私の読む「枕草子」 201段ー257段
普賢(ふげん)。普賢菩薩。白象に乗り仏の右方に侍す
【二一一】
書(ふみ)は。漢籍のことである。
文集(もんじゅう)。白氏文集。唐の白居易の詩文集。・七十一巻。
文選(もんぜん)。梁の昭明太子蕭統(しょうとう)が周秦より梁に至る詩文を類聚したもの。三十巻。
(注)昭明太子(しょうめい‐たいし)
[501~531]中国、六朝梁(りょう)の武帝蕭衍(しょうえん)の長子。本名は統、字(あざな)は徳施。昭明は諡(おくりな)。文学を好み、中国最初の詩文集「文選(もんぜん)」の編者として知られる。
新賦(しんぶ)。「賦」は詩の一体。その新風を集めた書。
賦とは漢詩の六義(りくぎ)の一。事物をそのまま述べあらわすこと。
史記。漢の司馬遷の著した史書。約百三十巻。
五帝本紀。史記の五帝紀
願文。神仏に願を立てる際その趣旨を記した文。
表。天子に奉る上表文。
博士の申文(もうしぶみ)。文章博士の書いた官位昇進の申請書。
【二一二】
物語は。住吉物語。宇津保物語。殿うつり。国譲りの物語は読み応えがある。埋もれ木。月待つおんな。梅壺の大将。仏道修行を勧める。松が枝。こま野の物語は夏扇の蝙蝠扇を探し出して持って行ったところがおかしい。ものうらやみ中将、宰相女房に子供を産ませ
証拠の衣を請うたところが気にくわない。交野の少将、有名な好色男の話。
【二一三】
梵語(ダラニ)原語のままで唱えるのはあけがた。「読経」は夕暮れ
【二一四】
音楽は夜がよい。人の顔がよく見えないほどが。
【二一五】
遊戯は、小弓遊び。小弓には一定の作法があり、左膝を立てて左肘を支え、右手を右頬の下、口脇にあてて引くという。「したり顔なるもの」の段、「小弓射るに片つ方の人しはぶきをし紛らはしてさわぐに、念じて音高う射て当てたるこそ、したり顔なるけしきなれ」とある。また源氏物語、若菜上に「いとさうざうしきを、例の小弓射させて見るべかりけり」などと見える。
碁。格好が悪いが蹴鞠も面白そうである。
【二一六】
舞は、駿河舞、東遊びの中で、駿河歌に合わせて踊る。同じように求子(もとめご)歌に合わせて舞う、大変に面白い。太平楽は太刀を持って踊るのが面白い。太平楽は唐土の漢の高祖と楚の項羽とが鴻門に会した折の故事を表す舞だと聞いている。
鳥の舞、迦陵頻(かりょうびん)。童舞。
抜頭(ばとう)撥頭・髪頭・馬頭ともかく
髪を振り乱したのがおもしろい。目もとなどは厭な感じだけれど楽が大変に面白い。
落蹲(らくそん)は本来は納蘇利(なそり)を一人で舞う時の称であるが、二人で膝を踏んで舞った。狛鉾(こまほこ)狛という名の通り高麗(朝鮮)の使者が日本の港に入港する姿を模し、
棹(さお)を持つ舞として表現されています。
【二一七】
弾く弦楽器、琴・琵琶。一律を半音とし十二律の調子がある。琵琶の調子の名で黄鐘(おうしき)調の一種という風香調(ふかうでう)。黄鐘調(わうしきでう)。蘇合香の略で盤渉(ばんしき)調の印度楽の急。音楽の構成を序破急の三段としその終曲の部分。
春鶯噸。壱越(いちこつ)調の唐楽、鶯の囀りと言う調べは大変に面白い。
十三絃の琴、箏の琴の演奏が良かった。曲目は相府蓮の唐楽。想夫憐・想失恋とも書く曲であった。
【二一八】
笛は横笛が心にしみる音色だ。遠方から聞こえてくるが次第に近づいてくる音色がなんとも言えない。そうして去っていく、音色はほのかになって消えていく余韻が気持ちがいい。
