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私の読む「枕草子」 7段ー12段

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 九月九日は重陽の節供・菊の節供の日である。明け方から雨が少し降って菊の露も多く降りて、菊花の香を真綿に移し、それで老を拭い去る信仰「きせ綿」も確り濡れている。
移しの香も格別引き立って、翌朝早くに外を見てみると、なおも曇っていてどうかしたときに雨が落ちてくるような様子も趣がある。

【一一】
 任官・叙位の後、参内して御礼言上すること、慶び申し・拝賀・奏慶などとも言う。趣があって重々しい。下襲の裾(きよ)を長く引いて帝に向かって立ち、礼をして舞踏する。拝舞である。
(注)
「舞踏ノ事、再拝シテ置キレ 笏ヲ、立チテ左右左、居テ左右左、取リテレ 笏ヲ小拝、立チテ再拝」
拾芥抄にある。

【一二】
 長保元年(九九九)六月十四日内裏炎上したために今は仮の内裏住まいである。内裏の清涼殿では左方が北に当るのでそちらを北の陣と呼んでいる。今仮の清涼殿では左方に当る東方を北の陣と呼んだ。そこに梨の木が、楢の木だという人もある、いずれにしても高い木があり、高さはどの位あるのだろうかと人は言っている。右近権中将源成信が、
「根元から切り倒して、長保二年三月十七日興福寺(山階寺)別当になられて八月廿九日権少僧都となられた定澄僧都(ていちょうそうず)の枝扇(えだおふぎ)にしたら」
 と言われるのを、山階寺の別当に成られた祝賀の日に、慶び申しの際は近衛の次将が新任者を導いて庭上に立ち、所定の公事を行う仕来りから、近権中将源成信が近衛の司で定澄僧都を導いて現れたところ、高い屐子(けいし)なんかを履いているので、とんでもなく背が高く見える。
儀式も済んで定澄僧都が退出してしまった後に私が、
「なぜ、高木を倒して作った枝扇を持たせなかったのですか」
 と尋ねると、
「物忘れしてしまった」
 と言って笑われた。一種の諺をあげて、
「背の高い定澄僧都には袿(うちぎ)も袿の用をしない、背の低いすくせ君には袙(あこめ)も袙の用をしない」


【袿】うちき・うちぎ
 平安時代以来、貴族の男性が狩衣(かりぎぬ)や直衣(のうし)の下に着た衣服。女性の場合は唐衣(からぎぬ)の下に着た。単に衣(きぬ)ともいわれる。
【衵・袙】あこめ
 中古の,男子の中着。束帯のときは下襲(したがさね)と単(ひとえ)の間,衣冠のときは袍(ほう)と単の間に着た。通常は腰丈で袴(はかま)の中に入れて着た。直衣(のうし)では,下着の衣をいい,出衵(いだしあこめ)とした。
 中古,女子の中着。表着(うわぎ)と単の間に何枚も重ねて着た。また,女童が着た袿(うちき)の小形のもの。汗衫(かざみ)の下に着たが,のちには表着とした。


拾芥抄【しゅうがいしょう】
一種の百科事典。3巻。編者は洞院公賢あるいは洞院実熙というが,原型は鎌倉中期に成りその後増補が加えられていったものと考えられる。《拾芥略要抄》《略要抄》ともいう。歳時,経史,和歌,風俗,百官,年中行事など98部を載せ,宮城指図,八省指図,東西京図等の付図がある。中世における公家の一般的教養や諸制度,習俗などがよくわかる。《新訂増補故実叢書》所収。【清田 善樹】
            ネットから転載