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私の読む「枕草子」 201段ー257段

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 五月の行幸こそ世にまたとなく優雅なものではあった。しかし、今の世に絶えてしまったことらしいので大層残念だ。古老が語るのを聞いて考えると、どんなにか良かったことであったろう。ただその日は、菖蒲を屋根に葺いて、それは世間どこでも立派なのに、家々で設げた物見のための高い床に菖蒲を葺き渡して、世の人々菖蒲で造った髪飾りをつけて、脚下賜の菖蒲や薬玉を親王・公卿にとり伝える女蔵人は顔の美しい者ばかりを選び出されて、薬玉を戴けば拝舞して腰に付ける、どんな光景であったろうか。

還幸の御輿の前で獅子舞や狛犬舞を舞い、
ああそんなことがあるのだろうか時鳥がしきりに鳴いて五月という時節さえも、他に似るものもなかったであろうよ。

行幸は目出度い物の、君達が、車など風流めかしくして大勢乗りこぼれて上手下手に走らせなどする事がないのは残念だ。そのような車が他の車をおし分けて駐車などするのは胸のときめくものだ。


【二二二】
賀茂祭が終り、斎院が上の社から紫野の斎院御所へ還られるおりの行列は見事なものである。祭の当日の昨日は、万事きちんと礼儀正しくて、一条の大路が広々と掃き清められた上に、日は暑く車に差し込んでまばゆいので扇で顔を隠し、坐り直しなどして行列を待つのが苦しく汗なども流れたのだが、今日は早くに急いで出かけて柴野にある雲林院・知足院などの許に止めるどの車も二葉葵の葉を牛車や冠に飾ってある、それが風に靡いて見えるのである

日が昇ってきて明るくなったが空は曇っていて本当にまあ、何とかして聞こうと夜も眠らず待たれた時鳥が、ここでは沢山いるのかと思うほどあたりに響いて鳴きたてるのは、実にいいなあと聞き惚れていると鶯が老いた声で時鳥に似せようとでもいうように声を添えたのは、本当に難い鶯と思うがまたそれも愛嬌があって面白い。

 早く早くと待つうちに御社の方から褪紅色に染めた狩衣を着た御輿をかつぐ下衆達が連れだって来るのに、
「どうですか、いよいよお通りですか」
と問いかけると、
「まだまだ、いつのことか」
と答えて御輿などを持って行ってしまう。
斎院はあの御輿に召されて社前に進まれる
というがそれもすばらしく尊く、何であんな下賎な者などが近くに奉仕するのかと恐れ多い次第だ。

先ほどの男達は、まだだいぶん先のことのように言ったが、間もなく齋院はお帰りになる。扇をはじめとして、表青、裏朽葉色の襲が大変に珍しく見える、蔵人所の雑役の者達は麹塵の袍に白襲をおしるしほど引きかけたのは、卯の花の垣根にそっくりで、時鳥もそのかげに隠れるにちがいないと見えることだ。

昨日は車一つに大勢で乗り誰も同じ二藍の指貫、ある者は狩衣とばらばらな服装で、簾を外して、大騒ぎをまともに見せていた君たちも今日は、「垣下」(えが・えんが)は公式の饗応の際、正客の相伴にあずかる者のことを言うのであるが、斎院の垣下は祭の後の直会(なおらい)。その席に伺候するので正装(束帯姿)をきちんとととのえて、今日は一人づつ物足りなそうに乗っている、その後方に可愛らしい殿上童を乗せているのもよい。

行列が通過したすぐあとは、気の張った気持ちもほぐれて、我も我もと恐ろしいまでに帰りを急ごうと車を前に出そうと大騒ぎである。
「そんなにいそがないで」
 と、扇を差し出して注意をするが、聞き入れるどころか急ぐので、仕方なく少し広いところで無理に車を止めさして、榻(しじ)を下ろさせて軛(くびき)を載せて轅(ながえ)を安定させて車を立たせた。
 車を立てたのを供人達は焦立たしく癩だと思っているだろうが、あとから来る多くの車を見やった気持は愉快なものだ。

