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交響楽(シンフォニー)

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6.怖れていたこと



さくらは無事大学を卒業し、助産師の資格を手に入れた。

かつての古巣に舞戻った彼女は、少子化で産婦人科を扱う病院自体が減少する中、大学時代にも引けを取らないくらいに走り回っていた。

月の満ち欠けに左右される出産は、圧倒的に明け方が多い。そして予定は未定で、連鎖反応のように同じ日に重なるのだそうだ。いつぞやは、当直の他の科の看護師までかりだして対応したようだが、一晩に10人ものお産を受け持ったらしい。

望んでいた仕事に就いたさくらの眼は希望と喜びに満ち溢れていた。しかしその反面、彼女の顔には疲労の色が明らかに蓄積されていっているのが判った。

そして…彼女が助産師としてスタートして半年、暑い夏を何とかやり過ごして涼しい秋の風が吹くようになった頃だった。

4〜5日前から風邪を引いていることは知っていた。
「妊婦さんには絶対に移せない。」
と言いながらも、それでもマスクで装備を固め、前日には内科で点滴をしてもらったと言っていた。

その日はたまたま非番だったのだが、朝、私が教室で使う資料にチェックを入れているのを覗きこんださくらは、
「あれ、おかしいな。焦点が合わないし、涙が出てくる…」
とぼそっと小声でつぶやいた。
「40歳超えたもんな、そろそろ老眼鏡なんじゃないのか。」
と私が茶化すと、
「老眼鏡?そうね…」
とそれを肯定した。いつもなら自分の方が5歳も年下なんだから、歳をとったと言うなと間髪いれずに咬みつくのだが。そう言えば、今日は彼女の動作がいつもより緩慢だ。
「さくら、具合悪いのか?」
「うん…ちょっと。風邪引いてるし、息苦しいかな。」
と言いながら、治人の散らかした玩具を拾おうと身体を屈めて戻そうとした時、一瞬ぐらりと身体が揺れた。
「ホント、大丈夫か?」
「大丈夫だって。」
私は慌てて否定した彼女の腕を掴んだ。まだ半袖だった彼女の二の腕はビックリするほど熱かった。
「お前、熱あるぞ。大丈夫じゃないじゃないか!」
と、私が彼女を叱ると、
「あれ、熱ある?道理で頭痛いと思った。」
彼女は覇気のない声でそう返した。

私は
「薬飲んどけば良いって。」
と渋る彼女をむりやり車に乗せて、医者に連れて行った。

検査すると…彼女の肺は真っ白だった。
重度の肺炎にかかっていたのだ。
さくらはそのまま、病院に入院させられた。

「全く…低肺状態になったらどうするんですか。松野さんは昔からオーバーワークだったけど…休めるときは積極的に休まないと持ちませんよ。」
彼女を診た内科の高木医師は、点滴の指示をしながらため息まじりでそう言った。

やがて、病室に連れて行かれたさくらは、点滴が効いたのだろうか。昏々と眠っている。
私はそれを見届けてから、電話をかけるために病室を出た。元々夜中に母親不在なのはよくあることなのだが、今回は理由が病気だけに子供たちも心配して浮足立っているだろうし、今日はできれば面会時間を過ぎても許される限り彼女の側についていたい。そのために私の母に応援を頼んだ。

そのあと自宅に電話した。朝、急遽入院ということになり、とりあえず寝間着だけを購入し、病棟の看護師に彼女を任せた後、一旦帰って必要なものをそろえる際に、さくらの入院を置手紙で知らせただけだったからだ。
私自身はさぞ心配しているだろうと思っていたのだが、いつも元気な母が病気なのだというのは実感が持てないらしい。仕事の時のような感覚で留守番をしている様子が伝わってきて、内心ホッとした。特に治人は不安がるのではないかと危惧していたのだ。私は、多くを語らず、
「今日はお父さんも何時になるか分んないから、お祖母ちゃんのいうことよく聞くんだぞ。」
と言って電話を切った。

そして私は缶コーヒーを一本だけ買うと病室に向かった。だが、入口のところで私の足はピタッと止まった。

それは、さくらが寝ているベッドの縁でキャメルのブレザーを着た青年が、
「さくら、目ぇ覚ませよ…オレだ、オレだよ…笑ってくれよ。」
と、さくらの手をしっかりと握りしめてそう呟いていたからだった。