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私の読む「枕草子」 61段ー80段

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 女の愛人として来訪した場合はいうまでもなく、ほんの一談合する場合でもまた、それ程でもないが、その時、何かのついでにふと来たりする人が、御簾の中に入って話し合っている所だったら、中に入ってきて座りこんですぐに帰る様子でもなく、供をして来た、男や童が、なんのかのと中をのぞき、様子を見ては、
「この分では斧の柄も朽ちるというものだぜ」
と、石室山で仙童の囲碁を見ている間に斧の柄が朽ち、驚いて家に帰ると知人は皆死に絶えていたという、「述異記(じゅついき)」に見える晋の王質の故事から、長時間が過ぎることに譬えて言う。気分がくさくさすると見えて、長々とあくびをして、自分では内密のつもりで言うのだろうが、
「ああ、困ったことだ。煩悩苦悩(ぼんのうくのう)つらく苦しい目を見る。夜といってももう夜中だろうぜ」
 と言ってしまった。甚だ気にくわない。
 そんなことを言うあの者達は何とも思われず、中に入り込んでいるこの主人が、今までは風流だと見られもし評判もされていたことまで、消え失せてしまうような気がすることだ。

 また、そんなにひどく顔色に出しては言えず、
「ああ」
 と、大きな声で言い放って、呻いたのも
 古今六帖、五、いはで思ふ
「心には下行く水のわき返り言はで思ふぞいふにまされる」(2648)
「下行く水の」
 口には出せないのかと気の毒だ。

 土居(つちい)に柱を立て蔀格子をはめる
 立蔀(たてしとみ)・竹や板で間をすかして作った垣、 透垣(すいがき)の許で、
「竹や板で間をすかして作った垣」
と、ぶつぶつ申すのも、大変憎いものである。大層高貴の方の供人などはそうでもない。貴族の子弟の程度の供人では、まあよい。それ以下の分際では皆先に述べた通りだ。 大勢の供人中でも気だてのよいのを選んで連れて歩きたいものだ。


ゴイサギ
 全長58cm。成鳥では頭から背は緑黒色で、翼の上面は灰色です。若鳥は灰色味のある茶色で斑点模様があります。日本では本州以南にすんでいます。巣は樹上に造り、何羽も集まって集団繁殖(コロニー)します。ゴイサギのみではなく、コサギ、アオサギなど他種とも集まってコロニーをつくります。
ゴイサギは、昼間は林の中でじっとしていて、夕方から川や池へ出かけていって魚を捕る夜行性のサギです。


爛柯(らんか)は、囲碁の別称の一つで、中国の『述異記』などにある伝説に基づいたもの。
晋の時代に信安郡の石室山に王質という木こりがやってくると、そこで数人の童子が歌いながら碁を打っていた。王質は童子にもらった棗の種のようなものを口に入れてそれを見物していたが、童子に言われて気がつくと斧の柄(柯)がぼろぼろに爛れていた。山から里に帰ると、知っている人は誰一人いなくなっていた。

どい【土居】

 城郭や屋敷地の周囲に防御のために築いた盛土のこと。土塁とほとんど同じ意味であるが,近世までは土居の語を用いた。

【透垣】すい‐がい

《「すきがき」の音変化》板と板、または竹と竹との間を、少し透かしてつくる垣。すいがき。「所どころの立蔀(たてじとみ)、―などやうのもの、乱りがはし」〈源・野分〉
(ネットから)

【七五】

 有り難い即ち滅多にないもの。

 舅に褒められる婿。また、姑に可愛いと思われる嫁の君。
 眉毛を抜くのによく抜ける銀製の毛抜き。
 主人の悪口を陰で言わない従者。

 一点の癖もないこと。
 容貌・性質・態度ともに立派で、世渡りする間一寸の欠点もない。
 同じ所に住む人、互いに慎しみ合い、すこしの隙もなく気を配っていると思う人が、最後まで心底を見せない、それこそ滅多にないものだ。

 物語や歌集を書き写すときに、原本に誤ってまたは故意に墨を付けない。評判のいい草子なんかはひどく注意をして書くけれども、そういうものほど最後は汚くなってしまっている。
 男女の間は今更いうまい、女同志でも、深い関係で睦び合う人々が、終りまで仲のよいことは滅多にない。

【七六】

 宮中における女房の局は細殿が大層よい。
蔀の上半分を上げると、風が気持ち良く吹き込んできて、夏でも大変に涼しい。冬は雪・霰などが風の強さに従って降り込んでくるのが面白い。

 狭いので女童(めのわらわ)などが上った場合は具合悪いが、屏風の内側に隠れさせると、狭いので慎しんで、他の場所の局のように聲を出して笑うこともせず、甚だよい。昼間は油断なく気づかいされる。夜間はまして気を許すことができそうもないのが、少し滑稽である。

 沓の音が夜通し聞こえるが、それが止まって、指一本でたたくその音が、あああの人だとすぐ分る、それが実に面白い。長くたたくので中では物音もしないのでもう寝入ったと思うだろうかと癪で、すこし身じろぎする。衣の摺れる気配、そのかすかな衣ずれで、外の男は、まだ起きているのだなと思うだろうよ。

 冬は、火鉢にそっと立てる火箸の音も、あたりを憚っていると聞えるものを男は一層ひどくたたき、声に出してまで呼ぶので、物陰からそっと忍び寄って懸け金を掛けたままで聞くときもある。

 また、大勢の声で詩を誦し、歌などを詠う時は、たたかなくともまず開けてあげると、別にここへ来られるとは思わなかった人までが立っている。坐りこむわけにもいかないので、立ったまま夜を明かすのも可笑しいのに、几帳の帷子(かたびら)が女房の袖口の色と重なって見えて、直衣をほころびに着た君たち、六位の蔵人の、萌黄色の黄ばんだ色で、晴の日に限りその着用を許される麹塵(きくじん)の袍を着て、万事心得顔で、遣り戸の側に寄りそって立つことはできず、塀の方に背中を押しつけて神妙に袖をあわせて立っている姿が可笑しい。

 また、指貫の色が濃くて、直衣が鮮やかで色さまざまの衣を出衣(いだしぎぬ)にした人が局の簾を中へ押し入れて、なかば入り込んでいるようなのも、外部から見たらさぞおかしな光景である。綺麗な硯を引き寄せて文を書き、あるいは女房の鏡を借りて姿を見直して改めているのも、この人達の行動すべてが可笑しなことである。

 帷子が五幅の三尺の手元の几帳を隔てに立てたら帽額(もこう)と几帳の間の空間が少しある、簾の外に立っている殿上人と内に坐っている女房と話をする、その時の空間が、顔の所に丁度よく当っているのは面白いものだ。
 ということは、殿上人は長押の一段低い所に立ち、その視線が几帳の中の女房の視線と斜めに合う、それが帽額と几帳との間のわずかなすき間だということである。
丈が高すぎ低すぎする場合はどうだろうか
やはり世間並の丈の人なら皆そうだろう。


毛抜き
 眉毛を抜く習慣から毛抜が常用された。普通は鉄製。銀製のものは外見はよいが力がない。

ほころび
 当時の着物の着方。現在は分からない。

麹塵(きくじん)の袍
天皇の御着用。萌黄色の黄ばんだ色で、所の衆は晴の日に限りその着用を許された。但し綾織物は許されない。所の衆は蔵人所の下級職員。

 帽額(もこう)
 簾の上辺に布帛を横につけて縁としたもの。帽額はマウカクの略音便で人の額にあたるもの、額かくしの意。

【七七】