ドラゴンの涙(1)
その後も何度か熱を出しては下がりの繰り返しであり、その度にラゴール特製の良薬が彼女の口に注がれたが、漸くそれが効果を表してくれたらしい。治癒士(ヒーラー)をやはり呼びに行こうかという話も出てきはしたものの、それもせずに済みそうであった。
が、流石にすぐに寝台から出るほどの体力を取り戻すことは出来ず、彼女が部屋から出るに至ったのは、更にそれから3日がかかった。
その間には、流石に店の中も大方片付いていて、今までの賑わいも取り戻しつつあった。
「すまなかった、ラゴールさん」
小さな声でカスミが謝罪の言葉を述べるのに、ラゴールは身体に見合った豪快な笑い声をあげる。
「気にするなって。こういう仕事をしてれば、嬢ちゃんみたいな旅人には何人も出会うもんさ。それに、あいつに比べればな…」
といいながら、ラゴールが顎でしゃくったのは、相も変わらず女性を口説いている風の、クライブの姿だった。
それを見て、カスミの整った眉が寄せられた。
「それより、嬢ちゃん、これからどうするつもりなんだ?まさか、ここに留まるつもりはねぇんだろう?」
ラゴールの言葉に軽く首を傾げた後で、縦に振る。
「だろうと思ってよ。必要なものは揃えておいてやったぜ」
カスミの目の前に皮製のリュックが置かれた。大層な荷物が入っているようで、パンパンに膨らんでいる。
「これは?」
「三日分の食料と俺特製の薬草が入ってる。小さいが、ナイフも入れて置いた。これだけあれば、次の町に行くまでには十分だろう」
彼女が何処へ向かうか敢えて聞かないところがラゴールらしいと言えようか。
「何でアタシにこんなことを?」
彼は熱心に看病までしてくれた。それでいて、こんなことまでしてくれる。短期間ながらも旅の過程であちこちの町や村に寄ってはきたが、彼ほどまでに面倒を見てくれた人間がいなかった。彼女の態度が気に入らぬものや、それこそ見かけで判断する人間が多かったせいだ。
それに彼女はこの店を破壊させる原因を作ったとも言える。こんな親切を受ける覚えは全くないのだ。
「おいおい、勘違いすんなよ。あんたに手を出そうと思ってるわけじゃないぜ」
「アタシは別にそんなこと……」
苦笑いを浮かべるラゴールに、否定しつつも、カスミの言葉は小さくなっていく。そんな下心が頭の中に浮かんでしまったことは、否定出来ない。クライブが未だに彼女の横目で客の女性を口説いているからかもしれない。
「まあ、なんていうか、放っておけないタイプってのかね…」
「え……?」
恐い顔には似合わぬ照れ臭そうな笑いをラゴールが浮かべる。
「娘が生きてりゃ、あんたみたいな年齢位だったろうなって思ってよ」
「あんた娘がいたの?」
意外なラゴールの言葉に、カスミの目が見張られる。
「ああ、もう随分前に死んじまったけどな」
「……悪いこと聞いた」
「いいってもんさ。大体、そんな奴、この世界には五万といるだろうしな」
「………」
ひっきりなしに国同士の戦争や、同じ国内ですらも起こっている戦争に加えて、盗賊や、はたまた人間たち以外の生物たちまで生息しているこの世界には当然安穏の地などは存在していない。
唯一と言えるのは、この王国がある大陸から海を越えて行ったところにある、惑星最大のランクロスと呼ばれる大陸の中にあるシレーヌ王国と隣接するザーケン王国位であろうか。シレーヌ王国は現在は女王が取り仕切っているようであるが、彼女は非常に優れた知性と勇気、更に優しさを兼ね備えた女王として名高く、隣接するザーケン王国の国王もまた若いながらも並外れた能力の持主であるとの評判がここへまでも聞こえてきている。その二国は現在同盟を結んでおり、他国からの侵略も寄せつけてはいない。自然、そういう状態の国であるから、盗賊たちもかなりの数へってはいるようだ。とはいえ、人間以外の生物には時折攻められてはいるようで、国境付近の警備はどちらの国も厳しくはある。
そんな大国の二国ですらそういう状態なのであるから、それ以外の国については推してしかるべきであろう。それでも、ロッキー村のある王国はまだマシな方だった。
「助かるよ」
カスミは素直に礼の言葉を述べた。
ラゴールの満面に笑みが浮かぶ。
「いいってもんだ。そんなことより、気をつけろよ。あの姉ちゃんたち、また狙ってきそうだったしなあ」
「ああ…」
ラゴールに言われて、カスミは深く溜息をついた。確かに、彼女たちは執拗なまでに、カスミを狙いにかかってくるだろう。これまでもそうだったし、これからもそうだ。彼女が『盗み出した地図』を取り戻すまでは。
が、あれは元々は自分の―――自分たち家族に伝わるものであった。どういう経緯で彼らの手に渡ったかどうかは不明だが、それを再び彼女たちに渡すわけにはいかない。取り戻す為に、これまで苦労に苦労を重ねてきたのだから。
ふとカスミはクライブの方に視線を向けた。口説くのには失敗してしまったようで、去っていく女性の背中に向かってヒラヒラと片手を振ってみせている。彼にしてみれば、成功しようが失敗しようがそう大差はないのだろう。
「あんた」
「……あ?」
カスミに呼びかけられて、クライブが視線を向けてきた。一瞬、自分が呼ばれたのか判らない風ではあったが、顔に向かって指を差すのにカスミは頷いた。
「あんた、いくらなら、雇える?」
「は?」
「用心棒やってるんだろ?」
カスミのその言葉は想像していなかったのだろう。クライブの目は見開かれるのと同時に、激しく瞬かれる。が、次の瞬間には、ニヤリ、と唇の端が吊り上がった。
「俺は高いよ」
「だから、幾らって…」
聞いてるじゃないか、と続けるカスミの身体をシゲシゲとクライブは見つめる。
「そもそも君に俺を雇う甲斐性があるとも思えないけど?」
「幾らでも払う。一緒に見つけてくれるんだったら」
馬鹿にされてるとは判ったが、カスミは真剣だった。
「見つけるって、何を?」
「決まってる。お宝だ」
今現状ではクライブの言う通り、この店の宿代を払う程度の金額の持ち合わせ位しかなかったが、彼女が目指すものを見つければ、有り余るほどの金が手に入るはずだ。勿論、それが本来の目的というわけではないが、詳細をこの男に話す必要はないだろう。
「アタシはこう見えてもトレジャーハンターを生業としてる。だから、お宝の情報は幾らでも持ってる。あんたを雇う分くらいの金なら、そのお宝を売れば幾らでも払える」
「お宝、ね……」
「あんただって、宝に興味くらいあるだろう」
クライブのような種類の男であれば、宝のひとつやふたつに興味がないはずはない。そういう男と彼女自身、何度だって手を組んだこともある。長続きするような男は当然いなかったが、それでも彼女は構わなかった。そもそも、カスミ自身も自分が誰かと長続きするようなタイプだとも思っていない。
「俺はそんなものよりも、君の身体の方が興味があるな。処女だろ、君」
「……っ!」
いきなり近づいてこられたかと思うと、腰に腕を回され、強く引っ張り寄せられた。アルコールの強い匂いが、カスミの鼻をつく。
「君のその身体をくれるって言うんだったら、雇われてやらんこともない」
「な、何をっ…!」