私の読む「枕草子」 61段ー80段
まして、十一月下の酉の日に行われる加茂の臨時祭りの当日も歌舞を予め楽所で調習する調楽などは大変に趣がある。
主殿寮(とのもりょう)の役人達が長い松明をを点灯して、蔵人達は首をえりの中に引き込めて歩くので、松明の先端は今にもものに突き当てそうな程だのに、楽しく楽器を奏でて笛を吹き鳴らして格別な感じだと思っていると貴公子達が束帯姿で立ち停り、姓名を名乗るのに、供の随身達は先駆けの声を短くそっと言って、自分の主君のために後に従ってはいるが、楽の音に混じって似合わないので変に聞こえる。
格子をあげたまま楽人達が帰るのを待っていると、貴公子達が風俗歌、荒田
「あらたに生ふるとみ草の花、手に摘みれて宮へまゐらむ、なかつたえ」
と歌っている。今までの奏楽より、もうすこし面白いのに、何という堅い人なのか、そのまますげなく歩み去ってしまうのもいるので、皆が笑うと、女房の一人が、
「まあちょっとお待ちなさいよ、何でこんな楽しい夜を捨ててお急ぎなさる」
なんて言うと、その人は気分でも悪いのか、今にも倒れそうに、もしや誰かが追って来て捕えるのかと見える程、あたふたと出てゆくのもいるようだ。
【七八】
内裏の東北方、陽明門より建春門に至る道に面する中宮職内に設けた仮の御座所。定子は長徳二年(九九六)二月廿五日から三月四日まで、および長徳三年六月廿二日から長保元年(九九九)八月九日まで、ほとんどここに住まわれた。その頃、木立が奥深く、屋根高く人気遠い感じであるが、何というわけもなく興味ぶかい気がする。母屋は鬼門に当たるというので南側へしきりを作り出して南の廂に御帳台を置いて中宮の御寝所とし、また廂(孫廂)に女房が侍した。
近衛の御門(陽明門)より、門の西に当たる建春門内に設けた武官の詰所に向かう高官達の先駆けが掛ける声は、殿上人は短いので大先駆け、小先駆けと判定して騒ぐ。毎日のことであるので、その者達の声を聞き覚えてしまって「その方だ」「あの方だ」などと言う、「いいえ違います」などというと、
「誰か見ておいで」と下女が走り、「そうです」言い当てると「それごらんなさいよ」などと言うのも可笑しい。
有明時にひどく霧がかかっている庭に、降りて歩かれるということをお聞きになって、中宮も起床なさった。お側の女房は皆簀子に出て坐ったり庭に下りたりして遊んでいると次第に夜は明けてゆく。
「衛門の詰め所を見て見よう」
と、行ってみる、私もと追いかける女房が何人かいくと、殿上人の多く声が聞こえてくる、
「池冷やかにして水に三伏の夏なし 松高うして風に一聲の秋あり」
と誦してこちらにやって来る音がするので、逃げかえって内に入り、声を掛ける、
「月をご覧なさい」
と、褒めて歌を詠む者もある。
夜も昼も殿上人の絶えることがない。上達部までお出でになる、特別のこともなく、急ぐこともない場合は大抵必ず参上される。
【七九】
つまらぬもの。面白味のないもの。
わざわざ思い立って宮仕に出た人が、その宮仕を大儀がり、厄介そうに思っている。
養子(とりこ)にした男の顔が憎い様相である。娘が気が進まずにいる男を親が無理に婿に迎えて、結果が思わしくないと嘆く。
【八〇】
心地がよいもの。
正月初の卯の日に禁中に卯杖(うづゑ)
を奉るときの寿詞。
神楽を奏する人々の指揮者、人長(にんちょう)
祭礼に幡を振って練り歩く者。
六月十四日祇園の御霊会に宮中より馬を遣され、その長。腰に造花などつけて花やぐ。
池の蓮が村雨に遭う。
傀儡(くぐつ)事執(ことと)り。遊芸人の長。
加茂の臨時祭りの調楽は、清涼殿の東庭において祭の二日前に行われる試楽のことと解される。公事根源に「試楽は調楽ともいへり。まづ音楽を調べ試みる心なり」と見える。
主殿寮(とのもりょう)の役人。宮内省に属し、庭園の清掃、節会の松明・庭燭などをつかさどる。
「日の装束」は朝服で束帯をいう。衣冠を宿直装束というのに対する。
倭漢朗詠集、納涼、源英明
「池冷水無三伏夏 松高風有一声秋」。
「池冷やかにして水に三伏の夏なし 松高うして風に一聲の秋あり」 (164)
(池辺の松蔭に立ち寄れば池は水が冷んやりとして炎熱をおぼえないし、松の梢高く吹きすぎる風には秋の爽やかな響きがある)
三伏夏とは立秋の前後三十日のもっとも暑い時期。初伏・中伏・後伏各十日間をあわせて三伏と言う。
梁塵秘抄二、雑に「池のすすしきみぎはには、夏のかげこそなかりけれ、木(こ)高き松を吹く風の、声も秋とぞきこえぬる」(434)。唯心房集にも未旬「声も秋とぞきこゆなる」に作って出。朗詠から今様へ変容したものである。枕草子七八段、職の御曹司におはしますころの条に「殿上人あまた声して、なにがしひとこゑの秋と誦んじて参る音すれば、逃げ入り、物などいふ」というのもこの句が朗詠として愛誦された一証である。謡曲の大鼓・東北・四行桜にも引用される。
卯杖は正月初の卯の日に柊・挑・梅・木瓜その他の木を五尺三寸に切り、一束乃至二、三束に結び諸衛府より禁中に奉るもの。「ことぶき」はその際の寿詞か。能因本等に「ほうし」とあり、通説に法師の意とする
神楽を奏する人々の指揮者を人長と称する。一曲終る毎に起って舞う。神楽は神前の歌舞。
作品名:私の読む「枕草子」 61段ー80段 作家名:陽高慈雨