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私の読む「枕草子」 81段ー85段

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「それご覧なさい」
 と言うのに、中宮は、

「そのようなことより、お昼に、齋信(ただのぶ)が参っていたのを見たが、もしあなたが見たなら、どんなに夢中になって褒めることかと思いましたよ」
 と、仰せになる、
「本当にいつもよりも、理想的でございました」
 女房が言う。私は、

「真先にそのことを申そうと存じまして参りましたのに物語のことに紛れまして」
 と、先刻の梅壷でのことをお話し申し上げると、
「それは私たちも皆見ましたが、まあそう縫った糸や針目まで細かく見たかしら」
 と女房は言って笑う。

西の京と言うところが荒れてしまっているのを、齋信(ただのぶ)が、
「一緒に見る人があったなら、と思ったことです。垣なども古くなって苔が生えています」
 と言うと、宰相の君という中宮の女房が、
白氏文集、四「驪宮高」の詩句から、
「高々驪山上有宮。(中略)翠華不来歳月久。墻有衣兮瓦有松」
 と言うのを取り出して、
「瓦に松がありましたか」
 と答えたので、大変に褒めて、彼女が取り上げた句に続く「吾君在位已五載。何不一幸乎其中。西方去部門幾多地」の最後の節、
「西の方、都門を去れる事いくばくの地ぞ」
 と口ずさむ事など、女房達がやかましい程に齋信のことを褒め騒いだのは、まことに興味ふかいことだった。

【八四】

 里の家に退出していた頃に殿上人達が訪ねてくるのをとやかく人々は噂をするという。ひどく気がかりに遠慮している覚えもないので、そういわれても憎いことなどあるまい。

 また、昼も夜も来る人を何の必要があって「不在」などと恥をかかせて追い返せよう。真底親しくなどない人までも噂通りやってくるようだ。余りにうるさいのでこの度は、どこにいると一般には知らせない。長徳四年十月左近権中将になられた左中将源経房(つねふさ)の君と源済政(なりまさ)だけが知っていた。


「宮様は仲忠の生い立ちの賎しさを強調なさるのですよ」。
 宇津保物語の仲忠は幼時山中の木の空洞に住み、母(俊蔭の女)を養った。宇津保、俊蔭の巻に見える。そのことを指している。


【瓦の松】
《白居易「新楽府・驪宮高」の「牆に衣有り、瓦に松有り」から》屋根瓦の上に生えた松。古びた家の形容にいう。古郷の垣穂の蔦(つた)も色づきてかはらの松に秋風ぞ吹く」〈新後拾遺・秋下437 宗尊親王〉

検非違使の尉(じょう)則光(のりみつ)
が来て、話をするが、宰相藤原齋信が参上されて
「昨日、宰相藤原齋信が参上されて、
『妹の居所をいくら何でも知らぬ訳はあるまい。言えよ』
 と、しつこく聞かれましたが、私は知らないと申しましたところ、意地悪く追究されたことよ」
 などと言って、
「事実を曲げて争うことは実際辛いものだ。
すんでのことに笑いそうになったが、左中将経房が、至極平気で知らん顔しておられたのだが、もしあの方に目でも合せようものなら、笑うにきまっていたので、弱りきって、食膳の上に若布があったのをとって、やたらに口におしこみ、何とかごまかしたので、中途半端な折に妙な食事だなと居合せた人々は思っただろうよ。そのお蔭でよくも貴女が何処と申さずにすんだ。もし笑いでもしたら、一切無駄になるからな。宰相中将が、本当に私は知らないのだろうと思われたのもおもしろいな」
 などと語るので、私は、
「決して申しあげないで下さい」
などと言っていく日かたった。

夜が更けた頃に門を非常に大げさにたたくので、一体何の必要があって、無考えに、遠くもない門を高くたたくのだろうと思い、たずねさせると、滝口の武士であった。
「左衛門尉(則光)の使者」
と、名乗って、文を届けに来た。みんなが寝ているので点いている灯火を持ってこさせて文を見ると、

「明日、季の御読経の最終日で、宰相の中将は物忌みで家に籠もられます。『妹のありかを申せ、申せ』と責められるには、もう致し方ない。これ以上はとても隠しおおせられますまい。実はこれこれだとお聞かせしましょうか、どうでしょう、貴女の希望に添いましょう」
 と言う文面である。返事は書かないで、またあの布(め)の方法でうまく切りぬけて下さいという意味で、布を一片紙に包んで返事とした。

 その後にやってきて、
「先夜は宰相中将から責めたてられて、あちこちいい加減な所をお連れして歩き。まわりました。本気で詰問なさるので実に辛い。ところで、先夜どうして何ともお返事はくれずに、他愛ない若布の切れ端などを包んでよこされたのですか。妙な贈り物だなあ。人の所にそんなものを包んで贈るという法がありますか。何かと取り違えられたのかな」
 と言う。若布をおくった意味が少しも分つていなかつたのだと思うと癩なので、硯を取って横にあった紙の端に、
 かづきするあまのすみかをそことだに  
ゆめいふなとやめを食はせけん 
(水に潜る海士のように人に知らせない私の住みかを、どこそこと決して言って下さるなと、そういう合図のつもりで若布を送ったのでしょうよ)
 と書いて差し出すと
「歌をおよみでしたか。これは詠むわけには参りませんな」
 と、ひらひらと紙切れを振りながら私に返して帰ってしまわれた。

 このように親しくし、互の世話などするうち、これといぅ訳もなしに則光と少し疎遠になったが、文を送ってきた。
「不都合な事などありましても、やはりお約束した点はお忘れなく、よそ目には、あれは兄の則光だとくらい思って見て下さるように
お願いします」
 と書いてあった。

 則光がいつも口ぐせにすることは、
「私を愛される程の人なら、歌というものを詠んで下さらないことだ。憎い相手と思いますから。今は最後と絶交しょう、そう思う時こそ、歌などというものは詠むがいい」
 なんて言ってきたので、この返事は、

くづれよる妹背の山の中なれば
さらに吉野の河とだに見じ
(妹山背山が崩れて、その中を流れる吉野川がすらすら流れぬように、一旦崩れた二人の仲では決して今までの親しいあなたと見るわけにゆきますまい)

と言うように言ってやったが、則光は(例の口癖のように)真実見ずにしまったのか、返事はなかった。
そうして任官して遠江の介となり、二人の中は憎らしいままで切れてしまったのだった。

【八五】
 
 「物の哀れ」を分からせるというものは。水っぱなを垂らし、たえまなくかみながら話すときの声。毛抜きで眉毛を抜くときの女の顔。