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私の読む「枕草子」 157段ー200段

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「ある所に、何某という君の許に、身分ある子弟ではないが、当時風流人として評判されていたたしなみのある人が、を、九月に入って有明の空が一面に霧でかすんで見応えがあるので、女から名残を思い出してもらおうと、ありとあらゆる言葉で言い聞かせて女の家を出ると、もう行ってしまったろうと女が遥かにそのあとを見送っている時は、何ともいえず魅力的だ。 

男は自分が出て行く様子を女に見せてから戻っていって蔀の蔭から、まだ去りきれない風にもう一度言い知らせようと思っていると
九月の有明の月夜ありつつも
    君が来まさば我恋ひめやも
(九月の有明の月のようにこうありつづけてあなたが来られたら わたしはこんなに恋しく思おうか)(古今六帖199・万葉集2300)
と囁くように言って女が外をのぞいたその髪の頭の方まではさして来ないが、五寸ばかり下った所に月が灯をともしたようにはっきり見えた。それに促されて月が一段明るく照り、夜が明けたかと驚かれたので、そのままそっと立ち出たのでした」
 と言うことを話した。

【一八一】
 雪は積もらずに薄く降ったのは風情がある。
また、雪が積もった夕暮れ、縁近くに同じ気持ちになった二三人ばかりで火鉢を中にして、四方山話などしているうちに暗くなったが、こちらは灯火を点さないのであるが、だいたい雪が白く見えたので、火鉢の炭火の灰を火箸でなんとなく手すさびにかき混ぜながら、哀れな話や面白い話を互いに出し合って話すのも面白い。

 宵も過ぎたかしらと思う時分に、沓の音が近づくのが聞こえて、変だなと思って音のする方を見ると、時々こんなふうに寛いでいるときに思いかけずにお見えになる人であった。

「今日の雪を、どう御覧になるかとお察ししながらこれという程でもないことに差しつかえてそこで暮してしまいました」
と言う。拾遺集、四冬、平兼盛(251)
 山里は雪降りつみて道もなし
    今日来む人をあはれとは見む
などにあるようなことをいうのだろうよ。
昼にあったことや、色々のことを話題にして話す。円座をお出したが片足は地に着いたままである、鐘の音が聞こえてくるまで、室内の女房達も外の男も、互に言うことは飽きずにある気がする。

明け方まだ一体に暗い頃に帰ろうとして男は、
「暁入梁王之苑、雪満群山。夜登庚公之楼、月明千里」
(暁に梁王(りょうおう)の苑に入れば、雪は群山に満てり。夜庾公(ゆうこ)が楼に登れば、月千里に明らかなり)(和漢朗詠集374)
と誦して帰ったのは現状の雪景色と違っているので可笑しかった。
女ばかりではとてもそうは夜明かしできま
いに、普通の場合よりはおもしろく、男の風流な有様などを、あとで皆が話し合った。

【一八二】
 第六十二代村上天皇。一条天皇の御祖父の時に、雪が大層に降り月がとても明るい夜に、降る雪を鉢に盛らせて梅の花を刺して天皇が、
「これについて歌を詠め。どう詠む」    と、女蔵人兵衛に命じになったので、
「琴詩酒(きんししゅ)の友皆我を抛(なげう)つ 雪月花の時に最も君を憶ふ」(和漢朗詠集734)
とお答えしたのを大変のお褒めになった。
「歌を詠むのは常識である。こう時宜に適した故事は言えないものだ」
と、続けて言われた。

 この女蔵人をお供にして、殿上に誰も人がいないときに村上天皇がたたずんでおられると、火あぶりに炭の煙が立つのを、
「あれはなにか、見て参れ」
 と仰せになられたので、女蔵人は調べて見て天皇の許に戻って、
わたつ海の沖にこがるる物みれば
あまの釣りしてかへるなりけり
 
