ドラゴンの涙(1)
ラゴールが振り返った。その手にクライブが持っていたグラスを押し付けた。
「お、おい、お前……」
「俺には無理だ」
「は?お、お前なあ…っ」
何を今更のことを言うのだ、と呆れた調子で言うラゴールの身体を退かしながら、クライブは部屋を出た。
「おい、クライブ!俺にやれって言うのか!」
「あんたの好みだろ、彼女」
背中に向かって声かけられるのに、クライブは手を振って下へと続く階段をゆっくりと下りていく。ラゴールのクライブへの非難の声が聞こえてきたが、クライブは聞こえないフリをした。
3.
「姉上、申し訳ありません……」
煌々と燭台の灯が点る中、彼女―――メロディは堅い大理石製の床に両足を置き、ゆっくりと上半身を前に倒した。彼女にしてみれば、これほどの無様な有様はない。
「お前にしては珍しい失態ですね。一体、何があったのですか?」
穏やかな口調とは裏腹に、目の前で膝を着く彼女と瓜二つといっても過言ではないそっくりな整った顔で、メロディは自分を見下ろしている人物にそっと視線を戻した。
「何って……」
既に彼女の部下から報告を受けているに違いないはずなのに、これ以上彼女の口から何を聞こうと言うのだろう。
「お前の口から私は聞きたいのです。真実を」
「真実……」
とは言っても、彼女には何も口にすることは出来ない。自分が無様に敗れてしまったことなどは。
「妙な男が邪魔をした、と聞いたけれど?」
「はい、姉上…」
姉の問に彼女は神妙に頷く。
そう、目の前の彼女はメロディの姉だった。血を分けた。が、立場上では彼女はメロディの上役に当たり、この場ではそれを貫いている。いや、このギルド団に入ってからというものも、姉と妹という立場で接したことは殆どと言っていいほどないに等しかった。彼女の姉がギルド団のリーダーの寵愛を受けているからだ。勿論、その能力故でもあるが、最もな理由は美貌とエロティシズム溢れるほどの肉体の持主であるからと言えよう。ひとつしか年齢も変わらぬというのに、メロディですらも嫉妬してしまうほとの彼女は魅力的であった。
それよりも、今は姉の質問のことだった。
妙な、というよりもふざけた男という印象の方が彼女には強い。それでいて、相当の強さを持っているらしいことにも気づいた。だが、あのような辺境の村にあんな男がいるなどと想像が行き届かなかったため、彼女にしてみれば、無様ではあったが、それ相応の対処を初めから判っていれば、あのような男には負けることはなかっただろうとは思っている。
「その男、『銃』を持っていたと聞いたけれど、事実なの?」
「はい…」
どうやらそのことも部下からは報告を受けていたらしい。嘘をつく必要もなく、彼女はそれにも首肯する。
「それは、間違いない?」
「はい。あれは、確かに、伝説の……」
と続けようとしたところで、彼女は言葉を切った。言い伝えとして聞いたことはあったとしても、あれが本当にそのものであるかは、実物を見たことのない彼女には判断をつけることが出来るはずもない。例え、持主自身がそれを認めていたとしても。
「何故、その男が?」
「それは、私にも判りませんぬ」
眉間に皺を寄せながら聞いてくる姉に対して、メロディは首を軽く横に振った。そんなことは彼女自身が教えて欲しいくらいだった。
「確かに、それが我々が求めている『銃』であったとするならば、お前の腕では荷が重すぎたかも……」
「どういう意味ですか!?」
彼女の呟きおような言葉にプライドを傷つけられたような気がして、メロディは勢い良く顔を上げる。が、今度はなにやら考えているのか、姉の方が神妙な顔つきで、彼女を見下ろしてきた。が、その視線が彼女に向けられないことを感じて、詰めていた息を軽く吐き出した。
「―――それで、お前はそのまま、逃げてきたの?」
「いいえ。当然、見張りは置いてきました。まだ、あの女はあの村にいるようです」
どうやら病にかかって寝込んでいるようだ、との情報も置いてきた見張りから既に連絡が入っていて、メロディは彼女にそれを告げた。
それを聞いて、彼女は大きく頷いた。
「ならば、丁度いい。あの馬鹿女から地図を取り返すのと同時に、その『銃』も奪ってしまえばいい」
「ですが…!」
元々地図は彼女たちのものであったのだから取り戻すのは当然ではあるが、『銃』もとなると、彼女1人の力では荷が勝ちすぎる。その『銃』が実際に彼女たちが求めているものでなかったとしても、あの男の相手をすることでも厄介そうだ。ふざけた性格の男ではあったが、あの一瞬でも、あの男が只者ではないことは、メロディにだとて判った。勿論、次に出会った時には容赦するものではないが。
「心配しなくてもいい。私自身が出向く」
「姉上がっ!?」
彼女が驚くのも当然であろう。今では彼女は、この盗賊ギルド団の内でも頭領であるレイテス、更に彼の右腕と称されているスレインに続き、ナンバー3の実力を持ち、実質的に率いているのも彼女なのだ。滅多なことではこの屋敷から表に出ることはなく、指令を出すことこそが彼女の現在の仕事となっている。同じ血を持つ姉妹であるにも関わらず、肌の色が異なっているのもそのせいだ。
「私だけじゃない。―――ロイド」
「はい、エルティナ様」
部屋の右の方へと続く扉に彼女が声をかけると、どうやって隠れていたのか、姉妹のゆうに3倍以上はあるであろう巨体を抱えた男が姿を現した。
人間であることだけは間違いないだろうが、その巨大な顔は覆い尽くされるほどの髭に覆われ、目鼻立ちがはっきりしない。ただ、判るのは分厚い唇とそれに覆われた牙があるだけだ。肉体美を誇るかのように上半身は裸で、下半身も股間を隠すためだけの小さな布キレが1枚腰に巻かれているに過ぎない。
彼は2人の前に現れると、巨体を揺らしながら、エルティナの前に膝を着いた。彼女の忠実な僕であり、彼女の言うことしか彼は聞かない。元々奴隷としてこき使われた彼の素質を見抜いた彼女が、自分の護衛として奴隷商人から買い受けたからだ。奴隷としてではない扱いに彼はこの上ないほどの感謝の気持を込めて、彼女に一生の忠誠を誓っている。頭領のレイテスの命令ですら、彼は耳を貸すことはない。
「久しぶりの仕事だ。お前も我々と一緒に来るがいい」
「―――光栄に存じます、エルティナ様」
分厚い唇にうっすらと笑みが浮かぶのに、メロディは寒気を感じるのを禁じえなかった。
「どうだ、スレイン。あの娘たちも立派に成長した。そう思わんか?特に、エルティナの方は」
ロイドが出てきた方とは又違う方の隣の部屋でこの光景を見守っていた盗賊ギルド団の頭領、レイテスは自分の右腕と称されている男の方を見やった。
「ワシの嫁にするに相応しい」
ニヤリ、と笑った初老の男に対して、薄暗がりの中にいるせいで長身の男の表情は見て取ることが出来なかった。
―――さて、お前はどうする、クライブ……?
4.
カスミの目が覚醒したのは、倒れてから3日が過ぎた後であった。