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私の読む「枕草子」 157段ー200段

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というのは、わざわざ習いとられたのが面白いので、この詩さえ吟じれば出ていって話などするのを、
「宰相中将のおかげですね、その方に向かってお礼の挨拶をなさいませ」
 などという。源中将が局にいるときなどに、
所在を尋ねられると、「御前に」と言ってくれというときに、この詩の件を言うと「ここです」という。中宮にもこうこうなどお話し申すと笑っておられた。



話題になっている『三十の期』の詩の全文は次の通りです。
 見二毛   源英明

 吾年三十五 未覺形體衰
 今朝懸明鏡 照見二毛姿
 疑鏡猶未信 拭目重求髭
 可憐銀鑷下 拔得數莖絲
 臨秋多愁緒 至此又重悲
 悲止思事理 事理信可知
 十六位四品 十七職拾遺
 延長休明代 久趍白玉墀(字がない)
 承平無事  數採警衛旗
 忝入宗室籍 官位得相持
 顏回周賢者 未至三十期
 潘岳晉名士 早著秋興詞
 彼皆少於我 可喜始見遲

 本朝文粋 ほんちょうもんずい
 平安朝漢詩文の総集。14巻。詩中心の総集《扶桑集》(紀斉名(ただな)撰)に対して,日本最初の文中心の総集。編者は藤原明衡(あきひら)。1058年(康平1)ごろの成立か。書名は《唐文粋》により,組織・体式は《文選》による。9世紀前半~11世紀前半の作家69人の傑作427編を文体によって39類に分ける。大江家,菅原家を中心とする当代の文人とその代表的作品をほとんど網羅し,王朝漢文学を一望の下におく。日本漢文学研究上必読の書。
この本にあるそうです、漢文は苦手ですので原文のままで。ネットにありました。
私自身読んでいて、この段は、完全に理解していません。そのままの私の読みを投稿しました。清少納言にとっては面白いいことなのでしょうが、私には全く伝わってきませんでした。明日の所もです。申しわけありません。


 内裏の物忌みの日に右近衛府の第四等官光何とかという者を使いに、畳紙(たとうがみ)に書いて送られた源中将からの文を見ると、
「そちらに参ろうと思いますが、今日と明日は物忌みです。『三十の期に及ばず』はいかがですか」
 と言ってきたので返事に、
「もうその時期はお過ぎになったでしょう。朱買臣が妻を教えたという年ではありませんか」
と書き送ったらその文に悔しがって、帝ににも申し上げなされたので、帝は中宮のところにお出でになって、
「何でそんな唐の故事を知っていたのかな。」
『朱買臣は三十九の年にそう妻を訓戒した』というので。宣方は『うまいことを言われたものだ』と言ってるぞ」
 と仰せになったことこそ、何とまあ源中将(宣方)は熱中し易い方かと思ったことだ。
 
【一六二】
 弘徽殿と呼ばれているのは一条帝の女御義子で閉院左大将の姫君から女御に上がったと聞いている。その方に「うちふしの巫女」の娘左京という女房が居るのを、
「源中将(宣方)がねんごろにしてね」
と、人々が笑う。

 中宮が職においでになった、そこへ源中将
が参上して、
(中宮は長徳三年六月職の御曹司に移られ,長保元年(九九九)八月まで滞在された)
「何かの時にはこちらの宿直もお勤めすべき
ですが、女房なども然るべく取り計らって下さいませんので、甚だ御奉公も疎略な次第です。せめて宿直所でも頂きましたら、本当にまじめにお仕えいたしましょう」
と言う風に言われたので、みんなが「本当に」などと返事をするので、
「ほんとうに誰でもうちふし休む所のあるの
がよろしいですよ。そうした所には繁々お通いになるそうですものね」
と、私が口出ししたといって、
「もう絶対何も申しますまい。味方としてお
頼りしていると、世間の人がいい古した通りに解釈なさるらしい」
などと言って私をひどく本気にお怨みになるのを、
「まあ妙な。私がどんなことを申しましたか。
お気に障るようなことは全然申しません」
と言う。私が側の人を揺すぶると、女房は
「それらしいこともありませんのに、お怒り
出しになるなんて、何かわけがあるのでしょう」
といって隠しもしないで大笑いをする。
「これもあの人(清少納言)のさしがねでしょう」
と、源中将は大層不快そうである。私は、
「決してそんなことは言いません。人がいう
だけでもいやなのですもの」
と答えて、局に下がったので、その後も、
「人に向って恥になるようなことをわざと言った」と源中将は私を恨んで、
「あれは殿上人が嘲笑するために言いだした
のだろう」
と仰るので、
「それでは私一人をお恨みになる筋合でもあ
りますまいに、妙ですね」
と言うと、その後。左京のもとに通うことは全然やめてしまわれたのだった。

【一六三】
 昔が思い出されて懐しいが役に立たないもの。
繧げん縁(うげんばし)の畳のへりの細糸がすり切れて太糸が現われた。
 唐風の絵の屏風のすすけて表面が破れた。
 絵かきの目が見えない。
七八尺の鬘(かつら)が赤茶けたもの。
 葡萄染(えびぞめ)の織物、灰かえったもの。(葡萄染や紫色は椿の灰を加えて染めるので、その色のあせることを「灰かへる」という)
 色好みが老衰してしまった。

情緒のある家の木立が焼けてしまった。池などはそのままであるが、浮き草や水草が茂って・・・・・。

【一六四】
たよりなさそうなもの。
飽きっぽくて相手を忘れ易い婿が始終夜離
れをする。(夜に通ってこない)
 よく嘘をつく人が、それでも人の事をなし
遂げ顔で大切な事を引き受けた。
風が強い日に帆をかけた舟
七八十ばかりの人の気力が無くなってかなりの日数になる。

【一六五】
 読経は不断経。
昼夜間断なく経文を読む、それが貴いとい
う意。

 
【一六六】
 近うて遠きもの。
 神社に仕える者が祭礼を気にしない。
 兄弟は他人の始まり。
 鞍馬の幾重に迂曲した坂路。九十九折。
 十二月晦日と正月一日との間。

【一六七】
 遠くて近きもの。
極楽浄土は遠い所にあるが、阿弥陀仏を念ずる時は近い存在となる。
舟の道。
 人の仲。

【一六八】
 井(ゐ)は,地を掘り下げ水を汲み上げるもの。
武蔵国入間郡堀兼村ほりかねの井。名称の興味。歌枕。
 山城国綴喜郡。井手の玉川として名高い。
走り井は走り流れる井という意。逢坂にあるのが面白い。逢坂の関の清水で有名。
山の井。山中にある井という意。なぜそう浅い例になりはじめたのだろう。
万葉集十六(3807)
 安積香山(あさかやま)影さへ見ゆる山の井の浅き心をわが思はなくに
右の歌は、伝へ云へらく、葛城王の陸奥國に遣さえし時、国司の祇承(つか)ふることうね緩怠(おろそか)にして異に甚し。時に,王の意悦(こころよろこ)びず、怒の色面に顯れ、飲餞(ふあえ)を設げしかども、あへて宴楽せざりぎ。ここに前(さき)の采女(うねめ)があり、風流(みや)びたる娘子なり。左の手に杯を捧げ右の手に水を持ち、王の膝を撃ちて、この歌を詠みき。すなはち王の意解け悦びて、楽飲すること終日(ひねもす)なりきといへり。

飛鳥井,大和国高市郡飛鳥村。
 催馬楽、飛馬井「飛鳥井に宿りはすべし、影もよし、みもひも寒し、みま草もよし」の句「みもひ」は水器の意より転じて水にもいう。