私の読む「枕草子」 101段ー133段
「どこそこが不用心だ。火の用心をせよ」
と、言っているようである。参詣を終えた人たちなのか。
七、八歳ばかりの男の子が、愛くるしくしかもえらぶった声で従者の男たちを呼ぴつけて何か言っている。大変にそぐわない感じである。
また、三歳ほどの稚児が寝ぼけてちょつと咳などしたのも、大層かわいらしい。また、乳母の名や母などをふと口にしたのも、誰であるかと知りたがる。
一晩中大声で(法師が)勤行し明かすので寝入りもしなかったが、後夜のお勤めなどがすんですこしまどろんだ。寝耳にその寺の本尊に縁のある経文観音経を、大層荒々しい声で尊く誦み出した、特にそれ程尊いというのでもなく、ただ修行者めいた法師で、蓑を仮に敷いて座を作っているのが誦む、なんか驚かせたようで有り難いと聞いている。
また夜は籠もらないで、かなりの身分の人が青い鈍い色の指貫に綿入りの白い衣を多く着重ねて、子息達かと見える若い男の見栄えのするのや、着飾った童女達を連れて。侍などの類が大勢畏まって坐って祈念しているのも変わった光景である。
仮の屏風を沢山に並べて、少しは額ずきなどするらしい。顔を知らぬ場合は誰だろうと知りたいし、知っている場合はあの人だなと見るのも面白い。若い人たちはとやかくやと女達の固まる局のあたりをうろついて、仏様の方には目さえお向け申さない。寺務を扱う別当などを呼び寄せて、耳打ちをし話を交して出ていった、そんな態度をとっても、いい加減な者とは見えない。
二月晦日、三月一日。外は花盛りである野に、家に籠もっているのはおかしい。
きれいな若い男達で主人と見える二三人が、
桜襲の狩衣や柳襲の衣など見栄えがする。くくり上げた指貫の裾も此方の気のせいか綺麗に見える。似つかわしい従者に飾りをおもしろくした餌袋(弁当入れ)を持たせて、小舎人童たちに、紅梅・萌黄の狩衣、色さまざまの衣や、乱れ模様を摺り出した袴を着せている。「花を折る」花やかに装わせて侍のように細い太刀を腰に差して、寺院の本堂の正面にかけて紐で鳴らす円く扁平な太鼓様の鐘「鰐口」を打つのが美しく見える。
きっとあの人だと見える人もあるが、先方はこんな人混みの中でどうして気付こう。そのまま通り過ぎてしまうのも物足りないので、「此方の様子を見せたい」などいうのも変なことである。
このようにして寺に籠もり、その他どこでも平常行かないで、ただ召使だけといるのは、甲斐のないものだ思い知った。やはり自分と同じ程度の人で、同じ感情で楽しいことも憎いこと悲しいことも共有できて話し合うことが出来る召使いを必ず一人か二人は、または大勢誘いたい。その召使の中にも気の利いた者もいるけれど、見馴れているせいで興味がないのだろう。男性などもそう思うからだろ、わざわざ同行者を探し求めまわることは。
【一二一】
ひどく気にくわないもの。
祭は賀茂祭。禊は即位・大嘗会その他神事の際に行われる行列がいづれもある。これを見るための見物に男は、唯一人車に乗って見るのが多い。どういう気持ちがするのであろう。たとえよい身分でなくとも、若い男などで見たがっているのでも乗せてやったらよいのだ。簾越しにただ一人ちらちらと外から見えて自分だけ熱心に見守っているなんて、自分勝手と言うものである。どれ程狭量でこにくらしい人なのかど思われる。
どこかへ行ったり寺詣りしたりする日が雨であった。召使いなどが、
「私を愛して下さらず、誰さんこそ現在第一のお気に人り」
など言うのをちらと耳にした。
人よりは少しだけ気に懸けていたが、あれこれ推量したり、むやみな恨みごとをいったり、自分こそはとえらぶったりするん、っだ。
【一二二】
みすぼらしく見えるもの。
六月七月頃の午・未(うま・ひつじ)頃までの時分、汚い車にいい加減な牛をつけてのさばって行く者。
雨の降らない日に筵で覆いをした車。
大変に寒い日、または暑い日に賎しい女で身なりの悪いのが子を背負っている。
小さい板ぶきの家の黒く汚なげなのが雨に濡れている。
また、大層に雨が降る日、小さな馬に跨って先駆け(前駆)をする。被る冠はひしげて上の衣も濡れて下襲と一つになってしまっている、なんと侘びしい格好だと見てしまったが、夏はそうであっても良い。
【一二三】
暑そうな者。
袷の狩衣を着る近衛府の官人の長。
いろいろの布片を継ぎ合わせて作った袈裟。
朝廷で射儀。相撲などの儀式の際、庭上に臨時に設ける座「出居(いでい)」に坐り威儀を正す近衛の少将。
色黒で大変に太って頭髪の多い人。
七弦琴の袋。金襴などの厚地の織物で製するという。
七月の加持祈祷「修法」を勤める阿闍梨。
正午の時に勧業をすると大層暑いだろうと思いやる。
また、同じ時刻の鍛冶屋。
【一二四】
恥ずべきもの。
好色な男の心。
目が覚めやすい、貴人の家に伺候し終夜加持を行う僧「夜居(よい)」の僧。
窃盗(こそ泥)が然るべき物陰にひそんで此方を見ていようとは一体誰が知ろう。
暗いのをよいことに懐中に何かを盗んで蔵い込む人もいるだろうよ。
それは泥棒と同じ心であるから、本物の泥棒は可笑しいと思うだろうよ。
夜居の僧は大変に恥ずかしい思いをする。
若い男が集まって人のことを言って笑う、非難をしたり憎んだりする。それを夜居の僧は
じっと耳をすまして全部聞くだろう、その心の内は、思っても気づまりだ。
「あなた達嫌なことを言って、喧しいよ」
年かさらしい女房が顔色に出していうのも若い人々は聞き入れず、散々しゃべりちらしたあげくは、皆くつろいで寝てしまう、その後の夜居の僧の心中を思えば気がひけることだ。
男というものは、相手の女が厭わしく理想に合わず、はがゆく気に入らないことなどがあると見ても、面と向った時は、女をおだてて心にもないことを言い、頼りにさせなどする、それこそ女にとってはずかしい次第だ。
まして、情を解し、感じがよいと他に知られなどした男性は、並大抵な愛し方だと思わせるような持て成しなどはしない。心の中だけではなく、またすべて、この女のことはあの女に言い、あの女のことはこの女に言い、互に聞かせるらしいのに、女は自分が言われていることは知らずに、男がこう語るからは、やはり自分を他の女性より以上に愛してくれるらしいと思うだろう、そう男が思うのは実に気はずかしいことだ。
いやもう、そんなわけだから、すこしでも愛してくれる男にあうと、これもちょっとした気紛れだろうと思われる事もある、そんな場合は別に気恥かしい事もありはしない。
女がひどく痛わしく気の毒で、見すてがたいことなどを男がてんで何とも思わないのも、いったいどういう気持かと呆れることだ。
それでも他人のことは非難し、言葉多く批評することよ。格別頼りになる人もない宮仕の女性などを手なずけて、普通の身体でなくなった様子などさえ知らぬ顔ですましてしまうよ。
【一二五】
何にもならないもの。恰好がつかないもの。
潮干狩りの場にいる大船。
風に倒された大木、根を上にして横ざまに転っている。
つまらぬ人が召使を解雇した。
高僧の足下
作品名:私の読む「枕草子」 101段ー133段 作家名:陽高慈雨