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漢字一文字の旅  紫式部市民文化特別賞受賞作品

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11―5 【姫】

 【姫】、右の「臣」は元々乳房を表す。それが「女」と組み合わされ成人した女性のこと。そして時を経て、高貴な人の娘の意味となる。

 こんな【姫】、西洋で有名なのがオーストリア/ハンガリー皇紀のエリザベート(1837年〜1898年)だ。
 愛称はシシー。
 その生涯は波瀾万丈だった。ここで、その生涯を振り返ってみよう。

 名門の公爵(こうしゃく)一家に生まれたシシーは、おてんばさん。馬には乗るは、町に出ては銅貨を投げてもらうはの、まるっきりお嬢さんぽくない娘だった。

 だが15歳の時、姉のネネとセットで、オーストリア帝国皇帝フランツ・ヨーゼフと見合いをさせられた。
 シシーは気に入られ、政略結婚成立。

 しかし結婚したら、やっぱり嫁姑問題が起こる。
 シシーは馴染めず、宮廷のしきたりを完全無視して、ビールは飲むはの大反発。
 そして不幸が。

 1857年(20歳)の時に、長女を突然亡くしまう。
 これで、今で言う心身症になり、その療養にと旅に出る。行った先は大西洋のポルトガルの先っぽにあるマデイラ島。美しい島だ。

 だが、さらに不幸は続き、1898年、政略結婚させた長男のルドルフが、16歳の令嬢マリーと狩猟小屋で情死(暗殺の疑いも)。
 シシーはショックを受け、その後喪服姿で生きていくこととする。

 こんなシシーの一番の理解者が、従兄弟のルートヴィヒ二世。これがまた奇人で、ワグナーのオペラに入れ込んでいた。だが、ただあの美しい新白鳥城を作る。
 そして湖で溺死。これが世界のミステリーの一つとされている。

 シシーは、1898年9月10日、スイスのジュネーブのレマン湖、蒸気船に乗るために歩いていた。そこのところを、ルイジ・ルケーニという男に刺され、その一生を閉じる。

 動機は――「誰でもよかった」

 こんな呪われた、しかし、奔放に生きようとしたエリザベート(シシー)、たくさんの「死」とともに生き、享年60歳で生涯を終えた。

 【姫】という漢字、古今東西、そこには常に波瀾万丈のドラマがつきまとうものなのだ。