ドラゴンの涙(1)
「いけないっ!!」
手近にあった酒瓶を彼女が、少女に向かって投げつけた。丁度呪文を唱えようとしていた少女の額に見事に命中する。
切れてしまったようで、眉間から赤い液体が滴り落ちてくる。
呆然とした表情で、少女が彼女を見つめた。
次の瞬間、少女の全身が水に包み込まれたかと思うと、いっせいにそれが彼女に向かって氷の刃となって襲い掛かってきた。その数たるや数え切れぬほどで、避けようにも逃げ場がない。しかも、彼女ばかりか、少女自身の部下たちをも巻き込むかのように、手当たり次第に突き刺さった。
悲鳴を上げながら、ラゴールがカウンタの下に隠れる。
「チッ」
とクライブが舌を打ちながら、彼女の身体を引っつかんだかと思うと、カウンタの後ろに投げ入れた。
そのまま、銃の引金を引く。
眩い光が銃口に満たされた瞬間、まるで雨か霰かと思われるほどの光が、次々に氷の刃を打ち砕き、叩き落していく。粉々になったそれは、まるで雪の結晶であるかのように光に照らされ、キラキラと輝きを放った。
「これまでだな」
いつの間に移動したのか、銃口が血の流れ出ている少女の眉間に押し付けられる。焦点の定まらぬ瞳が、クライブの琥珀色の瞳を見上げてくる。
少女の整った顔が引きつった。
我を取り戻したらしい少女は、目の前にいるクライブに常にない恐怖を感じてしまったらしい。
「貴方は…」
「殺したくはない。だから、さっさとここから出て行け」
再びクライブの指が引金にかかるのを見た少女は、蒼白になった顔で頷き、握り締めたままの杖の先を一振りする。小さな身体が霧で包み込まれたかと思うと、まるで霧散するように少女の身体はかき消えた。
「やれやれだな…」
呟きながら、未だにカウンタの下に隠れているラゴールを捜して、クライブは長身を乗り出させる。
途端に、脳天から殴られた。
「てめぇ、何しやがるっ!!」
酷い痛みに、クライブが初めて怒声を上げた。
「それは、こっちの台詞だっ!人をゴミみたに扱いやがって!しかも、さっきは胸まで揉みやがったくせにっ」
胸元を押さえつけながら、クライブ以上の怒りの声を彼女は上げた。
「駄賃だ」
「は?」
「駄賃だよ、駄賃。助けてやったろ?」
ニヤリと笑いながら言うクライブに対して、彼女の髪と同じ赤い瞳が細められた。
「誰もそんなこと頼んでない」
ボソリと彼女が答える。
「はあ?」
「頼んでないって言ってるんだよっ」
「あのなあ…」
クライブは呆れたような溜息を吐き出した。せっかく助けてやったというのに、その甲斐のない女だ。鋭い眼差しからもプライドが高いのが見受けられるから、それも仕方のないことであるのかもしれないが。
「まあ、いいさ。にしても、店ん中凄いことになったなあ、ラゴール」
「全くだ。酒も随分ヤラれたし、こっち側は当分休業しなきゃならんかもなあ」
クライブの言葉に隠れていたカウンタの下から姿を現したラゴールは、腰に手を当て、店の中を見回しながら、溜息を吐き出すように答える。酒瓶やらグラスやらの欠片が散らばっているのは当然のこと、テーブルや椅子にも被害は及んでいる。極めつけは、やはり大きく開いてしまった壁の穴か。塞ぐのには、かなりの時間を要するかもしれない。が、今から始めるには、遅すぎる時間帯だ。明日の朝からになってしまうだろう。
「お前も手伝えよ、クライブ」
「え?その分は金に入ってねぇけど?」
「何言ってやがる。お前も壊しただろうが」
「……ちっ、判ったよ。仕方ねぇなあ」
そうは言いつつも元々そのつもりではあったのだろう。クライブは手近に転がっている椅子とテーブルとを片付け始める。
「ゴメン。アタシのせいで、こんなことに…」
しおらしく彼女が頭を下げるのを見て、ラゴールは苦笑いを浮かべる。
「こちとら、こんなことは慣れっこさ。何せこんな仕事してるんでね」
寝る前、少しくらいは片付けてしまおうかと、ラゴールも目の前の割れたグラスを、箒を使って塵取に集めると、ゴミ箱の中に全てを放り込む。それを何度か繰り返す。
2人の動きを見ていた客たちも、自分たちも巻き込まれてしまった立場であるにも関わらず、同様にして片づけを始める。
突っ立ったままの彼女であったが、引き起こしてしまった当の自分がしないわけにもいかないと思ったのだろう。客たちに紛れるようにして、動き出す。
そんな彼女をチラリとクライブは琥珀色の瞳を向けたものの、何も言わぬままに自分の仕事を続けた。