私の読む「枕草子」 7段ー12段
と、不憫に思われるのが中宮のお人柄が分かって面白かった。
どちらつかず中途半端な折に、
「大進(生昌)が、(清少納言に)いそいでお話を申しあげたいといっております」
と言うのを中宮が聞かれて、
「またどんなまずいことを言って笑われようというのかしら」
と言われるのも可笑しい。
「行って聞いてお出で」
と言われるのでわざわざ聞きに出ると、生昌は、
「先夜のこと兄惟仲に話したところ、大変に感心して『どうか適当なおりに対面してゆっくりお話を伺いたい』と申していました」
別に変った話もない。先夜忍んできた折のことを言ってやろうかしらと心を躍らせたが
生昌が。
「おっつけゆっくりとあなたのお部屋に伺いましょう」
と言って私から離れてしまったので、中宮のお前に戻ると、
「さて、何事であった」
と仰せになるので、生昌の言ったことをお告げすると、女房達が。
「わざわざ申し入れをして、宮仕の人を呼び出してまで言わなければならない程のことでもありませんよね。何かのついでに、端の方や局にでもいるような時に言えばいいのですよ」
と笑うので、中宮は、
「自分の心に一番賢いと思っている人(兄惟仲)があなたを誉めたので、それを聞かせたらさぞ嬉しがるだろうと考えて、知らせるのでしょう」
と言われる中宮の御表情が大変お綺麗である。
脩子内親王(しゅうしないしんのう、長徳2年12月16日(997年1月27日)[1] - 永承4年2月7日(1049年3月13日))は、第66代一条天皇の第1皇女で、母は皇后藤原定子。『大日本史』では「修子」と表記。名は「ながこ」とも読む。同母弟妹に敦康親王、媄子内親王。
ウィキペディアから
【九】
内裏を住まいとする猫は、従五位下の位を授かって、「命婦のおとど」と呼ばれてたいそう愛らしいので、帝(一条天皇)大事にしておられる、それが、部屋の端に出て寝転んでいたところその猫の世話役の馬(むま)の命婦という女房が、
「まあいけませんね、中に入りなさい」
と言って呼ぶと陽が射してきて気持ちよく寝ていたのを脅かしてやろうと馬の命婦が、
「翁丸(おぎなまる)何処にいるの、命婦のおとどを噛んでやれ」
というと、馬鹿な犬の翁丸は猫の命婦に走って襲うととめどもなく嚇す。猫の命婦は怯えて御簾の内に駆け込んだ。
朝食の間に帝が朝食を食べておられるところに猫の命婦が飛び込んだので、それを見て帝は大変驚きになった。命婦の猫を帝は懐にお抱きになって殿上の蔵人らをお呼びになると、長保二年正月に蔵人になった源忠隆(ただたか)ともう一人が参上してきたので帝は「この翁丸を打ちすえて、遠島の処置を執れ、すぐにだ」
と、仰せになるので皆が寄ってきて犬の翁丸を捕まえようとして大騒ぎとなる。馬の命婦をおとがめになって、
「世話をする者を替えよ、守り役として心許ない」
と言われるので馬の命婦は帝の前に出られず。翁丸も捕まえられて警護の人らに追い出されてしまった。
「可哀想に翁丸は偉そうに威勢よく歩きまわっていたものを。三月三日蔵人頭に補せられた藤原竹成が柳の枝をたわめて作った髪飾をして、腰に桜を差して連れ歩いてもらっていたときには、このような憂き目に遭うなんて、思いも寄らなかったことであろう」
可哀想にと言っている。
「皇后のお食事の時には何時も向かいに坐っていたのに、淋しくなりますね」
とか言っていて三四日になった昼頃に、犬の鳴き声が五月蠅くするので、一体どんな犬が鳴いているのだろうと聞いてみると、色々な犬が集まってますと言うので見に行く。
便器掃除の下賤の女が走ってきて、
「可哀想に犬を蔵人二人で叩いています。死んでしまいます。犬を追放したのであるが戻ってきたと、打ちすえておいでになります」
情けないことに放り出された翁丸であった。
「忠隆(ただたか)実房(さねふさ)なんで叩くの」
というと叩くのを止めるとやっと犬は鳴きやみ、
「死んだので陣の外に捨てました」
というので、可哀想なことをと思うが、夕方になって、大変に身体が腫れて、酷く疵になった犬が震えながら歩き回るので、
「翁丸か、このごろ、こんな犬が歩きまわるかしら」
「翁丸」
と呼んでみるが、振り向きもしないので
「翁丸ではないのか」
と見ている者が皆言うので
「右近の内侍なら知っているだろうから、お呼びしなさい」
と呼び寄せると、参ったので
「これは翁丸か」
と犬を見させる。
「似てはいますが、これはまあひどい様子でございますね。『翁丸』と呼びますと喜んできますものですが、呼んでも来ませんね。他の犬でしょう。翁丸を打ち殺して捨ててしまいましたと言われることで、二人で打ちすえれば、生きていられましょうか」
と言うので、中宮は心を暗くされた。
それでも暗くなってきたので餌をやるが、
食べようともしないので、翁丸ではない別の犬だと話しあって決めて、ひとまずけりをつげたその翌朝。御理髪や御手水などされて、御鏡を私におもたせになり、皇后が髪かたちを御覧になるので鏡を持って側に侍していますと犬が柱の所にいるのを見て私は、
「可哀想に昨日翁丸を酷く打ちすえたことだ。死んでしまって可哀想だ。何になって生まれ変わったことだろう。本当に淋しい気持ちです」
と独り言に言うと、この犬がわななき震えて涙をとめどもなくおとすのが、意外である。
この犬はやっぱり翁丸であった。夕べは隠れて忍んでいたのである。心に衝撃を与えられると共に喜ばしいこと限りが無いことであった。
鏡を置いて、
「お前は翁丸か」
というと、ひれ伏して大層啼く。皇后様も大層お笑いになって、右近の内侍をお呼びになり、こうこうであると仰せになる、周りの皆が笑い騒ぐ。帝も耳にされて皇后様の許にお出でになり
「意外だったね、犬などにもこのような主を慕う心があるもんだね」
と言われてお笑いになった。主上附きの女房たち翁丸のことを聞いて集まってきて、「翁丸」と呼ぶと翁丸はやっと立ち上がって動きだした。
「でも、この顔が腫れたのは、手当てをしてやらないと」
と言うと
「本当ですね」
などと言って笑っているところに忠隆が聞いていて、清涼殿内の女房の詰所である台盤所の方から、
「本当ですか、どれ見てみよう」
と言うので、
「まあ、縁起でもない。絶対、そんなものいません]
と答えさせると
「そんなの見つけることもありますよ、そうばかり隠しきれるものでないですよ」
と言う。そうして翁丸は謹慎が許されて、もとのように宮中に飼われる身となった。翁丸は更に可愛がられて感に堪えず身ぶるいして鳴きながら出ていった、それこそはまあ実に興ふかくも身にしみることではあった。人間などなら、他人から同情されて泣きなどはするものだが犬がそうするとは思いもよらないことであった。
【一〇】
正月の一日、三月三日はうららかな一日であった。
五月五日は曇りの天気で一日過ごした。
七月七日は、曇りで、夕方になって晴れてきて、晴天の空に月が大変明るく、牽星・織女星を始めとして沢山の星が見えた。
作品名:私の読む「枕草子」 7段ー12段 作家名:陽高慈雨