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私の読む「枕草子」 157段ー200段

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【一五七】
 困惑している風に見えるもの。
夜泣きと言う独特の技をする嬰児の乳母。
 好意を寄せる二人の女両方から嫉妬される男。
 頑固な物の怪の調伏を引き受けた修験者。
祈祷の効験だけでも早速現われるならよかろうに、なかなかそうもゆかず、それでもさすがに物笑いにならぬようにと我慢している。
 大変に苦しそう。

むやみに猜疑をする男に深く愛された女。

摂政関白の邸などで羽振りをきかせている人も、気楽にしてはいられまいが、それはまあよかろう。

いつも焦立っている人。

【一五八】
 うらやましく見えるもの。
経を習うと、大層たどたどしく、忘れ易くて、何回も同じ所を読む、法師であれば当たり前のことであるが、普通の男でも女でも、すらすらと気楽そうに読んでいるのを見ると、一体いつになったらあの人のようになれるかしらと思うことだ。

気分を悪くして寝込んでいるときに、笑い声をあげたり話をしたり、心配をしてくれもせずに歩き回る人を見ると羨ましい。

 伏見稲荷は上・中・下にお社がある。中の社に登り苦しいが念じて登ったところ、苦しくもなくすいすいと登ってきた後続の人たちが追い越して先に詣でるのは、実に素晴らしく羨ましい。

稲荷の二月午の日例祭の暁時に急いで坂の中腹まで登ると巳の刻になってしまった。その上だんだんと暑くさえなってきて心底やりれない気持ちになって、何でまあ、こんな日でなく他によい日もあろうに。一体どうして詣でたのかとまで思い、涙も落ちて疲れきっている所へ、四十すぎたばかりの女が、壷装束の旅姿ではなくて、単に着物の裾をたくし上げただけの姿で、
「私は七回お参りに登っていますよ、三度はもう終わりました。後の四回ぐらいは何ともないでしょうよ。まだ未の刻には下山するでしょう」
と、道で会った人とちょっと話をして下山していった。体が何ともなければ聞きもしなかった言葉であったが、今の私はあの女のようになりたいと思った。

女の子、男の子、法師になった子でも、よい子を持った人は大変に羨ましい。
髪が大変に長く美しく、先が綺麗にそろって整髪されている人。また、
 高貴な人が多くの人から畏まられたり大切にかしずかれたりしておられるのは、
 見ていて羨ましい限りである。
 筆跡もうまく書けて、歌も綺麗に詠んで、
何かの行事には必ず取り上げらっれる、羨ましい。

 御前に女房が大勢伺候している時、奥ゆかしい方へお届けになるお手紙の代筆などを、一体誰が鳥の足跡のように拙く書くわげがあろう、それにしても。局に降りている者をわざわざお呼びになって硯を差し出して書かせになるのは、羨ましい人である。

そうしたことは家々の老女ともなれば、事実は「難波津に咲くやこの花冬籠り今は春べと咲くやこの花」の歌で初歩の練習に励んでいる、に近い人でも事柄次第で書くのだが、
今言っていることはそのような場合でなくて、上達部などへ、また、初めて宮仕えをしようとする娘さんなどに送る文は、格別念入りに、料紙をはじめ色々用意させられるのを、女房達は集っては冗談にも羨み言うよぅだ。

琴笛の類を習ぅ場合も亦未熟な間はさぞこの人のように早く巧くなりたいと思うだろう。

帝や東宮の御乳母。主上附きの女房が、お妃のどの方にも気兼ねなしにお出入りする。


【一五九】
 はやく知りたいもの。
 巻染、固く巻いた布の上を糸で巻く。
むら濃(ご)、濃淡まだらに染め出す。
くくり物、しぼり染め。糸でくくって模様を出す。

知人が子供を出産する、男児か女児か早く聞きたい。貴人の場合はいうまでもない、つまらぬ身分の者や召使の程度でもやはり聞きたい。

除目が行われたその翌暁。知人で必ず任官するはずの人がない場合もやはり聞きたい。

【一六〇】
 きがかりな、待ち遠しいもの。
 人の所に急ぎの仕立物を縫いにやって、今か今かと苦しい気持で坐り込んで、じっと彼方を見守り続けている心持。
子を産むはずの人が、予定の日を過ぎるまでその気配がない。

遠方から愛する人の手紙を貰って、固く封じた飯糊など開ける間、大層じれったい。

祭の行列見物に遅く出かけて、既に行列ははじまってしまい、白い杖など見つけた時は、車を見物の桟敷に近づけるまで、いらだたしくていっそ下りて行きたい気がすることだ。

自分がいるのを知られまいと思う人がいるので、傍の人に言い含めて挨拶させた時の気持。

 いつ生れるかと待ちかねて生れた児がやっと五十日・百日の祝時分になった、その将来は実に待ち遠しい。

急ぎの着物を縫うのに、薄暗い中で針に糸
を通す時。しかしそれは仕方ないとして、自分はめどがあるにちがいない所を押えて人に糸を通させると、その人も急ぐせいか急にも通せないのを、
「いやもう通さないでけっこう」
 と言うのを、それでもどうして通さずにおくものかと言った顔で、その場を去りかねているのは、じれったいどころか憎さまで加わる。
 
何の用事でも急にどこかへ行かなければならぬ折に、先に私がどこそこへ行き、すぐに車を返しますから、と出かけた車が帰ってくる待つ間はそれこそ実に待ち遠しいものだ。

大路を行くのを見て、あれだな、と喜んでいるとほかの道にそれてしまった。悔しい。

 まして祭の行列見物に出かけようとする、
「行列はもう、始まってしまっていますよ」
 と人が言っているのが耳に入る、これこそ侘びしい。

子供を出産して後産が遅れている。
物見や寺参りに、同行するはずの人を迎えに行くに、車を寄せて停めるのであるが、すぐに乗ってこないで待たされるのは、待ち遠しくて心がいらいらして、ほっといて行ってしまおうという気持ちになる。

 また、急に煎炭(いりすみ)をおこさなくてはならないのに、なかなか火がつかない。
あぶって湿気を抜いた炭だというのに。

 人から貰った歌の返歌を急いでしなければならないのに、うまい言葉が出てこないのもいらだたしい。

自分に想いをかけている人などにはそれ程急がないでもよいだろうが、自然また急がなければならぬ折もある。
まして女でも普通の文通では、はやいのが肝要だと思ううちに、急ぎすぎて却って妙にまずいことも起るものである

気分が悪く、心が恐ろしがっているときに夜が明けるのが待ち遠しくて心がいらいらしている。


【一六一】
中宮の父親藤原道隆が長徳元年(九九五)四月十日薨去。その服喪中の頃、六月晦日の日に大祓が行われるが中宮が御出席なさるはずであったが、お住まいの職の御曹司は方角が悪いというので、太政官庁の朝所に行啓された。「朝所(あいたん所)」は参議以上の人の食事をする所である。

 その夜は暑くて深い闇で、何も見えない不安な夜を過ごして明け方を迎えた。

翌日、周りをよく見ると、家屋は背が低くて短い建物で、瓦葺き、唐風で、様子が変わっていた。いつもの格子などがないので、屋敷周りを御簾で囲ってある、なかなか珍しくて風情があり、女房達は庭に降りて遊ぶ。

花壇に、わすれな草が竹や木で作る低くて粗い垣に沢山植えてある。花がくっきりと房になって咲いているのは、こ
ういう格式ばった所の値込み
には大層よい。