男車の誰とも分からないのが後ろから次々と来るが、普通の時より以上に面白いのに、分かれるところで、忠岑の詠う、
「風吹けば峰にわかるる白雲の
    絶えてつれなき君が心か
(風が吹くと峰に当って白雲が二つに別れていくように、すっかりとだえてしまっている、つれないあなたの心だよ)」(古今集601)
と詠う者がありそれでもなお飽きることなく面白いので、齋院の鳥居の側まで行って見る。

 内侍は掌侍(内侍のじょう)の略称。勅使として参向したものか、にぎやかに車が進行してくるので、別の道を帰還すると本当の山里のようなところを通行する。淋しい道の傍らにうつぎの生け垣というものがあって、

(注)うつぎ【空木・卯木】
 ユキノシタ科の落葉低木。山野に自生。高さ1、2メートル。葉は狭長楕円形で対生する。幹は中空。梅雨の頃、白色の五弁花を円錐花序につける。垣根などに植え、材は木釘(きくぎ)・楊枝(ようじ)などにする。うのはな。

大層野性的で仰山に枝が垣根いっぱいにあって卯の花はまだ満開でなく蕾のまま。枝を折らせて車のあちこちに挿したが、葵かずらなどが萎んで残念なのに対して新鮮な興味を感じた。
大層狭く、とても通れそうにない行く先を、
段々近づいて行くと、それ程でもなかったのはおもしろいものだ。

【二二三】
五月に入って山里に牛車で出て行くのが楽しい。草葉も水も大変青くに見えるのであるが、拾遺集(893)
「葦根はふうきは上こそつれなけれ
     下はえならず思ふ心を」
 と詠んでいるが、上に草が生い茂っているが下に水がある風でもなく、さりげない様子
、そのまま続けてまっすぐに行くと。下には何ともいえず(えならず)きれいな水が深くはないが従者などが徒歩で歩くととばしりを上げたのは、可笑しかった。

 左右の垣きにある何かの木の枝が車の屋形にさし入るのを急いで折ろうとすると、急に行き過ぎてしまって悔しい。
 蓬が車輪に踏まれて、車輪が回りにつれて顔近くに匂いが漂うのが楽しい。


【二二四】
大変に暑い頃に、夕涼みなどの時分、あたりの様子などもはっきりしない夕闇時に、男車で先払いをする程の者はいうまでもなく、
普通の身分の人でも、車の後ろの簾をあげて
二人でも一人でもよいから乗っていて走らせて行くのが涼しげである。まして、琵琶を弾きそれに合わせて笛の音が聞こえれば、目の前を過ぎて行ってしまうのが悔しい。

そうした状況の中で、牛の尻のからみつける鞦(しりがい)の革の獣の匂いが、どうも妙で、めったにかぎつけないものだけれど、面白いと思うのは、風変りなことだ
大変に暗い闇であるが前に点した松明の煙の香りが漂ってくるのもよい。

【二二五】
 五月四日の夕方、明日に使う菖蒲を多く刈り取って綺麗に切り揃えて、左右の肩に担って赤衣を着た召使の男が行き違って通っていくのが目につく。

【二二六】
 賀茂の社にお参りに行く際に、田植えをするというので、女の新しい折敷のような物を笠に着て、田の中に大勢いて歌を詠い、腰を曲げて苗を植えながら後ろへ下がっていく、何をしているのか見ている私は分からない。
面白い光景であると見ているほどに、女達は時鳥を大層軽蔑して歌うのを聞き気を悪くする。
「ほととぎす、おれ、かやつよ。おれ鳴きてこそ、我は田植えれ(時鳥よ、おのれ、おめえよ。お前が鳴くので俺は田植をするのだ)

 と、歌っているのを聞くと一体誰が時鳥を愛でて、「いたく鳴きそ(あまり鳴くな)」
と、歌ったのか、