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私の読む「枕草子」 101段ー133段

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「水菓子や酒の肴の用意をさせよ、この者達に酒を与えて」
 などと仰せられ、本当にみんなが酒に酔って女房達と話し合い互に愉快だと思っている様子だ。

主上は日没の時分に起き出られて、山の井の大納言と呼ばれている藤原道頼。道隆の長男。伊周らの異母兄。正暦五年(九九四)権大納言。祖父兼家の養子。をお召しになって
御袿を召しかえられて還御になる。桜がさねの御直衣に紅の衣を召されたタ映えのお姿なども、長いので書くのは略した。

山の井の大納言は、異腹のため親しみの浅い兄君の剖合には、大層お立派だ。匂うように美しい点では此方の大納言(伊周)にも勝っておられるのに、世間の人はひどく軽んじ申す、実に気の毒なことだ。殿・大納言・山の井・三位の中将・道隆の五男、頼親内蔵の頭みなさんが主上の御供に従われる。

中宮に参内されるようにとのお使として、
右馬権頭藤原時明娘の「馬の内侍」が参上してきた。中宮は、
「今夜はとても参れません」
と、渋っておられた。殿がそれを聞いて、
「それはいけません。早速参内なさいませ」
と言われるのに、東宮が淑景舎を召されるお使が度々来るなどと忙しい。

お迎えに東宮の侍従という女房が来て「はやく」と、ご催促される。中宮は、
「それでは先にあちらの方(淑景舎)をおかえし申してから」
と、仰ると、
「それでも何で私が先に・・・・」
と淑景舎は言われる。中宮は、
「お見送りしましょう」
などと仰るのは目出度くて可笑しい。
「では遠い方を先にしましょう」
と言われて淑景舎がお帰りになって、殿が自邸に帰られてから中宮は参内される。参内される途中で中宮と私は、殿の御冗談を思い出して大笑いし、すんでに反橋から落ちそうな程だった

【一〇五】
 清涼殿の殿上人の詰所より梅の花がみんな散った枝を「これをいかが思われますか」と言ってきたのに、ただ、私は、醍醐天皇延長七年正月廿一日内宴の時の紀長谷雄(江納言とも)の詩序「停盃看柳色(盃を停めて柳の色を見る)」の詩を、
「大庚嶺之梅早落。誰問粉粧。匡廬山之杏未開。豈趁紅艶。
(大庚嶺(たいゆれい)の梅は早く落。たれか粉粧(ふんさう)をとはん。匡廬山(きやうろざん)の杏(あんず)はいまだひらけず。あにこうえんをおはんや)
(大庚嶺の梅は敵てしまって。白いよそおいをみるによしなく。杏はまだ咲かないから、紅のあですがたも求めるによしない。青柳の色をめでるばかりで十分ではないか)

 おや、もう散ってしまいましたか」

と答えたので、殿上人はその詩を誦(ず)しながら清涼殿北方にある黒戸に沢山集まっていたので、主上がお聞きになって、
「一通りの歌など詠んでさし出したのより、この方がずっとよい。うまく答えたものだ」
と仰せられたと。

【一〇六】
 二月の末頃風がひどく吹いて空が非常に曇って、雪が少し降ってきたところで、黒戸に
主殿寮(とのもろう)の役人が来て、
「ちょっとすいません」
 と言われて横に寄ったところ、
「これを、藤原公任宰相殿から」
 と言って示された懐紙を見ると、歌学芸道の達人として知られた人である、
「少し春あるここちこそすれ」
 下の句が書いてる。本当に今日の空模様に合っている。この上の句をどうしようか、と思い悩む。
「御同席はどなた様方ですか」
とお聞きすると、
「その方、あの方」
 と、答えが返ってくる。皆さんが、此方が気おくれするほど大層立派な方々の中で、特に公任宰相へのお返事を、どうしていい加減に相談することが出来ようか。中宮にお見せして好い知恵を拝借しようと思うが、主上が見えて已にお休みである。主殿司は「早くご返事を」と責め立てる。

成程まずい上に遅くまでなっては全然とりえがないので、ままよ、何とでもなれと思って
空さむみ花にまがへてちる雪に
(空が寒いために散る雪が、花かと見紛うので)
公任宰相が、白氏文集の十四 南秦雪
二月山寒少有春 
(二月(にがつ)山寒くして春有ること少なし)
からひねり出した下の句であると考えて
三時雲冷多飛雪 
(三時(さんじ)雲冷やかにして多く雪を飛ばし)を私は使った。


私はふるえふるえ書いて渡して,この文を読んで先方はどう思うかしらと心配だ。これに対する批評を聞きたいと思うにつけ、もし悪く言われているなら聞くまいと思うのに
「源俊賢(としかた)宰相、『やはり内侍に任命して頂くように奏上しよう』そう決定なさいました」
と。左兵衛の督当時中将であられたその方がお話し下さった。

【一〇七】
 行く末遙かなるもの。
半臂(束帯着用の際抱と下襲との間に着る)のつけ紐。羅で製し、合せ目は縫わずにひねり合せたとみえる。

 陸奥の国へ行く人が逢坂越えるときに感じる。
生まれたばかりの稚児の大人になるまでの間。
大般若波羅蜜多経。六百巻を一人で読経しだした。

【一〇六】
 源方弘、真から人に笑われる者であるかな。親は、そう言われていることをどう思って聞いているのだろう。供に従う者達で人並なのを呼び寄せて、
「何であんな男に使われているのだ、どう考えているのだ」
 などと言って笑う。方弘の家庭、物をきちんとととのえる所で下襲・上の衣など、人一倍よいものを着ているのに紙燭で焦がし、あるいは、
「これを誰かに着せてやりたい」
などと言うので、言葉使いまで本当に可笑しい。

 自分の家に宿直用の品物を取りに行かせるとい、
「下仕え二人で行ってこい」
 と言うのに、
「一人で取りに行ってくる」
 と言う。そうして、
「変なことを言う奴だ。一人で二人の物をどうして持てばよい。一升瓶に二升は入らない」
 と、方弘が言っているのを何の事かはっきり分る人はないけれど、大笑いする。

 誰かの使いが来て、
「ご返事を早く」
 と言う、と、
「ああ何って癪な奴め、何でそんなに慌てるんだ。竈で豆を炒る。清涼殿の殿上の間の墨・筆も誰かが盗んで隠した。飯や酒ならば欲しがる人もあるだろうが、そんなの誰も欲しがらないよ」
 と言うのを、みんなが笑う。

女院、東三条女院詮子。一条天皇御生母。が病にかかったというので、方弘は主上のお見舞のお使として参上して帰って行った。
「女院の御殿には誰々がいましたか」
と、人に問われたのであの方この方と四五人の名前を言うが、
「そのほかに誰が」
 尋ねると、
「退出した人々がいました」
と言うので笑うのであるが、これもまた風変りなことではある。

方弘、人の見ぬ間に私のそばへ寄って来て
「あなたさま、申しあげます。先ずは、とある方が言われたことですよ」
と言うので
「なんのこと」
 と言いながら几帳の方に寄っていくと、
「むくろごめ(身体ぐるみ)にお寄りなさい」
 と言うところを、五体ごめ、頭・両手・両足ごとにお寄りなさい、と言ったと人に笑われた。