車で、歩きで、馬上でも懐に笛を差し入れて持ち歩いても持参しているとは見えない、このような不思議な楽器はない。その上聞き慣れた曲を演奏されれば本当に目出度く感じる。
暁に、床を抜けて帰った人の笛が、枕元に忘れられて感じのよい笛が枕のそばにあったのを見つけたのも、余韻が残る。
男がとりによこしたのを包んで使いの者に渡すときに。立て文のように感じるのは男への情が残っているからだろうか。
笙の笛は月が照っているとき車の中で吹いているのを聞くと、とてもいい感じである。
笙の笛は何となく仰々しくて扱い難い感じに見える。そうして演奏者の顔はいかがなものであろう。それは横笛も同様、吹き方次第だろうよ。
篳篥(ひちりき)は、笛に似ているが縦にして演奏するのであるが大変にやかましい楽器である。秋の虫に譬えれば轡虫(くつわむし)であろうか、不快でそば近く聞く気はしない。まして下手な演奏は大層厭なのに、賀茂と石清水の臨時の祭りの日に、まだ楽人が主上の御前には出ずに、ものかげで横笛を実にうまく吹きたてたのを、なんと素敵だと聞いている、その中ば頃から篳篥の音が調子を合せて吹きのぼった、それこそただもうすばらしく、聞く物皆端正な髪を総毛立たせて聞くような心地がする。そうしてやっと琴・笛に合わせて主上の御前に歩み表れる。大変にすがすがしい。
【二一九】
見るかいあるもの。賀茂祭の際の帝の行幸の行列、斎王が紫野の斎院御所へ帰還される行列。賀茂祭の前日関白が賀茂神社に詣でる行事。
【二二〇】
陰暦十一月下の酉の日に行われる賀茂の臨時の祭り、空が曇って寒そうであるのに加えて雪がちらつき挿頭(かざし)の造花は、使は藤の花、舞人と陪従は山吹。青摺の袍にかかってなんとも言えないほど綺麗である。
太刀の鞘はくっきりと目立つ黒斑で、束帯で袍と下襲との間に着る短衣の紐が磨いたように光ってかかっている。白地に藍などで模様を摺り出した織物
の袴の中から氷かと見えるような砧で打って出した光沢のある打ち衣などすべてが美しく目出度く見える。
もう少し行列が続くと好いがと思うが、祭の使は必ずしも貴人ではなく、受領などである場合は目にもつかずいやだが、それでも挿頭の藤の花に顔が隠れている間はいい。なお過ぎ去っていくのを見守っていると、神前で東遊の神楽を奏する楽人の陪従の品の劣ったのは、柳がさね(表白、裏青)の衣に挿頭の山吹がひどく不似合に見えるが、馬の泥障(あぶみ)を高く打ち鳴らして
「ちはやぶる賀茂の社の木綿だすき
一日も君をかけぬ日はなし
(賀茂神社の神官は神事に木綿襷をかけるが、私も一日だってあなたに思いをかけない日はない)」(古今集487)
と詠いながら去っていったのは面白かった。
【二二一】
行幸に匹敵する程のものは何があろうか。
主上が鳳輦に召されるのを拝した時は、あけくれ御前に伺候する身も忘れて、神々しくい
かめしく素晴らしく、常々はなんとも見ていなかった何某の司・姫大夫までもがやんごとなく珍しく見える。行幸の際御輿の綱をとる役大舎人寮の助(次官)に近衛の中将少将も仕えるのが印象に残る。近衛府の長官。行幸の際箭を帯して供奉する。何よりまして格別にすばらしい。近衛府の官人鳳賛をかつぐ姿が珍しく面白い。
作品名:私の読む「枕草子」 201段ー257段 作家名:陽高慈雨