私の読む「枕草子」 133段ー156段
開いてみると、胡桃(くるみ)色の色紙の厚紙であるので、何だろうかと開いていくと、法師らしい風変わりな筆使いで、
「これをだにかたみと思ふに都には
葉がへやしつる椎柴の袖
(せめてこの喪服だけでも故院のかたみと思って脱ぎかねているのに、都ではもう花の衣に着かえてしまったのだろうか)」
(椎は四位を意味し、藤三位が四位から三位になったことをいう)
と書いてあった。(後拾遺集00583)
何とまあ呆れた癪な事だろう、誰なんだろうか、仁和寺の寛朝僧正(宇多天皇皇孫。円融院の潅頂師)だろうか、と思うが、まさか僧正がこのようなことを仰るまい、藤大納言が前にあの院の長官でいらっしゃったから、その方がされたのだろう。これを早く主上や中宮にお知らせしなければと思うのだが、心許ないので有るが、厳しく言われた物忌みのことを果たそうと、藤三位は我慢してその日を送り、その翌朝。藤大納言の許に、この歌の返歌を書いてそっと置かせたところ、すぐにまた返歌を詠んで寄越こされた。
その二つの歌を持って藤三位は、急いで、
「こんなことがございました」
と、主上・中宮が同席されているところに持参して話をされた。中宮はさりげなくご覧になって、
「藤大納言の筆跡ではなさそうね、法師の手ではないかな。昔鬼がした悪戯みたいね」
大層まじめくさっておっしゃるので、周りの者達が、
「そうなら、これは誰の仕業か、風流好みの公卿や僧綱としては誰がおりますか。あの人か、この人か」
と、不審な人を上げて知りたがるので、主上が、
「この辺にあった色紙にそっくりだな」
と、微笑まれて、もう一枚御厨子棚の所においてあったのをとって与えられたので、女房達は
「あらまあ、ひどい。訳をおっしゃいませ。頭が痛くなりました。どうして、しっかりと訳をお聞きしたい」
女房達はさんざんに責めて、恨んで、申し上げて最後に笑い出したので、主上はゆっくりと、
「使いに行った蓑虫鬼童は、臺番所の刀自の許にいる者だが、小兵衛女房が仲間に引き入れてそちらに使いに出したのだろうよ」
などと言われる。宮も笑い出されたので、藤三位は中宮の体を揺すって、
「どうして、こんな悪戯されたのだろうか。本当に、私は手を洗い伏し拝んで開封いたしたのに」
笑いながらくやしがっておられる様子も、実に得意そうで、愛敬があってよい。
さて、清涼殿の臺番所でも大笑いに笑って局に下がってこの童を捜し出して、文を受け取った人に見せると
「たしかにこの童でした」
と言う。
「どなたの文をどなたがお前に渡したのか」 と聞くが、童は何とも答えないで、とぼけた顔で逃げ去った。藤大納言後から聞いて、笑い転げられたそうである。
【一三九】
退屈なことは。
住む家を出て他所でする物忌。
駒が進まない双六。
双六は黒白各十五の駒を盤の上に相対して積み、賽の目によってこれを下ろし進め、早く下り切った方を勝とした。
除目(じもく)に役職を得られなかった人の家。
長雨は本当に退屈なものである。
すごろく、は平安女房達の遊びの一つで詳しくはネット、すごろく(ウイキペディア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%99%E3%81%94%E3%82%8D%E3%81%8F#.E7.9B.A4.E5.8F.8C.E5.85.AD
に詳しい説明があります。
灌頂の師 かんじょうのし
密教の伝法灌頂を受けた人で、他人に灌頂を施し得る資格のある阿闍梨。大阿闍梨。
灌頂
昔インドで、国王の即位や立太子の儀に、四大海の水をその頭頂に注いだ儀式から
1 仏語。
菩薩が仏位に登るとき、法王の職を受ける証として諸仏が智水を頭に注ぐ儀式。
密教で、香水(こうずい)を頭に注ぐ儀式。灑水杖(しゃすいじょう)という棒の先に水をつけて頭に軽くあてる。受戒するときや修行者が一定の地位に上るときに行う。結縁(けちえん)灌頂・伝法(でんぼう)灌頂などがある。
墓石に水を注ぎかけること。
2
雅楽・平曲・音楽や和歌などで奥義や秘伝などを授けること。
(ネットから)
【一四〇】
退屈を紛らすもの。
碁・雙六・物語。
三、四歳の子供がおかしな言葉を言う。また、もっと小さい稚児が意味のない声で何かを物語るが訳がわからない。
よくしゃべり冗談を言う男が来たとき、物忌みに当たったのであるが、退屈しのぎに家に招き入れた。
【一四一】
取り柄のないもの。
容貌が醜い上に意地の悪い人。
飯をやわらかく煮て作ったのり「姫糊」を塗った、これは甚だ万人が嫌うそうだ、といって、今中止するわけにもゆかない。
葬送や魂祭にたく門燎(かどび)の送り火。
「あと火」に火箸。
何となく世間にないことではないが、今書いているこの草子も、人に見せるものではないので、不確かなこと、憎いことも、ただ思ったことを隠すことなく書こうと思い立ったのである。
【一四二】
なんと言っても石清水と賀茂社の臨時祭りほど素晴らしいものはない。石清水は三月中の午の日、賀茂社は十一月下の酉の日に行われる。祭りの前に主上にお見せする試楽も大変に楽しい。
春のお天気がのどかで日差しが柔らかい日に、清涼殿前の庭で。大蔵省の仕事で宮中の席・床或いは清掃のことを掌る掃部司(かもんづかさ)の人たちが、畳を敷いて、勅使は北向きに、舞人は主上の方を向いて、昔のことを思い出して書いているので記憶違いがあるかもしれない、「所の衆」と呼ばれる蔵人所の下役たちが、三方をとって公卿達の前に置き並べた。舞人に従う楽人というので「陪従(べいじゅう)」と呼ばれている地下の楽人たちが、この日だけは主上の御前を庭に出入りできるのが珍しくておかしい。
公卿・殿上人たち、代わる代わる杯をとって、最後に、屋久貝(やくがい)を磨いて杯にした「青螺(せいら)杯」を手に酒を飲む と立ち上がり、そうして、
「とりばみ」という料理の余りを庭上に投げ、それを下衆どもが拾う。男達がそのことをするのが盛況になると、主上の前のご馳走は女房達が取り分ける。思いかけず、庭燎・筆火等をたく火焼屋(たきや)は無人と思っていたのに急に人が出てきて、投げられた食べ物を多くとろうと騒ぐとはまあ・・・・・・、かえってとり落してもてあますうちに、軽い気持ちでひょいと取り上げて帰ってしまう者には劣るが、金銀・衣装・調度品など各種の品物を納めて置く場所の納殿(おさめどの)火焼屋をうまい具合に物置場として使って、拾った食べ物を保管してまた拾いに出る。その姿が本当に面白かった。
儀式の準備や片付けをする掃部司(かもんづかさ)の者達が出てきて畳を引き上げると、庭園の掃除をする主殿寮の者達が手に手に箒を持って現れ綺麗に砂をならす。
仁寿殿の北にある承香殿の前で、笛を吹き
笏を打って拍子を取り楽しんでいるのを、早く舞人が出てくるとよいと待づうちに、
「有度浜に、駿河なる有度浜に、打ち寄する波は七くさの妹、ことこそよし、ことこそよし」
と、東遊(あずまあそび)の駿河舞の一節
作品名:私の読む「枕草子」 133段ー156段 作家名:陽高慈雨