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交響楽(シンフォニー)

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5.その子はその子



そして、さくらがあと少しで大学を卒業しようと言う頃、久美子の6番目の子どもの妊娠がわかった。
ゆくゆくは数名でスクラムを組んで助産院を開院しようという風に相談はしているが、とりあえずさくらは自分も取り上げてもらった古巣の病院に助産師として舞い戻ることが決まっていて、久美子は、
「何としてでもお姉ちゃんのシフトの時に生まれてくるのよ。」
などと報告の時もお腹に向かって話しかけていたと、さくらが言っていた。

6人目だということもあり、誰もがすんなりと生まれてくるものだと思っていた。

ところが、その報告を私がさくらから聞いた数日後、昼少し前に我が家の電話がけたたましく鳴った。
「もしもし…。」
「あ…さくらちゃんいない?」
震えるような声で電話をかけてきたのは、純輝。
「今日は学校だ。どうかしたか。」
「よしりんでもいいよ…助けて…母さんが変なんだ。学校から帰ったら、お腹押さえて脂汗流して…助けて、お願い。」
純輝の口調は普段のようにちょっと背伸びしたようなものではなかった。それだけ、彼自身の気持ちに余裕がないのだろう。にしても、久美子がお腹を押さえて…流産というワードがすぐに頭を過って、私は一瞬にして口の中がカラカラになった。
「純輝、救急車呼んだか?」
「あ…まだ…」
私の質問に、純輝はかすれた声でそう返した。突然の出来事に完全に舞い上がっていて、とにかくさくらに連絡することしか考えていなかったようだ。
「なら、最初に救急車を呼ぶんだ。ちゃんとお母さんの状況は説明できるか?その間に俺がお祖母ちゃんに連絡してすぐに行ってもらうようにするから。行く病院が決まったら、ここにもう一度連絡してくれよ。すぐ行くからな。」
それだけを告げると電話を切り、私は久美子の母と、智也に連絡を入れた。

久美子は子宮外妊娠していた。実は流産の一割は子宮外妊娠が原因だとも言われている。大抵は子宮以外では着床しても胎児は育つことができないので、比較的早い時期に流れてしまうのだが、稀にそんな場所でも育ってしまうことがある。そうなると狭いキャパシティーには収まりきれず、本来子どもを育む器官ではない所を破裂させて緊急の事態を引き起こす。

最初の電話から20分後、純輝から病院名を告げる電話を受けた私は、すぐにその病院に向かった。
「お母さん、久美子ちゃんの容体は?」
私は私の姿を見咎めて深々と頭を下げた久美子の母に尋ねた。
「卵管が破裂したそうなので、いま緊急手術を…」
「そうですか。」
「このたびは本当にありがとうございました。」
「とんでもない、私は何もしてないです。偉かったのは純輝だ。」
私はそう言って純輝の頭を撫でた。いつもならその手を払いのけて睨む所なのだが、純輝はおとなしく私に頭を撫でられて俯いていた。母親の深刻な容体を間近で見たということと、結果ライバルの私に助けられたいう、ダブルのショックが彼を襲っていたのだろう。

いつもとは違う、年相応の中学生の少年がそこに居た。

次にさくらと共に久美子の見舞いに病室を訪れた私たちは、久美子の罵声に迎えられた。
「良かったですって!良い訳ないでしょ!!」
ものすごい剣幕でまくしたてるその声を聞いて、私たちは入り口部分で立ち止まった。久美子は同室になった年配の女性を真っ赤な目をして睨んでいた。
「あの子は生まれたかったの、そうに決まってる。だから、あんな所でだって必死に生きようとしてたんです。できることならあのまま育ってほしかった。そしたら、私…この身に引き換えてでも産んだのに…」

それは子宮外妊娠した子どもが6人目だと知ったその同室者が言った一言、
「でも、良かったんじゃないの?あなたには5人もお子さんがいらっしゃるんだし。育てるの大変でしょ。」
が原因だった。
「あなたは良くても、お母さんがいなくなったら残された子供たちはどうするの?その気があるのなら、子どもはまた授かるかもしれないのに。」
久美子の言葉に同室の女性はそう返した。
「でも、生まれてくる子はあの子じゃないです…」
「そりゃそうだけど…」
怒りの表情が崩れないままの久美子に、彼女は取り付く島がないと言った表情で口を閉ざした。

「久美ちゃん、ちょっとは体調戻った?」
それで私は場の空気を少しでも軽くしようと、わざと声の高さを上げて、手を挙げながら病室に入って行った。
「よしりん…うん…おかげ様で…」
久美子はばつが悪そうに私にそう答えた。
「久美ちゃんが早く家に戻ってくれないと、純輝がウチに来なくて寂しいよ。」
「あれ、純輝行ってないんだ。」
久美子は私の言葉に驚いたようにそう返した。
「いつもはごめんなさいね、あいつお姉ちゃんのことになるとね…」
そして久美子はため息をつきながら私に頭を下げた。
「いや、俺がこんなだから…ホント助かってるよ。」
それに対して、私は杖に目を落としてそう返した。
「いいのよ、迷惑だって言ってやって。あの子もね…早く気付けばいいのよ。あの子はお兄ちゃんじゃないんだから。お母さんにも言ってるのよ。でも、ますますあの子お兄ちゃんに似てきたから、つい口に出ちゃうみたい『高広にそっくり』って。それを聞いて育ったから、どっか自分がお兄ちゃんの生まれ変わりだなんて思いこんでる気がする。」
「そうだね。私も時々ドキッとするよ…迷惑なんかじゃないけど、一度『純輝は純輝の人生がある』って言わなきゃいけないかなって思ってる。」
さくらは久美子の言葉にそう返したが、たぶんさくらはそれを純輝に告げることはできないだろう…そう思った。

さくらは純輝が本当に高広の生まれ変わりであれば良いと思っているのだろうか。そして縦しんばそんなことがあったとしたら、彼女の心は完全に純輝の許に行くのだろうか。
2人の会話を聞きながら、私はふと、そんな支離滅裂なジェラシーを抱いていたのだった。

確かにさくらは初羽が生まれる時、女の子だったことに落胆している久美子にこれで良かった
と言っていたと聞いてはいる。

だが、それは純輝が生まれる前の話だ。かつての恋人そっくりの存在に、心が浮き立たない訳がない。

私自身もそうだったから解かるのだ。
楓は本当に同じころの穂波にそっくりだった。それからの成長にも、穂波の成長を重ねる。
穂波は穂波で、この子は楓だ…頭では理解していることに心がついていかない。
だが、それを知ればさくらは気持ちの良い物ではないだろうなと思うので、一切口には出してはいないが。

生まれ変わり…縦しんばそんなものがあったとしても、もうそれは坪内高広あるいは松野穂波の人生ではなく、笹本純輝や松野楓のそれなのだ。

だからと言って、ライバルの私が言うことなど、純輝はその耳を貸さないに違いない。