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私の読む「枕草子」 31段ー38段ー

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【31】

 気がせいせいするもの・満足なもの。
良く絵がかれた女絵。古物語の類に取材した大和絵、詞書(ことばがき)を面白く告げて分量の多いもの。

 賀茂祭・御禊・行幸などの行列を見物しての帰り女房達が車に同車して簾の下から衣などのはみ出て車に従う男たち多数、牛飼童が牛を上手に操る牛車が行く。
 
 白い清らかな陸奥紙に大変細く格段の差がある筆跡で文章が書いてある。

麗しい色の生絹糸を灰汁で煮て柔くして練ってきちんとした糸をより合せたもの。

 丁半に同じ目が出る「丁」の目が多く出るとき。

弁舌さわやかな占者に頼んで河原で、人から呪われたので、災難をよけるための祓をしてもらった時。
 就寝して夜中に起きて水を飲むこと。
 
閑をかこっている時に、あまり親しくもない友が来て、世間の話、最近世間で可笑しな話不思議な事、または憎い事件をあれこれと表向の話でも内輪の話でもあいまいでなく聞きよく語る、大変に気が晴れるものである。

 神仏に人をして願う事を告げ申させるのに、
お寺は法師、社は禰冝(ねぎ)その人達が陰気で無く爽やかな、神佛に告げる言葉をつっかえもしないですらすらと分かりやすく申し述べた時。

【32】

 檳榔毛(びろうげ)の車は長閑にゆっくりと走らせる。急がせると見苦しい。

網代車は速く走行する。人の門前を通過したのを、今の車は誰であったかと考えさせるのが面白い。ゆっくりと進み行くのはいけない。

【33】

 説教をする僧は顔が良い。講師の顔をじっと見つめていてこそ、講師の話が尊いものと聞かれる。

ちょっとわき見でもすると、すぐに忘れてしまうので、そのとき醜い講師だと聴衆は仏罰をうけはしないかと思う。
 
 しかし、こんなことを言うのはやめよう。程よい年ごろにはこんな罰あたりのことを書き出しもしたろう、しかし年老いた今は罪障がおそろしい。

説経は尊いことだ、自分は信心が強いといって、説経する所はどこも最初に行って坐る。
わたしのこの罰あたりの根性では、まさかそうまでしなくても・・・・と思われることだ。

現職から離れた蔵人、現職時代は行幸などの際の先払いと言う役目もしないで蔵人の職を退いた年には内裏には姿を見せなかった。今はそうでも有るまい。


六位の蔵人のうち任期満ちて五位に叙し殿上を下りた者それを殊更忙しく召し使うが、在職中の繁忙にくらべると自分の気持では暇があるような気がするので、説経所に出かけて一度か二度聴きはじめると、いつも参りたくなって、夏などの暑い日に直衣の下に着用する帷子(かたびら)は色が鮮やかで、うすふた藍、青鈍の指貫( 指貫をはくのに足を出さず袋の口を括ったようにして踏み歩く)

烏帽子に柳の枝を削って作った物忌み簡(ふだ)を付けて今日は物忌の日だが、功徳のためにはかまわぬと、人に見せるつもりなのかしら。功徳の方には効き目無いように思えた。

説経する当の僧侶と話し合ったり、聴聞の女房車の立て方にまで目をつけ万事につけ一々気を配る。

 長い間会わなかった人が参詣に来たので、珍しいことと側に近づき話したり聞いて肯いたり興味有ることを話、扇を広く開いて口に当てて笑い、綺麗な装束姿で数珠をまさぐり、指を揉みながら彼方此方を見回して、車の善し悪しを誉めたりけなしたり、何々の場所で、だれそれが催した法華八講に参加して、経を書写する功徳を行った、とあれこれと言い合っていたが、この場の説教は聞こうともしない。何の事はない、いつも聴きなれている事だから、耳馴れて珍しくもないからだろう。


【牛車】
 牛にひかせる乗用車。平安時代以降おもに公家が用いた。構造や装飾の違いにより多くの呼称があり,乗る人の位階・ 家柄や公私用の別などによって用いる車の種類が定まっていた。宮城内に車を乗り入れることは禁じられていたが,〈牛車の宣旨(せんじ)〉を賜って許可された者は特別に車に乗って宮城門を出入りできた。装飾が華美に過ぎたり身分の下の者が乗用したりすることがあったので,しばしば過差禁止の対象となり禁令が出された。

【ビロウ(蒲葵)】
 日本の暖地に自生するヤシ科の高木で,高さ20mに達する。葉柄は長さ2mに達し,下部には2列の逆とげがある。葉は腎状扇形で掌状に中裂または深裂し,直径1mくらい,裂片は細長く,幅1.8~2m頂端は細長くとがり2深裂して下垂する。春,葉腋(ようえき)から長さmくらいの円錐花序を出し,多数の黄緑色の小さい花をつける。

檳榔毛の車 (びろうげのくるま)
 牛車の一種。檳榔の葉を細かく割いて糸のようにして車全体を葺いたのが名前の由来。この車には物見窓がないのが特色。上皇から親王、大臣、納言、参議、四位以上、女房も乗った。結構重々しい感じの車。
     (ネットから)

 蔵人の五位などではなくて、説教の講師が居て暫く二人で話をしているところへ、先駆けの人が僅かな車を止めて車から降りてくる人、蝉の羽よりも軽そうな直衣・指貫、軽快で夏衣にする練らぬ絹の単衣などを着ている、または狩衣姿である。そのような若くて細身の三四人ばかりと従者がこれもまた同人数ほどが聴聞所へ入ると、先にいた人達は少し動いて融通して、説教者の席近くの柱の元に座を作って坐らせると、僅かに数珠を押し揉みして説教を聞いているのを、講師は見て光栄に思われるのであろう、何とかして世の評判になるほどにと説経し出した様子だ。

 聴聞するといって大袈裟に興奮して札拝するまでにもならず、ちょうど適当な頃あいに席を立ち出ようとして牛車の方を見る。女性が牛車の中で聴聞している方を見て若い貴公子達はどうするのだろうと思う。中にいる私が知っている者達であれば何をなさっておられるのだろう、見知らぬ人達であれば、誰であろう、あの方だろうかと考えていると、貴公子達は見ている前を立ち去っていくのも面白い。

「どこそこで説経をした、八講をした」
 と人々が言い伝えるのに、
「そのような人おられましたか」
「どんな様子でしたか」
 と決まったように返事が返される。あんまりである。そう言われてもこんなに有り難いお説教を少しでも聴聞したいと無理しても覗かずには居られない。賎しい女でさえひどく熱心に聴聞する様子なものを。以前は徒歩で出かける婦人などなかつた。偶然あるとしても壺装束などして優雅に身づくろいをしていたようだった。確りと化粧した姿であったろう。そのようにして参詣をしたのである。説教などは特に多くの女は聞くようなことはしなかった。もしその当時聴聞に出かけた人が長生きしていて当世の風俗を見たとするならば、どれほど誹謗することであろう。

【34】

 菩提と言う寺に、仏道に縁を結び、または結ばせるための法華八講「結縁八講」をしようと詣でたところ、或人から、
「直ぐに帰って下さい、淋しい」
 と言ってきたので散華に使う蓮の葉の裏に

 もとめてもかかるはちすの露おきて
  うき世にまたはかへるものかは
(わざわざ求めてでもぬれたいこういう蓮の露(法華八講)を中途にして、何として憂き世に再び帰るものですか)

 と書いて使者に持って帰らした。