蓋に金属で葱花の形をっける葱花輦(そうかれん)が光り畏れ多い。葱花輦は天皇・后の乗用、神事その他に用いる。御輿にっけて張る綱を引っ張って進まれる。御輿の帷子が揺れる度に本当に、感動のあまり頭髪が立っと人がいうのも、決してうそではない。そんなことがあって後は、私のように髪の毛の悪い人も文句を言いたいくらいだ。
驚くほど荘厳で、どう考えてもなぜ自分などがこれ程のお方に親しくお仕えしているのだろうと、わが身まで大したことに思われる。

御輿が通過される間、車の榻に一斉にかき下ろしてあった轅(ながえ)を再びそれぞれの牛にどんどん掛けて、御輿のあとに続けた、その時の気持のすばらしくて興味のあること、言いようもない。


榻 しじ〔しぢ〕
牛車(ぎっしゃ)から牛を外したとき、車の轅(ながえ)の軛(くびき)を支え、乗り降りに際しては踏み台とする台。形は机に似て、鷺足(さぎあし)をつけ、黒漆塗りにして金具を施す。
榻の端書き
 男の恋心の切実さのたとえ。また、思うようにならない恋のたとえ。昔、男が女との恋を成就するために、百夜通ったら会おうという女の言葉に従って99夜通い、榻にその印をつけたが、あと1夜というときに差し支えができ、ついにその恋はかなわなかったという伝説による。

 積善寺に到着されると、総門のところで高麗楽・唐楽を奏で獅子舞と狛大舞を踊り、管楽器・絃楽器・打楽器を同時に奏でる乱声(らんじょう)の音に我を忘れる。これは生きながら仏の国にでも来たのかしらと、響につれて身体が空に昇るような気がする。

内部にはいると、そこらに色様々の錦の幌舎、「あげばり」と呼ばれる臨時の仮屋に青々とした御簾が吊して囲われて、庭に作られる「塀幔(へいまん)」と言われる天井の無い幕を張り巡らして、どれを見てもこの世のものとは思えない。桟敷に近寄ると、伊周と隆家の二人が桟敷の様子を見ておられて、
「はやくおりて」