私の読む「枕草子」 157段ー200段
と中宮は仰るのを、何とかして斜めにでも顔を御覧に入れずにすませたいと、格子も上げない。
女官達が来て、
「これお上げ下さいませ」
などというのを聞いて、女房が言われた格子を上げようとするのを中宮が「いけません」と仰せになるので、女官達は笑って帰っていった。
中宮は私に御下間になったり、何かと言われると上に上がっているのが大分長くなったからか、
「もう退出したくなったでしょう。ではどう
ぞ。晩には早くね」
と、仰せになる。
いざり帰るや早々局の格子をばたばた上げ
ると雪が降っていた。弘徽殿を隔てて清涼殿の北方にある登花殿の前庭は立蔀が近くて狭い感じである。そこに降った雪に風情があった。
昼頃に、
「今日は昼でも参上しなさい。雪曇りなので
それほど丸見えでもないでしょう」
などと、たびたびお召しがあるので、見習いの期間世話になるこの局の主人役の女房が、
「みっともないですよ、そう引寵ってばかりいることはありません。あっけないほど簡単に御前の伺候を許されたのは、貴女をそれだけお気に召す訳があるのでしょ。好意にそむくと中宮は嫌に思いですよ」
と、ただもうせきたてて出仕させるので、
茫然自失の心地だけれど参上するのは実に苦しい次第だ。御所の警衛に衛士が火をたく小屋、火焼屋(ひたきや)の上に降り積もった雪が珍しく味がある感じがした。
中宮のお前近くは、いつもの通り囲炉裏に火を沢山おこして、そこには特に女房もいない。上臈(上席)の女房が中宮のお世話に伺候しておられたので自然その近くに坐っておられる。
次の間に長火鉢にぴっちりと並んでいる女房たち、唐衣垂らして着た具合など慣れて寛いでいるのを見ると、本当に羨ましい。
中宮へのお手紙を取り次ぎ、立ったり坐っ
たり行ったり来たりする様などが遠慮深そうにもなく、物を言ったり笑い声を立てたりする。いつになったら自分もそのよぅに付き合うことが出来ようかと思うさえ恥かしい次第だ。奥の方にさがって三四人集って絵などを見ている者もいる。
しばらくして、前触れの声が大きく御殿に響くと、
「関白殿(道隆)が参上された御様子だ」
と、散らかった物を片付けなどするのに、
何とかして退出したいと思うけれど、急には身動きもできないので、もう少し奥に引き下がって、それでもやはり見たいから、几帳の帷子の縫い合せずにおく部分に体を寄せてやっとすこしばかりのぞき込んだ。
伊周(これちか)権大納言が参上されたのである。直衣、指貫の紫の色が雪に映えて、大変に見応えがある。柱の近くに居られて、
「昨日今日と物忌みでございますが、雪が沢山降りましたので、こちらが気がかりですので参上しました」
と申し上げなさる。
「雪が降って道もないと思いましたのに、いかがでしたか」
と中宮が御応答なさる。伊周様はお笑いになって、
「あわれとお思い下さるかと存じまして」
などと仰る。お二人の応答は、他にこれ以上のものがあろうか、物語の中にあれこれ口にまかせて誉めているのとすこしも違わないような気がする。
伊周が中宮に、
「昨日今日、物忌に侍りつれど、雪のいたくふり侍りつれば、おぼつかなさになん(昨日今日と物忌みでございますが、雪が沢山降りましたので、こちらが気がかりですので参上しました)」
中宮が伊周に
「道なしと思ひつるに、いかで(雪が降って道もないと思いましたのに)」
( 伊周は)うちわらひ給ひて、
「あはれともや御覧ずるとて(あわれとお思い下さるかと存じまして)」
この二人の会話のやりとりは
山里は雪降り積みて道もなし
今日来む人をあはれとは見む
(拾遺集251兼盛)
この歌が下地でなされた会話である。清少納言は初めての宮仕えに、味のある会話がなされるのに驚いたのであろう。
ちなみに、
中宮定子は貞元元年(976)生まれ。
清少納言はこの年は十一歳、父の任地周防の地にいた。
正暦元年二月、十四歳の春に、三歳年下の一条天皇に定子は女御として入内する。清少納言は二十五歳。
正暦四年(993)春、清少納言は二十八歳で中宮定子の許に上がる。定子は十七歳である。
先に述べた定子と伊周の遣り取りの歌を、
伊周は天延二年(974)生まれ一九歳、
この若い二人が和歌に、漢詩に精通して、日常会話に取り入れているとは、恐れ入りました、としか言いようがない。
中宮は白の下着に紅の唐綾を上に召しておられる。唐綾は唐より舶来の綾織物である。
髪の毛が肩にかかっている具合など、絵にかいたものならこうした有様も見たが、現実で
はまだ知らないのでただもう夢見心地である。
伊周は女房と話をされて冗談など言っておられる。女房達は大納言と少しの遠慮もなしに応答し、大納言が嘘ごとなど言われる時は、抗弁したり反対したり申し上げる、それは目もまぶしく呆れる程ひどくて顔が赤らむことだ。大納言は水菓子を召し上がりなどして座をとり持ち、中宮にもお進めなさる。
「御几帳の後ろに居るのは誰だ」
大納言が問われるらしい。何かに興味を催されたのであろうか、それでもほかへ行かれるのかと思うのに、私のすぐそばに坐られて言葉をかけられる。私がまだ参上しなかった頃から聞きおかれたことなどについて。
「本当にそうだったのですか」
などと大納言が仰るのを、御几帳を隔てて
よそながら拝していてさえ恥かしかったのに、こうして呆れる程まともにお向かい申している気持は、現実とも思われない。
行幸の折などに行列を見ていると、伊周様が私の車の方に一寸でも目を向けられると、牛車の簾、その内側の惟子の下簾をを通して私の透影でも見えはしないかとさらに扇で顔を隠すのに、やはり自分ながら厚かましく、どうして宮仕に立ち出たのかと汗が流れて苦しい、そんな自分には何を一体大納言にお返事など申せよう。
頼みの陰とさしかざした扇までもとり上げ
られた上に、額に垂らしかけるはずの髪の感じまでさぞ見苦しいだろうと思うにつけ、すべてそうした今の自分の気持ちは外に表れて周りの女房達にも見透かされているだろう。早くお立ち下さるとよいと思うけれど、取り上げた私の扇を手でまさぐりながら、その絵について、
「誰が描いた物であるか」
と、仰って扇をすぐに返しても下さらないので、私は袖で顔を覆ってうつ伏していた。私の裳や唐衣に顔の化粧の白いのが付いて、顔が斑になっているのではないか。
大納言が長く居られるので、中宮は、大納言が思いやりなくて私が迷惑に思っているだろうとお察し下さったのか、
「これを御覧、これは誰の手蹟ですか」
と、伊周に尋ねられた。
「此方へ戴いて、見てみましょう」
と伊周はお答えするが、それでも中宮は「此処へ」と仰せになる。
「私を捕えて立たせないのでございます」
と、仰るが、大層若い人のようで年がいもなく、身分に合わずきまりわるい。
誰かの万葉仮名で書いた草子何帖かを取り出して中宮は御覧になる。伊周大納言は、
「誰の筆蹟でしょう。あの人(清少納言)にお見せなさいませ。あの人こそ世の人の手蹟という手蹟は皆見知っておりましょう」
など、ただ私に返答させようと色々妙なことを中宮に告げられる。
作品名:私の読む「枕草子」 157段ー200段 作家名:陽高慈雨