連載小説「六連星(むつらぼし)」 第11話~第15話
「毎年、足尾での植樹祭で君と行き会ってきた。
一年に一度だけの楽しみとして、それもいいなと思い続けてきた。
俺が板前修業に入った頃からだから、君とはずいぶん長い付き合いになる。
だがその中で一度として君から、子供がいると言う話を聞いた記憶がない。
君からかかってきた電話で、大仰天をした。
娘が家出をしてしまったという君の告白に、正直、俺は面食らった。
かならず桐生に現れるだろうと言う、君の予見も見事に当たった。
君に娘が居ると言うこと。きっと桐生に現れるだろうと言った
君の話を総合して、もしかしたら、
俺の子供なのではという可能性を考えはじめた。
だがあの子は、はっきり21歳だと言いはっている。
だが実際には、それよりも3年前に生まれているんじゃないのかい?
あの子が24歳だとすれば、俺が父親だという可能性が有る。
そのあたりの事実はどうなんだ。俺のただの・・・・勘ぐりすぎなのか?」
「何が知りたいの、あなたは・・・・」
「言っただろう。本当のことが知りたいと。
根拠は無いが、もしかしたら、この子は俺の娘かもしれない・・・・
なぜか初めて出会った瞬間から、俺にはそんな胸騒ぎのようなものが有った。
違うのか?」
清子がそれまで崩していた足を、元に戻す。
俊彦を見つめたまま、静かに背筋を正す。
もともと小柄な清子は正座をすると、一回り以上も華奢に見えてしまう。
「あれはたしか・・・・」と言いかける。
だがそのまま続きを語るかと思いきや、躊躇をみせて目線を下に伏せてしまう。
そのまま数呼吸。清子の両肩が静かに上下を繰り返す。
昼下がりの休憩スペースには、ほとんど人の気配が無い。
がらんとした広い空間の中に、刻々と沈黙の時間だけが流れていく。
やがて覚悟を決めたのか、清子が、凛とした眼差しを俊彦に向けてくる。
「ごめんなさい。やっぱり本当のことを言うべきですね。
あなたとは20歳の時に、湯西川温泉の伴久ホテル別館でお別れをしました。
特別室『嬉し野』で私のほうから一方的に、離縁の宣言をしました。
あなたと私が無理やりに別れたのは、たしかに今から25年前のお話です。
それから7ヵ月の後、私は、2700グラムの女の子を産みました。
その女の子があの子で、名前を響と命名しました。
あの子は生まれた時から、親孝行な娘です」
「やっぱりそうだったのか」俊彦が、小さな声でつぶやく。
「あなたに迷惑をかけたくなかったからです」と、清子が目に力を込める。
「何が有ってもこの子を産みたいと、私が決めたのは、
あなたと別れる少し前です。
心細い思いはありましたが、それ以上にもうひとつの心配ごとは、
中途半端なままになっている、芸者の修業のほうでした。
私は15歳で芸妓にあこがれて、その想いだけで花柳界へ飛び込みました。
パトロンや旦那様という制度に支えられて、芸妓の道をすすむのが
その当時の芸者さんたちの生き方でした。
普通に結婚するのは無理だろうと、私も最初から覚悟は決めていました。
そうして始まったはずの芸者修業も、たった5年で挫折をしてしまいました。
板前修業に入ったあなたが、まさか、湯西川へ来るとは
考えてもいませんでした。
あなたへの初恋の想いなんか、もうとっくに忘れたいたのに。
きっちりと封印をしたまま、あなたを無視すればよかったのに、
私には、そうすることが出来ませんでした・・・・
あなたが現れ、初めての男性となり、同時に初めての生命を授かりました。
一人で生きると決めていたのに、お腹の生命が急に愛おしくなりました。
日を追うごとに、なにがあっても産みたいと、その時もまた
わたしは勝手に、自分の未来を決めてしまいました」
「我儘な私の生き方を支えてくれたのは、湯西川の女たちです。
白い目で見るどころか万事のすべて呑みこんで、面倒を見てくれたのが、
置き屋のお母さんと、伴久ホテルの若女将です。
産むと決めた私を、文字通り全力で支えてくれました。
そうして産まれた響もまた同じように、我が子のように
可愛がってくれました。
田舎の温泉街で、見習い芸者が子供を産むという前代未聞の不祥事です。
最初の頃は、たしかに好奇の目もありました。
でもお母さんと老舗の若女将の全面的な後楯が、私たち親娘の
強い支えになってくれました。
響は湯西川の女たちの愛に見守られて、育ってきた女の子です。
小学校の入学前に同級生の岡本さんと宇都宮でばったりと遭遇しました。
さすがにあのときは、私も肝を冷やしました。
でもあの人も約束を守ってくれて、娘のことは口外しなかったようです。
ずっと響のことは、私の胸に秘めたままにしておきたかったのですが、
響がそれを許してくれなかったようです。
こんな形で父と娘が出あうようになるなんて、私は夢にも思いませんでした」
「響が俺の前に現れなかったから、君は一生秘密にして
おくつもりだったのか・・・・
君の覚悟ぶりは、いままでの話でよくわかった。
だが何故だか、俺にも何処かで自分の子供が生きているような予感が有った。
それにしても今日まで・・・・ずいぶんと苦労をしただろう、君は」
「ささいな苦労ならたくさんありました。
でもそれ以上に、響が私に大きな元気と勇気をくれました。
私はいまでも、あの子を産んでよかったと、心の底から思っています。
こんな事態になってしまった事だけが、心外ですが・・・・」
「俺はあの子の父親として、失格だという意味なのか?」
「いいえ、あなたに落ち度はありません。
私が一人で決めて、身勝手に産んでしまった娘です。
第一、あなたに恋人がいたことを充分にしりながら、それでもあなたを、
誘惑をしてしまった、私自身の罪です。
小学校3年のときから、あなたに初恋をしていたんだもの。
その念願が思わぬ形で成就をしたのです。
そのうえ新しい生命まで宿してくれたことに、今でも感謝をしています。
そこから先は、思い出だけで生きていくことができると考えていました。
それなのにあなたったら、せっかくその人と結婚をしたくせに、
わずか数年で離婚してしまうんだもの、
その結果を聞いたとき、私のほうこそびっくりしました。
それもまた私にすれば、想定外といえる出来ごとです」
「人には、いろいろ事情が有る。
だが響はいい子だ。なんだか周りを華やかにしてくれる。
あの子を見ていると、良質の感動の中で育てられてきたという実感がある。
湯西川温泉の人情は、ああいう娘を育ててくれるんだなと思った。
有りがたい話だ
俺には、もったいないくらいの娘だと思う」
「どうしたいの、あなたは。
響に、実は俺が父親だと、名乗り出る? 」
「実は動揺している。何も決められない状態だ。
いまさらという気もするが、響に拒絶されると俺が辛くなる」
「いま言ったことは、すべて響には内緒です。
それでもね。響はうすうす、あなたからな何かを感じているらしいの。
作品名:連載小説「六連星(むつらぼし)」 第11話~第15話 作家名:落合順平