私の読む「枕草子」 157段ー200段
伊周大納言お一人だけでも恥かしいのに、
またまた先払いの声がして、同じ直衣を着た方が参りなされて、この方は大納言よりもうすこし明朗で冗談など言われるのを女房達は笑い興じ、来られた方は関白道隆様で大納言のお父上、その関白さま自身も笑いながら、
「誰それがこれこれでして」
などと、殿上人のことを申されるのを聞くと、この場に変化物か天使が降り立ったのかと思われるが、仕い慣れて日が過ぎれば、そうたいして不思議なことでもないのだった。
この眼前の人々も皆出仕し初めた頃は、きっとそう思ったのだろうなど、追々観察してゆくうちに自然と馴れ親しむに違いない。
何事か仰せになって、
「私を愛してくださる」
と、聞かれる。お答えは、
「それはもう、どうして・・・・」
と、言上する、と同時に中宮御殿台盤所、女房の詰所の方で大きなくしゃみをする音がして、くしゃみは不吉、
「まあひどい。嘘をついたのですね。まあ、よろしい」
と、中宮は言われて奥に入ってしまわれた。
なんで嘘のわけがあろう。並大抵にお慕い申すべきことでもないのだ。実際ひどい、あのくしゃみのせいだ、嘘をついたのだと思う。
さて、誰であろうくしゃみの許の女は。全体くしゃみなど気にくわないと思うので、出そうな折もおし殺しているのに、ましてこんな大事な時に本当にひどい、憎らしいが、まだ新参なのでどうとも弁解も申さず夜が明けると局に下がる。そのとき、浅緑の薄紙の意味深そうな手紙を「これ」と言って使いの者が手渡した。開いてみると、
「いかにしてかに知らましいつはりを
空にただすの神なかりせば
(偽を天においてただすという糺(ただす)の神がおられなかったら、どのようにしてあなたの心を知り得よう)
との思召でございます」
上臈が中宮の意向を聞いて書いた文を送ってこられたのを読んで、ありがたいし悔しいし心が乱れるが、やはり昨夜のくさめの主が癩で憎らしい。
「うすさ濃さそれにもよらぬはなゆゑに
憂き身のほどを見るぞわびしき
(お慕い申すうすさ濃さではなく、くさめなどによって「憂きわが身を見ることは(御機嫌を損ずることは)、かなしい事でございます)
やはりこれだけは貴女様から中宮様へご釈明になって下さいませ。人の善悪を監視するという式の神もそのうちきっと。まことに恐れ多いことでございます」
と上臈の許に送って後も、何でそう具合悪く折も折くしゃみなんかの事があったのかと、大層嘆かわしい。
【一八五】
得意そうな顔つきのもの。
正月一日に最初にくしゃみを放った人。相当な身分の人はそれ程でもない。身分の低い人の場合だ。
蔵人競争が激しい時に我が子を蔵人にさせた人の様子。
また、除目でその年国司がが交代する一番の国を得た人。喜びの言葉を言って、
「よくもまあ御就任になりました」
などいう答に。
「何のまあ、甚だ不体裁に都落ち致すことで
すから」
というけれど、とても自慢顔である。
また、求婚者が多く張り合った中で選ばれて婿となったのも、我こそはと思うにちがいない。
国司だった人が参議になったそれこそは本来の殿上人が出世したのよりも得意そうで誇らしく、大したものに思っている様子だ。
【一八六)
位が高いのは何といっても結構なものだ。
同じような人であっても、大夫の君(五位)、侍従の君(従五位下)とか申す間は、いかにも馬鹿にしたくなりがちなのに、中納言、大納言、大臣などに昇進されると、全然さしさわる点もなく、人々に尊く思われなさることはこの上もない。身分次第では国司なども皆その通りだろう。多数の国を歴任して大宰府の次官で従四位下相当・三位などに就任すると公卿方なども尊敬されるようだ。
女の場合はどういってもまずいものだ。宮中で帝の御乳母たる人は典侍や三位などになると重々しいけれど、といって身分以上にどれ程のことがあろう。またそんな人が多いわけもない。
国司の妻として任国へ下るのを、これこそは普通の女の幸福の頂上と思って祝福羨望するようだ。
普通の身分の人が公卿の正妻となり、公卿の令嬢が后に立たれる、これこそはすばらしいことと言われよう。
そうであっても、男はなお若い人の出世ずるのが素晴らしいというものだ。
法師などが誰それと名をいってまわるのは、何の見るかいがあろう。経を尊く読み、顔立ちが美しいにつけても女房に馬鹿にされてわいわい騒がれなどするようだ。
僧正・僧都になれば仏が現れるように、人々がひどく恐れて畏まる様子は、何にたとえようもない程だ。
【一八七】
たいしたものは乳母の夫ではある。帝や親王方の乳母の場合はいうまでもないから略した。それより以下、または国司の家などでもその家その家につけての信用が、好い加減にすまされぬものとなっているので、夫は得意そうに、自信ありげな態度で望みを持ち、乳母が養った子をも、全然自分のものにしきって女児の場合はそれでもまだよい、男児の場合はぴったり付き添って世話をし。ちょっとでも幼い主人の言葉に背く者は排斥し讒言して、悪いけれど、この乳母の夫のやり方を思うままに批判する人もいないのでよい気になり偉そうな顔をして指図などする。
養っている児が至極幼い間は少々夫は困ることがあって体裁悪い。乳母が児に添って母親の側で寝るので、夫はひとり乳母の局に寝ている。ひとりだからと他所へ行けば、二心があるといって妻(乳母)から騒がれるに違いない。無理に妻を局へ呼びおろして寝ていると、児の親から「ちょっとちょっと」と呼ばれるので、乳母は冬の夜など手探りしながら主人の所へ上ってしまう、それが大層わびしいのだ。それは上流の家でも同様で、ただもうすこし厄介なことばかり多いのである。
【一八八】
病は、胸の病、物の怪に取りつかれる、脚の病(脚気のこと)、最後は、どこということもないが、食事が通らない、欲しくない気持ち。
【一八九】
十八九ぐらいの年齢の女、髪がよくととのい、身長ほどあって、その先が大層ふさふさしている。良く肥ってとても色白で顔は魅力があり美しいと見えるそんな女が、歯を病んで額から両頬と両肩へ切って垂らした髪をぐっしょり泣きぬらして乱れているのも手入れもできず、顔も真赤になって、おさえているのは実によいものだ。
【一九〇】
ある女房が、八月ごろに、白の単衣の柔らかそうなのに、形良く袴を付けられて、秋の襲紫苑色の下着たいそう上品なのをちょっと肩にかけて、胸を病んで伏せっていると、友達の女房達が見舞いに来て、御簾の外にも若い公達が大勢来られて、
「実に痛々しいことですな。いつもこんなに
お苦しみですか」
この女に思いをかけている人はしんそこい
たわしいと心痛し、人知れず愛し合っている仲の人は、人目を憚って近づこうにも近づけず大きく胸を痛めている。その光景は美しくよいものだ。
長い美しい髪をひき結んで何か吐くといって起き上った様子も可憐だ。
作品名:私の読む「枕草子」 157段ー200段 作家名:陽高慈雨