小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

私の読む「枕草子」 157段ー200段

INDEX|2ページ/9ページ|

次のページ前のページ
 

 時の司は漏刻が設置されて
いる。ほん近くにあるので、
時を告げる鼓の音は、いつもより違って聞こえる。漏刻が見たくて若い女房二十人ばかりがそこへ行って階段を上がる。高いところにあがった人たちを仰ぎ見ると、どの人も皆薄鈍色(喪服の色)の裳・唐衣をつけ、同色の単のかさねを着て、紅の袴姿で登っているので、まさか天人などとは言えないが空から舞い降りたのかしらと見えることだ。同じく若い女房でも地位の高い人は仲間に入れず、羨ましそうに見上げているのが可笑しい。

 建春門の東面にある左衛門陣まで行って、はしゃぎ回った者もいたらしいが、
「こんないたずらはしないものだ。上達部が座られる椅子に女房が座り、太政官が座る机の形に似た腰掛「床子(そうじ)」などをみんな倒して壊してしまった」
 などと、文句を言う者がいるが聞き入れもしない。

 建物は古くて瓦葺きであろうか、暑いこと例えようもない、御簾の外に夜もでて、横になる。古い建物でるから百足というものが 
朝から夜まで一日中落ちてきて、蜂の巣が大きくて、そこに蜂が密集しているなど、実に恐ろしい。

殿上人が毎日来て、夜通し話をしているのを聞いて、
「思いがけぬことよ、太政官の役所が今、夜会の揚になるとは」
 と誦しながら出てきたのがおかしかった。

秋になったが、古今集(168)躬恒
「夏と秋とゆきかふ空の通ひ路はかたへ涼しき風や吹くらむ」(去る夏と来る秋と、二つの季節が行きちがう空の通り路は、片側では涼しい風が吹いているのだろうか)
の歌のように、涼しい風が吹いてこない側だろうか、でも秋である虫の声が聞こえたくる。八日になって、中宮は宮中に還啓されたので、七夕の星がここでは普通より近く見えるのは、場所が狭いせいだろう。

 宰相中将齋信(ただのぶ)・源宜方(のぶかた)中将・源道方少納言などがおい出になったのでみんながお迎えに出て、ものを言う中で、私は出し抜けに
「明日はどのような詩を」
と言うと、考えたりつかえたりすることなく、
「『人間の四月』を吟じましょう」
 と白氏文集十六、大林寺桃花の詩をさらりと言われたのが大変におかしかった。

過ぎ去った事でもそれと心得ていうのは誰にせよ面白い中に、女ならばそうした物忘れはしないが男はそうでもなく自作の歌などでさえうろ覚えなのに。このことは、御簾の中の女房達も外の殿上人たちも、わけが分らないと思ったのは当然だ。

この年の四月一日頃、弘徽殿細殿の第四の戸口に殿上人が沢山集まっていた。そのうちに一人一人と退出してゆき、頭中将・源中将・六位の人一人が残って、世の中のいろいろのことを語らい、読経したり、歌を詠ったりなどしていたが、
「もう夜が明けたらしい。おいとましよう」
と、菅家文草「七月七日午女に代りて暁更を惜しむ」と題する詩、
露は別れの涙なるべし珠空しく落ち
雲はこれ残んの粧ひ鬟いまだ成らず
 という詩を頭中将が言われるので源中将も和していい声で詠って帰られるので、私は、
「気のはやい七夕ですね」
と声をかけると、頭中将は大変に悔しがって。
「単に暁の別離の一点を、ふいと思い出すままに言って、いや弱りましたな。一体このあたりでこうしたことをうっかりいうと、とんだことになりますよ」
幾度も笑われて、
「誰にも言わないで下さい。必ず笑われます」
と言って、周囲が明るくなってきたので、
「葛城の神はもう困ります」
と言って、逃げるようにして去られたので、七夕の日にはこのことを言ってやろうかと思うが、齋信は宰相(参議)になられたので、
必ず七夕の折に会うことができない、きよう手紙を書いて主殿司にでも頼んで届けようかしら。

七月七日朝所に参上されたので,うれしくて、あの夜の事など言い出したら悟られるだろう、ただ何となくふいに言ったら、何のことかと頭をかしげられるだろう、そうしたら、その時こそあの事を言おう、と思っていたのに、頭中将が全然まごつかずに応ぜられたのは、真実ひどく面白かった。

この幾月いつかいつかと気になっただけでも、我ながら物好きだと思ったのに、頭中将は何で予期したように言われたのか。あの時いっしょに残念がった源中将は全然考えもじなかったのに。
「例の明け方のことを注意なさるのだよ。分からないか」
 とおっしゃるのに。
「成る程成る程」
と、笑っておられるの、良くはない。

人と語り合うことを碁に譬えて、近くによって話すのを碁の言葉から、
「手ゆるしてけり」
「だめを指す」
 などと言い、
「男は手受けむ」(警戒する)
 などの言葉は囲碁をしない人は知らない、
頭中将と二人で合点し合って言うのを、
「なに、なに」
 と源中将はすり寄って聞くが、私が教えないので、頭中将に、
「あまりひどい、どうしても教えて下さい」。と恨まれて、親しい間柄なので話になった。

 あっけなく親しくなってしまうことを
「おしこちのほどぞ」(碁の終局に近づくこと)
 という。源中将は自分も知ったことを早く知られようとして、
「碁盤がありますか、私も碁を打ちたい。お手はいかがですか、私とお近づきに一番。頭中将と同格です。分け隔てなさるな」
と言う、私は碁の「定目」な定めがない、
「いつもそれでは不節操でしょう」
と言ったことをまた、源中将は頭中将にお話し申したところ。
「いいこと言ってくれた」
 と、喜ばれた。過去を忘れない人は立派である。

齋信が宰相になられた頃、帝の御前で私が、
「あの方は詩吟が大層上手でございますのに。『蕭会稽の古廟をも過ぎにし』というのも、
ほかに誰が吟じますことか。暫く参議にならずにいて下さるとよい。悔しいですから」
 と申し上げますと、大変にお笑いになって
「お前がそういうからとて参議にしまいかね」
と仰せられたのもおかしな事である。それでも、頭中将は参議になってしまわれたので、真実物足りなかったのだが、源中将は頭中将に負けない気で、子細ありげに出入りするので、私は宰相中将(斉信)のことを口にして
「『末至三十期(未だ三十の期) に及ばず)』
と言う詩を、全然他の人とはちがって吟ぜられましたよ」
と言うと、
「私だって何でそれに劣ろう。もっと立派にやりますよ」
 と言って詠まれたが、
「てんで似ても似っきません」
と言ってやると、
「がっかりしますな。何とかして彼のように吟じたいものだ」
とおっしゃられるので、
「『三十の期』という所は、全体ひどく魅カがありました」
と私が言うと、源中将は悔しがり、笑ってあるくうちに陣に着き、中を見ると宰相中将が近衛の陣に着座しておられたのを、源中将はそっとわきに呼び出して、
「清少納言がこういうのだ。どうでもそこの所を教えてくれ給え」
と、頼むのを笑いながら教えられる。

 そんなことは知らないので、源中将は私の局の所に来て、宰相中将そっくりの吟じ方をしたので、不思議な気がして、
「これは、何方に」
 と問うと、笑い声で、
「すばらしいことを申しましよう、かくかく、昨日陣に勤務しまして、色々と教えて貰ったので、まずは似たというわけでしょう。『
誰に』とまんざらでもない様子でお尋ねですね」