ドラゴンの涙(1)
彼女の方も負けてはいなかった。グローブの嵌めた手で拳を握ったかと思うと、目にも止まらぬ速さでパンチを男たちの急所と思われる部分にヒットさせる。細い身体からは想像もつかぬほどの力で、男の肉体をふっ飛ばし、壁に叩き付けた。
ミシリ、と罅が入ったのを見て、ラゴールは悲鳴を上げた。
何度も店が襲われたことがあっても、家具類は兎も角として、壁にまで傷をつけられたのは、これが初めてだった。どう賠償させてやろうかと、痛む頭を抱えつつも、ラゴールは計算を始める。
そのラゴールのすぐ横を、吹っ飛ばされた男の肉体が飛んでいった。
ガシャン、とグラスやら皿やらが目の前で割れていく。当然、酒の瓶も犠牲になって、茶色やら、緑やら様々な種類の酒が、無残にも床の上に水溜まりならぬ、酒溜まりを作った。
「クライブっ!!」
いい加減にキレたラゴールが、相変わらず飄々と女性を口説いている男の名前を怒鳴りつけた。
茶色とは何処か違う色の瞳が、ラゴールの方に向けられた。
その瞬間、彼の背中に向かって何かが飛んできた。
ナイフだった。
実際は今闘っている彼女に対して投げつけられたものであったが、彼女がそれを避けた為、射線上にいた彼が的になってしまった。
ラゴールの目が見張られる。
いや、ラゴールばかりでなく、その店のなかにいた全員が、一瞬、沈黙した。
ナイフは見事なまでに、彼の背中には―――突き刺さらなかった。
切先が左の指2本で押さえつけられる。力を入れたわけではないのだろうが、いとも簡単にそれは砕け、欠片が彼の足元に散った。
やれやれ、と彼は首を軽く左右に振りながら、振り返った。
「せっかくイイ女を口説いてるところなのに、邪魔しないで貰えるかな?」
今の現状をまるで判っていないかのような彼の発言に、やはりラゴールは呆れる。
「クライブ、お前なあ、何のために俺が雇ってると……」
「俺がする必要はないんじゃねぇ?」
クイッ、と形のいい顎が開けっ放しになっている扉の方を指し示した。
武装した、この村の自警団たちが真赤な顔で駆けつけてくる。これだけの騒ぎだ。小さな村に知れ渡るのもあっという間のことだったのだろう。それぞれ武器を構えたかと思うと、いきなり村に出現した得体の知れない連中に向かって突きつけた。
「この村は我々『ロッキー自警団』の管轄である!死にたくなければ、さっさと武器を収めるか、この村から出て行けっ!」
自警団のリーダーと思しき、体格のいい黒髪の男が、威勢よく彼らに向かって告げた。彼はこの村の村長の息子であり、次期村長候補の1人でもある。正義感が強いというわけではなかったが、自分の村が得体の知れぬ連中に脅かされるのは嫌っていた。その為に、自警団に所属し、他の団員たちを引っ張っていく立場に立っていた。王都で優秀な武術家に武術を習った為、それなりに武術もこなすことが出来る。でなければ、自警団のリーダーとしてはやってはいけなかっただろう。
「メロディ様、どうされますか?」
追っていた彼女のパンチを食らったせいか、頬に薄い痣の出来た男が、杖を持つ少女の耳元で囁いた。
「面倒ね…」
少女は小さく呟いたかと思うと、杖の先端を軽く回した。
「おい…」
とんでもないことが起こりそうな予感のしたラゴールは腕を伸ばし、少女の行動を止めさせようと試みた。
が、一瞬遅く、水晶球が青白い光を放ったかと思うと、仕掛けてきた自警団たちに向かってその球から、竜の形をした物凄い量の水が勢い良く放たれた。
竜の口が大きく開かれたかと思うと、まるで飲み込まれるかのように水が自警団に所属する彼らに襲い掛かっていく。
これほど派手な攻撃を受けたことなど当然ない彼らに避ける術もあろうはずもなく、全身ずぶ濡れどころか、一気に村の端にまで押し流されてしまうものや、強く地面に打ちつけられて、気を失ってしまうものまで続出した。
大層な騒ぎに、ラゴールの店の周辺ばかりでなく、村中の人たちが遠巻きに集まり始めている。
出てこないのは王国の警備隊だけ。これはいつものことで、彼らは滅多なことでは巻き込まれたくないとばかりに、姿を現すことがなかった。
少女の視線が、微動だにしないままでいる彼女の方に向けられた。
「さあ、これ以上の被害を生じさせたくなければ、一緒についてきて下さい。ねぇ、カスミさん」
「………」
グローブの嵌めた拳をキツク握り締める。逃げ込んだとはいえ、彼女とて見ず知らずの他人に被害を与えるような現状に甘んじることは、出来ないのだろう。
その時だった。
「ぎゃあーっ!!」
唐突に彼女が悲鳴を上げた。
少女やその取り巻きたちに何かをされたわけえはない。
背後から伸びてきた手に、いきなり両の乳房を揉み込まれたのだ。
「ん~、8.7リオン(87センチ)くらいかな?中々大きくてボリュームもある」
「………」
乳房を触りながら呟く彼に、当然のことのように誰もが呆れ返ったような眼差しを向けた。触られている彼女の顔は、別の意味の怒りで真赤になっている。
「そっちのカワイコちゃんはちょっとちっちゃいなあ。7.5リオンもないんじゃないかな?」
「この変態っ!!」
彼女の拳が彼の方に向けられた。
が、彼は慌てた様子もなく、その拳を受け止める。
「せっかく味方してやろうと思ったのに」
「え!?何ですって?」
「胸のおっきい子は大好きだからね」
にっこりと笑いながらそう告げたかと思うと、彼は彼女の身体ごと床の上に転がった。
丁度その頭上を鋭く尖った氷の刃のようなものが通過し、カウンタの上に突き刺さった。瞬間、小さな爆発音が起こった。カウンタの上に置かれていたグラスや皿やらが割れて、辺りに飛び散った。
「おい、クライブっ!!」
何回目か、ラゴールが怒鳴った。これ以上店を壊されてしまっては、彼としてもたまらない。修繕費だけでも相当の金額になってしまいそうだ。
「判ってるよ」
やれやれと軽く肩を竦めながら、彼―――クライブは立ち上がった。
怒りのせいか、頬を上気させている少女と向かい合う。
瞬間、少女の杖から再び水の刃がクライブに向かって飛んできた。
「めんどくせぇなあ…」
そう言いながら、クライブは長い腕を前に突き出す。氷の刃が直撃しようとした途端に、霧散した。
「………」
少女の目が訝しげに細められた。
「貴方…何者?」
「この店の用心棒で、通りすがりの銃使いだよ」
口の端を吊り上げながら、クライブは腰に差していたバカにデカイ銃をいつの間にか引き抜き、少女に向かって銃口を突きつけた。銃口もかなりの大きさがあり、少女の顔……とまではいかないにしても、それに近いくらいの大きさがあった。
「その銃は……」
心当たりでもあるのか、今度は少女の目は大きく見開かれた。
クライブは、ニヤリ、と笑う。
「こいつを知ってるとは、胸はちっこいくせに、知識は豊かなようだな」
「………」
クライブの嫌味半分の言葉に、今度は少女の片方の眉が吊り上がった。その小さな胸の前で、両手で印が結ばれる。
「レイテス様が欲しがっていたもののひとつです。まさか、このような所で巡り合うとは…。姉さまにも知らせなくては…」
「姉さま?」