 と、歌でお答えした。蛙が炭火の中に飛び込んで焼けるとは、おかしな歌である。

「おき」(沖)を燠、「こがるる」(漕がるる)を「焦がるる」と解し、「かへる」(帰る)を「蛙」ととって、燠火に蛙が焼けておりますの意を示した。(日本古典文学大系頭注から)


白氏文集、二十五、「寄殷協律」全文と解釈ネットから。

寄殷協律(殷協律に寄せる)唐 白居易

五歳優游同過日
(五歳 優游(ゆうゆう) 同(とも)に日を過ごすとも)
一朝消散似浮雲
(一朝 消散して 浮雲に似たり)
琴詩酒友皆抛我
(琴詩酒の友 皆 我を抛(なげ)う)
雪月花時最憶君
(雪月花の時 最も君を憶(おも)う)

幾度聴鶏歌白日
(幾度か鶏を聴き 白日を歌う)
亦曾騎馬詠紅裙
(また かつて馬に騎(の)り 紅裙(こうくん)を詠ぜり)
呉娘暮雨蕭蕭曲
(呉娘(ごじょう)の「暮雨蕭蕭の曲」)
自別江南更不聞
(江南に別れてより さらに聞かず)

 協律郎の殷君に寄せて
 5年間も一緒に穏やかな日を過ごしたのに
ある日それはまるで浮雲のように消え散ってしまった。
 ともに琴を奏で、ともに詩を吟じ、ともに酒を飲んだ友は皆私を離れてしまったけれど
雪や月や花が美しい時はことさらに、君が思い出されてならないよ。
 幾度「黄鶏(こうけい)」を聴き、「白日」を歌ったことだろうか、馬に乗った折には、赤い裾の美人を詩に詠ったりしたね呉二娘の「暮雨蕭蕭の曲」は君と江南で別れてから一度も聞いていないのだよ
(注)「黄鶏」・「白日」は歌の曲名。呉二娘は江南の歌手で「暮雨蕭蕭の曲」で、
「夕暮れの雨は寂しげに降り続きあの人は帰ってこない」というフレーズがあったらしい
春蘭曰く
 この詩は、白居易が江南の役人を歴任した後、長安に帰り江南で部下であった協律郎(祭祀を担当する役所の音楽担当官)の殷尭藩(いんぎょうはん)に寄せたものです。
 江南での彼との楽しい思い出を遠い長安の都で思い出す白居易。この詩を受け取った殷尭藩はどんなに嬉しかったかと想像します。


【一八三】
 村上天皇の頃「御形の宣旨」女房は天皇に五寸ばかりの大変に可愛い殿上童の人形を作り、髪を鬟(みずら)に結い、服装などをきちんとして、中に名前を、
「ともあきらの大君」
 と書いて差し上げた。
 村上天皇は成明(なりあきら)、醍醐天皇の皇子はみな「明」字をもつ。そこをねらった命名であるので、天皇は非常に面白がりなされたのだった。

【一八四】
 中宮の許に初めてお仕えした頃、何となく恥かしいことが多くあって、今にも涙が落ちそうなので、夜の宿直で三尺の几帳の後ろに控えているのであるが、絵などを取り出して中宮が見せてくださるのであるが、手でさえさし出せない程たまらなく恥かしい。
「これはああです、こうです。それが・・・・あれが・・・・」
と、中宮は仰せになるのである。

高杯灯台は高杯をさかさにして台底に灯明
皿を置くので普通の灯台より低い。お前の明かりであるから、中宮のお髪などが綺麗に鮮明に見えてまぶしいほどであるが、懸命に見つめた。とても寒い冷たい頃であるので、袖口からさし出しておられるお手のわずかに見えるのが大層つややかな薄紅梅色なのは、限りなく結構であると、まだ宮中を見知っていない里人の感じとしては、このような方がこの世にいらっしゃるのだと、目が覚める程の気持でじっとお見つめする。

暁になると、早く局に下がろうと気ぜわしく退出しようとすると、
「葛城の一言主ね、少し待って」