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私の読む「枕草子」 93段ー100段

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 などと棄てるように言って立ち去るのは言う甲斐もなく憎らしい。
 
 国司の赴任して吏務をとる者受領(ずりょう)などの家に、然るべき邸の下僕などがやって来て、無礼な口をきき、無礼にふるまうとて自分に対して何ができようなど思っている、それは実にしゃくなものだ。

見たい手紙を人が横取りして庭に下りて見ているのが、大層なさけなくくやしくて、追っかけていって見るが簾の所に立ち留って見ている。今にも飛び出したい程の心地がするものだ。

【九六】

わきから見て気がかりなもの。笑止なもの。

十分その音をひきこなせない琴を、よく調律もしないで、よい気になって弾き鳴らしている。
客人が来られて話をしていると、奥の方で無遠慮なことを言っているのを、とめることもできないで聞いている心地。

 愛する男がひどく酔って同じことをくり返している。聞いておられるにもかかわらず、その人の悪口を言ってしまう。その人が、それはどれ程の人でなくても、召使などのことでも、聞きづらい。

「旅だつ」自宅外の所に暫時滞在する先で下賎の者達がふざけ合っている。見た目ににくらしい幼児を、自分だけの感じでいとしいままに、いつくしんだり、かわいがったりし、その児の声の通りに、言ったことなど人に話し聞かせている。

学識のある人の前で学識のない人が物知り顔に人の名など言った。うまいとも思われない自作の歌を他人に披露して、人が褒めたりした由をいうのも聞きづらい。

【九七】

 あさましきもの、あきれる者。

 木賊(とぐさ)ですり磨いた飾りとして髪にさす櫛。すり磨いているうちにものにひっかかって折れてしまった気持ち。

牛車が転覆した。そうした大型なものは、どっしりしているかと思ったのに、なんだ夢のようにあきれて張りあいもない。

人にとって恥かしく為にならないことを、遠慮もなくいっている。
今夜必ず訪れてくるはずだと思う人を、一晩中寝ずに待ち通して、明けがた頃にふと忘れて寝込んでしまったのに、烏が近くで「かーかー」と鳴いて空を見ると昼になっていた。なんと浅ましいことよ。

見せたくない人に、その人と関係ない人に持って行く文を見せた。全然知らず見もしない事を人が真正面から、抗弁もさせぬ程のけんまくで言った。何かをひっくり返した時の気持あまりのことにあきれる。

【九八】

 残念なもの。なさけないもの。

毎年十一月行われる五節・毎年十二月二十九日から三日間行われる御仏名、雪が降らなくて雨が空を暗くして降るなかで節日その他公事の際に行われる宴会に、然るべき大きな御物忌が重なった(御物忌は内裏の物忌)。この折は四方拝を除き主上の出御がない。

準備をして早くその日になるとよいと待っている事が、支障が出来て急に中止になった。
音楽、もしくは見せたいことがあって、お呼びした人が来られない、大変に口惜しい。

 男女、法師も、出仕先から、同じような人が同道で、寺詣りにでも物見にでも出かげる時、裾などが牛車の簾から風流にこぼれ出ていて、趣向が、はっきり言えば風変りで、あまり見苦しいとも見れば見られる程だのに、
見せがいのあるような人が、馬・車いずれにしても、出て来たと思ったら見ることなく終るのは大変に悔しい。
情なくなって、風流心のあるしもべなどで、他の人にも話して聞かせられそうな者がいればよいと思う、それも甚だけしからん事だ。

【九九】

正月・五月。九月は斎月と称し、戒を保って精進する。
長徳四年(九九八)五月に中宮が職の御曹司に在住された頃、寝殿内に周囲を壁で塗りこめた塗籠(ぬりこめ)の前の柱間二つを仕切って一室とした「二間」を格別に設備したので、普通と変った様子であるのもおもしろい。

 一日より雨模様で曇りの天気で過ごす。退屈なので、
「時鳥の声でも尋ねていこうか」
 と言うと、我も我もと出かけた。
 加茂の奥の何々崎と言うところは、かささぎという名ではなくて妙な地名があった、その辺に時鳥が鳴きますと人が言う。
 そこへと、五日の朝に中宮職の役人に車の用意を頼んで北門にある武官の詰所の処に、
五月雨の頃は乗車のまま陣を通過してもさしつかえない例ですといって、車を寄せ四人ばかりが乗って出かけた。残った者が羨ましく思い、
「もう一台用意して、同じことなら私達も」
と言うと
「いけません」
 と中宮が仰せになるので、聞き入れずに薄情な風をみせて出かけると、一条西洞院にある左近の馬場という処で、人が大騒ぎしている。
「何をしているのです」
 と聞くと、
「射手を左右に分けてする競射をしています。弓を放っています。しばらくご覧になって下さい」
 と言うので車を止めた。
「左近の中将、一同御着座です」
というが、その人が見えない。地下の六位などがあちこちしているので、
「見たいとも思いません。とっととおやり」
と言って、ずんずん進んでいく。道中、加茂祭りを思い出して楽しい。

この処には、道隆の室貴子の父高階成忠の三男明順(あきのぶ)家がある。そこも見ようと車を寄せて降りる。
家は田舎風で、万事簡略にしてあり、馬の絵を描いた障子(現在の襖)、杉や檜の薄板を網代に編んで張った屏風、三稜(みくり)草の茎で編んだ簾など、気をつけて昔風を移している。

建物の様子も簡素で、寝殿造で対の屋と寝殿との間を渡す細長い建物「廊」のように造り、端近で、奥深くはないが風情がある上に
本当に、喧しいほどに時鳥が鳴く声を残念にも宮さまにお聞かせ申せず、またあれ程ついて来たがった人々なのにと思う。明順は、
「田舎は田舎らしくこんなものでも見るのがよいでしょう」
と言って、稲というものを取り出して、若い下働きで、見栄えの好いそこらの家の娘達を連れてきて、五六人で稲を扱かせて、さらに見たこともないくるくると回る物を二人して回させて歌も唄わせる。引き臼という物を回すときの作業歌だそうである。珍しい物を見せて貰ってみんなが笑いながら見ていた。

時鳥の歌を詠もうとした。混乱する。
支那風の絵のような装飾の食器台懸盤(かけばん)に食器色々載せて食事を出していただいたが、見向く人もないので、主人の明順(あきのぶ)が、
「大層子供っぽく田舎じみていますね。こういう所へ来た人は、どうかすると主人が逃げ出すばかり責め立てて召しあがるものですよ。これでは一向あなた方らしくない」
 などと言って座を取り持ち、
「この下蕨(わらび)は私が摘んだものです」
 などと言うが、
「まあどうしてそう下役女官などのようにお膳に並んで頂きましよう」
 と言って笑うと、
「ではお膳から下ろしまして。いつも腹這いに馴れておいでの皆さんですから」
と、あれこれ食事を設けてもてなすうちに
「雨が降ってきました」
 というので、急いで車に乗るときに、
「ところであの時鳥の歌は、ここで詠むのがよいでしよう」
 と女房の一人が言うので、
「そうですね、でも、道の途中でもいいでしょう」
 などと答えて皆乗車した。