私の読む「枕草子」 31段ー38段ー
真に尊く気持ちが落ち着くのでそのまま寺に留ってしまいたい気がする。我が家のごたごたとした俗事は忘れるだろう。
【35】
小白河と言うところは、権大納言右近衛大将で中宮大夫(円融帝中宮遵子の)を兼ねている小一条左大臣師尹(もろただ)の二男済時(なりとき)の邸宅である。その邸宅で上達部達が、仏縁を結ぶために世俗の人が僧を招いて行う法華八講(ほっけはっこう) である結縁の八講の催しを行った。
宮中に関係のある者達は大変に立派な会であると
「おそく行く車などは立てようもない」
朝露の置くとともに起きて行くと、成程噂通りすき間もなかった。
前列の轅(ながえ)の上に後列の車台をさし重ねて。近く寄って聴聞しようと車が密集する。三列目位までは幾らか講釈も聞えそうだ。
六月十日で、猛烈な暑さである。池の蓮を見いるだけが何となく涼を呼ぶ感じ。
左大臣源雅信、右大臣藤原兼家両方が御出席であるので上達部全員が臨席するのは当たり前のことである。
紅(くれない)と藍とで染めた色。やや赤みのある青色の指貫・直衣。薄い藍(あい)色。みずいろ。うすあお色の帷子、いづれも薄く透けるようである。少しだけ年輩の方は。表裏ともに濃い縹(はなだ)色の青鈍色の指貫、白い袴。大変涼しそうである。小野宮実頼の孫である佐理(すけまさ)宰相らどなたも若く見えるように装い成されて、いずれも優れなさっておられることはこの上ない。有り難い眺めである。
【帷子】.かた‐びら 《袷(あわせ)の片枚(かたひら)の意》
1 裏をつけない衣服の総称。ひとえもの。
2 生絹(すずし)や麻布で仕立てた、夏に着るひとえの着物。《季 夏》「青空のやうな―きたりけり/一茶」
3 経帷子(きょうかたびら)のこと。
4 几帳(きちょう)や帳(とばり)などに用いて垂らす絹。夏は生絹(すずし)、冬は練り絹を用いた。
「御几帳の―引き下ろし」〈源・若紫〉かたびらゆき【帷子雪】
薄く積もった雪。また、一片が薄くて大きな雪。《季 春》
廂の御簾を高く上げて長押の上に。上達部達は奥の方に向かって長く坐っている。その次が、殿上人、若君達。狩装束姿・直衣姿が大変上品で、とてもおちついて坐っておられず彼方此方に立ち姿でまごまごしているのが可笑しい。
小一条左大臣師尹(もろただ)の孫。済時(なりとき) の養子となった藤原実方(さねかた)兵衛の佐(すけ)・長命(ちょうめい)侍従ら良家の子弟がもう少し参加された。その中には未だ童である方も参加していて可笑しくも有り可愛らしかった。
少し日が落ちる頃に 今の関白道隆,当時従三位右中将殿は唐綾の薄物二藍の直衣・二藍の織物の指貫・濃蘇枋(こすほう)の下の袴それに、糊をつけ漆塗の板に張り光沢を出した白いとても鮮やかな単衣を着用されて、歩み入りなさる、あれほど軽装で涼しそうな方々の中で、何となく暑苦しそうであるがそれでも大変ご立派にお見受けられた。
扇の骨には朴の木製のものと漆塗りのもの
とあるが、ただ赤い紙を一般の人達がお使いになっているその扇の動きが撫子が満開で咲いている光景によく似ている。
未だ講師が登壇されないほどに、懸盤が並べられてなにかある、料理が運ばれるのである。一条摂政伊尹(これただ)の五男三十歳
の義懐(よしちか)の様子は常より勝っていらしゃるのが限りなく最高である。色調の揃った花々と赤などのあざやかな色が美しく映え、いずれがまさるとも見えぬ人々の惟子の中で、中納言はそれを袴の下に着こめ、ほんとうにまったく、ただ直衣だけしか着ていない風で、常に車の方を見ながら話をされる。風情があると見ぬ人はなかった。
後から来た車は車を立てるに適当なすき間もなかったので池の端に引き寄せて車を立てるのを見て、義懐(よしちか)中納言は実方の君に
「口上をうまく言えそうな者を一人」
と言われて部下をお召しになるので、如何なる人が居るのかと見ると選んで一人が側に侍していた。あの女車にどう言ってやったらよかろうかと、側近くおられる方々だけで相談されて決められたようであるが、言葉が聞こえなかった、確りと準備をして車の側によると使者に期待する一方で、笑って見ておられる。使者は女車の後方によって。車は後向きに立てるから後方が正面になる。使者は車の尻の方に寄っていって久しぶりであるから
「歌でも詠うのであろうか、兵衛の佐実方返歌を考えておけよ」
などと笑いながら実方に言い、それでも返書をいつになったら聞かれるか、はやく聞きたい、年とった上達部にいたるまでが女車の方を見詰めていた。立って聴聞を聞いている人までもが見詰めているのも可笑しい。
使者が車の主から口上の返事を聞いたのか
少し此方の方に歩いて来ると車の主の婦人が扇を差し出して呼び返すので、歌などの文字を言い損ねたくらいでこのように呼び返そうか、長い間かかったのだから、自然そうときまったことは、簡単に直すべきでもあるまいに、と私には思われた。
使の者が近く帰りつくのも待ち遠しく、
「どのように、何とある」
皆が使いに言う。使者は何とも応えないで、
使に命じられたのは権中納言(義懐)その人だから、そこに参って勿体ぶって言上する。
三位の中将道隆、
「早く言えよ。あまり風流に考えて、返事をし損なうなよ」
というと、
「この御報告も興のないことですから、そこなったも同然でございます」
という答えである。九条師輔の九男為光大納言当時四十五歳が、他の人よりも目だって首を出して、
「何と言われた」
と尋ねられると、三位の中将道隆は、
「いとなほき木をなんおしをりためる。ごくまっすぐな木を、わざと押し折ったようなものだ」
高津内親王の歌、
「直き木にまがれる枝もあるものを毛を吹き疵をいふがわりなさ」
から言われる様になった諺を言って答える。
権大納言は大笑いされたので皆も大笑いする声があの女に聞こえたであろうか。
権中納言義懐は部下の直接使いに立った者に、
「そうだ、呼び返された前には何と言っていたのだ。之は書き直したものだな」
と、問うと使者は、
「私は長いこと立っておりましたが、どうとも返事がありませんでしたので『それでは失礼します』と帰りかけるのを呼び止められまして」
と言う。
「誰の車であった。知った者であったか」
など不審に思われ、
「そうして歌を詠んでお前に渡したのか」
と言っていると説教の講師が登壇してきたので一同席におちついて講師の方ばかり見ているうちに、例の女車はかき消すようになくなってしまった。
結縁八講(けちえんはっこう)とは。
仏縁を結ぶために世俗の人が僧を招 いて行う法華八講(ほっけはっこう)。
藤原 師尹(ふじわら の もろただ)は平安時代中期の公卿。摂政関白太政大臣・藤原 忠平の五男。小一条流の祖。 ... 左大臣に源高明、右大臣には師尹が就いた。師尹は 実頼と謀って、妃が高明の娘である年長の為平親王を外して、守平親王を東宮に立てた
藤原 済時(ふじわら の なりとき)は平安時代中期の公卿。左大臣藤原師尹の次男。
藤原実方、
生年: 天徳4頃 (960)没年: 長徳4.12 (998)
作品名:私の読む「枕草子」 31段ー38段ー 作家名:陽高慈雨