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私の読む「枕草子」 81段ー85段

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 平安中期の公卿。六条左大臣と称される。正二位。宇多天皇皇子の敦実親王と左大臣藤原時平の娘の子。賜姓源氏。天徳4(960)年参議となったが,9年後の安和の変で左遷された左大臣源高明の女婿であったため一時昇殿を止められた。正暦5(994)年左大臣に至ったが,翌年病死し正一位を賜られた。父親ゆずりで音楽に秀で笙笛をよくした。『大鏡』に「恋愛ごとは下手であったが若々しく愛敬があり人なつっこい」性格とある。宇治に別荘を所持しこれを没後藤原道長が購入(道長の妻倫子は重信の姪)子の頼通に伝えられ平等院となる。

 橘則光。長徳二年(九九六)修理亮(修理職の次官)となる。
橘敏政の子で母は花山院御乳母右近。陸奥守、従四位上。997年花山院供奉人(「小右記」)。1004年花山院の道長第御幸に奉仕。1013年2月、叙一階を請い、藤原道長の家司に似たり(「御堂記」)。1019年7月、陸奥守(「小右記」)。在任中の砂金の事で辞任の後まで問題を残す。(「左経記」)。
(ネットから)


「批評せよとか理解せよとかいうのではない。
人に語るように聞かせなさい」
 と言われた、これはあなたの兄として少々遺憾な思われ方ではあったけれども、一同、上の句をつけてみるが、適当な表現法がない。
「ではこれとは別に返事をしたものだろうか」
 などとお互いに言い合わせて
「つまらぬ返事といわれては却って癪だろう」
 ということで夜中までいらっしゃった。

 このことは、私自身のためにもあなたのためにも、祝いごとではありませんか。
 官吏任免の司召しで少しばかりの官職を得たくらいでは、何とも思われそうにありませんよ」
 と言うので、成程大勢でそんな計画をしていようとも知らずに、何とまあ癪なことだったのだろう。これではじめて胸がどきりとしたのだった。白分と則光とを兄妹と呼ぶことは、主上までも皆御存知で、殿上でも、修理亮という官名で呼ばないで「せうと」と名付けられている。

 則光と四方山話をしている時に、「ちょっと」と中宮のお召しがあったので、参上したところ、昨夜来のことをお聞きになられた。
 主上が中宮の所においでになって、この一件をお話し申されて。殿上人達は皆あの句を扇に書きつけて持っていることなど、中宮が仰せになる。まあ驚いた、何だってそんなことを言い触らさせたのかしら、と考えた。
 そうしてその後は頭中将が袖で顔をふさぐのをやめ誤解を解かれたようだった。

【八三】

 翌年長徳二年、二月廿日すぎ。(史実としては廿五日)。中宮が職の御曹司へお出かけになった。職の御曹司は凝花舎(ぎようかしゃ)。内裏五舎の一で清涼殿の西北にある。


 私はお供をしないで梅壺に残っていた。

 次の日に頭中将唐の消息で
「昨日の夜に鞍馬山へ参詣に登ったが、今宵
方角が塞がっていたのでこれから方違に出かける。明朝は未明に帰るはずです。必ず貴女に言わなければならないことがあります。あまり戸をたたかせぬようにして待っていてください」
 と、おっしゃったのだけれども、
「局になぜ一人で居る、ここに寝るように」
と、御厘殿(貞観殿内の裁縫を掌る所)の別当(その長官)の中宮の妹をお呼びになり、お出でになった。

ゆっくりと寝て下の自分の局に降りたところ、次女が、
「昨夜どなたかひどく戸をおたたきになりましたが、眠たいのをかろうじて起きていましたが、その方は『上に上られたか、そうであれば、このようにお知らせせよ』とおっしゃりましたが、とても起きられはしないだろうと、このように寝てしまいました」
 と、告げた。約束したのに何と誠意のないやりかただろうと思って、 侍女の言うのを聞いていると主殿司が来て、
「頭中将殿が申されます『ただ今、内裏からそちらへ出かけるが、あなたに申したいことがあるのです』」
 と言うので、
「用事がありまして上局へ参ります。そこでお目にかかりましょう。
」と言っておいた。

 局では隔ての戸を引きあけなさるかと、胸さわぎがして厄介なので、梅壺の東側の半蔀を上げて、
「ここへ」
 と言うと、すばらしい様子で歩み出てこられた。

 表白、裏赤・紫の桜がさねの直衣が素晴らしく、裏の艶が何ともいえずきれいなのに、浅い紫色の指貫、藤の折枝の模様を豪華に織り散らして、紅の綾の出衣(いだしぎぬ)砧で打った艶、輝くように見える。

 白や薄紫の下着などが多く重なり狭い縁に片足を下に置いたまま、少しばかり御簾近くにおられる、その姿は、本当に絵に描かれた目出度い物語のようであった。

 中宮の御前の梅は、西のは白く、東は紅梅で満開は過ぎたけれども、なお美しくのどかにうららかにみんなに見られている。御簾の内にいる女房達、ましてまして若々しい女房などが「髪うるはしう、こぼれかかりて」などいったような様子で、応答などしたとするなら、今以上に見がいもあろうというものだが、事実はとうに盛りを過ぎて古めかしい人が髪など自分の髪ではなく、かもじを用いているためか、あちこちふわふわ散らばって、宮方の人は皆、この前年(長徳元年)四月十日関白道隆が薨去し、今は服喪中のため鈍色を着用して、服色を改めている頃なので、色の有無も不明瞭な薄鈍色の衣や、色の区別も分らない表衣などばかり、何枚も着ているが一向見栄えもしない上に中宮がご不在であるので裳も着用しないで、唐衣を着ないで袿だけを着重ねて居並ぶので、せっかくの情景もぶちこわしで残念な事だ。

「これから職の御曹司へ参上する。ことづけはありませんか。あなたはいつ参上しますか」
 とおっしゃられる。
「それにしても昨夜、明けもしないうちから、いくらなんでも予めああいっておいたのだから待っていてくれるだろうと思って、月が大変に明るく、前日方違に行った所、西の京より内裏に帰ってくる早々局をたたいた時、やっと寝とぼけ起きてきたあの女の様子、返答のそっけなさ」
 などと言ってお笑いになり。
「まったく厭になってしまったなあ。なんであんな女を留守においたのですか」
 と言われる。なるほどそうでもあったろうと、おもしろくも、また気の毒にも思ったことだった。

 しばらく居られてからお帰りになった。外に居て見てた人は、興味深く、内にどんな美人がいるのだろうと思うに違いない。もし誰かが奥の方から私の後姿を見たとしたら、まさか外にあれ程の美男がいようとは思いもしないことだろう

 夕暮れになってきて、職の御曹司に居られる中宮の処に参上した。御前には大勢の人が参上していて、殿上人なども伺候して、物語の優劣や感心できない点などを判定したり非難したりする。源涼、宇津保物語の主要人物・藤原仲忠、宇津保物語の主人公。その者達のことを、中宮もその優劣の度合などを批判されて仰せになる。女房の一人が、

「さてこれはどうでしょう。はやく判断して下さい。宮様は仲忠の生い立ちの賎しさを強調なさるのですよ」
 などと言うと、私は、
「どういたしまして、涼はきんの琴(七絃)なども天人が聞き惚れて天降る程には弾きましたが、至ってつまらぬ人です。仲忠は紅葉の賀に琴を弾じ女一宮を賜わったが、涼は皇女をいただきましたか」
 と言うと、仲忠びいきの人々は得意になって、