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私の読む「枕草子」 7段ー12段

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【七】
 愛児を法師にしている人は、まことにいたいたしいものだ。ただ、木石のように人間としての感情がないなどのように世間が思っているのは大変困ったことである。精進料理と言う粗末なものを食べて、寝るのでもーー若い人は好奇心も起すだろう、女などがいる所でも、なんで毛嫌いしたようにのぞき見しないでいられようーーそんな当り前のことにも、人はやかましく非難する。まして修験者と言われる人はもう一段苦しいことであろう。疲れて居眠りでもすると、「寝てばかりしていて」ぶつくさと非難する。窮屈なことである。 このことはむかしのことで、今はそう酷いことは言わない。

【八】
 中宮職・皇太后宮職・大膳職・東宮坊などの判官(じょう)のうち上位のもの大進(だいじん)と呼ぶが、その中宮職の三等官。従六位上相当官大進平生昌(たひらのなりまさ)の屋敷に中宮が行啓された時、生昌は屋敷の東門を門の柱に脇柱がある格式の高い門とされる四脚門(よつあしもん、しきゃくもん)に改築して中宮の御輿をその門から中にお迎えした。北門からは女房の車列が入ると警固その他に官人が出張じて詰めている陣の役人達が居るので、自分を含めて髪かっこうのよくない女房達は髪の崩れるのを用心もしないで油断をしていると乗車している檳榔車は門が狭いので車が遣えて入ることが出来ない。そこで車を降りて歩きで中に入ろうと、歩くとき衣服の裾がよごれぬように筵(むしろ)を敷いたのであるが、歩くなんて人に見られると腹立たしいのであるが、どうしようもない。殿上人や、五位以下で昇殿を許されぬ地下人達が並んでいる前を男に顔を見られながら歩いて通るとは癪(しゃく)にさわる。
 中宮の御前で、先ほどのことを申し上げると                   「ここでも人は見ないと限るものですか。何でまたそう油断したのです」
 笑いながら言われた。そうでは有りますが私は、                 「それはもう見馴れておりますから、あまりとりつくろってはかえって吃驚というものでございましょう。それにしても、これだけのお屋敷に車が通れないという門があるなんて、生昌が現れたら、笑ってやりましょう」
 などと申し上げると。生昌が
「これをさしあげてください」
 と硯を持って来て中宮に差し上げる。私は生昌に、
「ほんとにあなたは人がわるい、なんであの北の門を狭く作られてお住みになっておられる」                   と言うと笑いながら生昌は、
「わたしの位に合わせて作りましたので」  とお答えになった。
「門だけを高く作った人もありましたよ」
 私は前漢于公の故事。「わが門を大きく建てよ、我民を治むるに陰徳多し、子孫に必ず諸侯出で駟馬高蓋の車を入れん」と予言した所、その子于定国は丞相となった(前漢書・蒙求)。を頭に描いて言うと、
「これは恐ろしいことを言われる、やられましたな」
 と、驚かれて、
「それは于定国のことですね。年功を積んだ進士ででもなくては合点がゆきそうにもないことでしたよ。たまたま私もこの道に入りましたのでせめてこういう訳だと分別がつきました」
 と言われた。私は、          「そうおっしゃる道だって、大したことはありますまい。筵を敷いて頂きましたが、皆は大騒ぎをしましたからね」
 と言うと、
「雨が降りましたのでそのようなことは起こりましょう。まあよろしい。心中に不満はあるがまた難題をおっしゃられては大変です」 と言って生昌は御前を去っていかれた。
「何を生昌はくどくどと言っておったのじゃ」 と中宮が言われたので、
「いえ、何でもございません。車が北門を通り抜けられなかったことを言っておりましたただけです」
 と申し上げて私の局へ下がった。


檳榔車
牛車。檳榔(びんろう)(蒲葵)(びろう)の葉を細く割いて車蓋を葺き覆づた車。貫人の晴れの乗用とされた。
http://tukineko.pekori.jp/heian/yougo2/gissya/gissya.html
http://www.iz2.or.jp/gisha/shurui.html
開いて絵を見てください。
同じ局に住む若い女房達としなければならないこと等も放っておいて、あまりにも眠いので全員寝てしまった。寝殿造りの東の対の北側が開いているのに障子が有るが懸金(かけかね)が無いという事を調べもしなかったので、この屋の主である生昌はよく承知しているので開けて進入してきた。変にしわがれうわずった声で生昌は、
「お側に寄ってはいけませんか」
 何回も呼び掛ける声に驚いて起きてみると、几帳の後ろに置いてある燈台が明るく点っていて何もかも丸見えである。生昌は障子を五寸ばかり開けて声を掛けているのである。大変可笑しいこんな好色な行動を他所では夢にもしないであろうが自分の家に行啓されたというので、一途に気ままなまねをするのだと思うと変な奴だ、側の若い女房を押すようにして目を覚まさせ、
「あそこを見てご覧なさい。なにか分からない者が居るようですよ」
 と言うと彼女は頭を持ち上げてじっと見てから、可笑しく笑い、
「あれは誰、丸見えなのに」
 と言うと
「この屋の主の生昌ですよ、いや何でもありません。家の主として御相談申したいことがございますのです」
 と言うので、私は、
「私は門のことなら申しました。けれど襖をおあけなさいなんて申したかしら」
 と、生昌に言うと
「そのこともお話したい、そちらに参ってはいけませんか」
「まあ見ぐるしいこと。絶対おいでにはなれますまい」
 側の女房が返答して笑うと、
「お若い方も居らしたんだ」
 と言って障子を閉めて去って行く。彼が去ると私達は暫く笑いこけた。男のくせに、女の部屋をあけようとならば、ただ、もう、さっさと入ったらよいのに。挨拶をされて、はいどうぞなどと誰が言おう。本当に可笑しな事だ。
 翌朝中宮の前に出てご挨拶と昨夜の件を申し上げると、
「生昌には今までそんな噂もなかったのに。昨夜の門のことに感心して忍んで行ったのですよ。まあ、彼を手ひどくきめつけたなんて、かわいそうに」
と言われてお笑いになった、
一条天皇の第一皇女として長徳二年(九九六)十二月十六日御誕生、今年四歳に成られる脩子内親王(しゅうし・ ながこないしんのう)の側に仕える童女の着物を仕立ててさし出すように御下命があったとき生昌は、
「この袙(あこめ)上衣は何色に致しましょう」
 と言うのに女房一同が大笑いしたのも道理である。袙は上衣の下に着こむ衣で普通男子は下襲の下に、童女は汗衫(かざみ)の下に着る。生昌は、汗衫というべきところを、遠まわしな変った言い方をしたからである。そうして更に、
「姫様のお使いならば普通の大きさに作っては不調和でございましょう。小さい折敷(おりしき)、小さい高坏(たかつき)等が良かろうと思います」
 と言うのを女房達は、
「なるほどそれでこそ『うはおそひ』を着た童女も姫宮の御前にあがりよいというものでしょう」
 と言うのに中宮が、
「世間の人と同様にあの人をそう批評したり笑ったりしないで下さい。『謹厚(きんこう)』な律義・実直な人ですから」