剣(つるぎ)の名を持つ男 -拝み屋 葵【外伝】-
* * *
佐佑のコードネームがグラディウス(剣)なのは、剣(日本刀)を使う戦法を好むためだ。『剣・ツルギ』とは厳密には両刃のものを指すのだが、すぐに帰るつもりでいたこともあり、佐佑はこだわらなかった。
佐佑の愛刀は、破魔の経文が掘り込まれた“柳風(やなぎかぜ)”だが、その名が銘なのか愛称なのかは定かではない。
日本刀の柳風は常時持ち歩くことができないため、予備の武器として絶えず破魔札をどこかしらに隠し持っている。
英国に来たことで特殊工作員の一人となった佐佑は、汎用武器として拳銃を支給されている。佐佑の拳銃は、今日の午前中からバッチと共に将軍のデスクの中に保管されているが、部屋には支給されたものとは別の拳銃が、各所に三丁ほど隠されている。使うのも隠したのも、佐佑本人ではない。
「こんなところか」
佐佑はアタッシュケースを閉じた。その言葉とは裏腹に、準備に抜かりはない。準備段階でのミスは命取りになる。反対に、万全の準備をしていれば、生き延びる可能性はその分だけ高くなる。
窓の外では、赤い色をした月が地平線の近くに浮かんでいた。太陽は一足先に沈んでいる。ロンドンの街は、これから夜の顔を見せ始める。
ドアをノックする音がして、佐佑は反射的に得物の位置を確認した。その視線の先にあるのは、拳銃ではなく破魔刀・柳風だ。
「どちらさまで?」
自身の声に被せてPCディスプレイの電源を入れる。映し出されたのはグレーのスーツを着た金髪の男が一人で立っている映像であり、それはドアの外側の様子を捉えたものだ。
その男は、佐佑にとって見覚えはあるが、家を訪ねてくるほどの親しい付き合いではない相手だった。つまりは職場の同僚、佐佑が所属するCMUのエージェントだ。
「講義日程のことで話がある」
勿論、佐佑は教職になど就いていない。これは、仕事の用件で来た、という意味の単純な暗号だ。
佐佑は、チィ、と短く舌打ちをしてドアの電子ロックを解除すると、すぐにディスプレイの電源を切った。
「開いている。入れ」
ドアを開いて入ってきた男は、佐佑の顔を見るなりニコリと笑った。
佐佑はその取り繕った笑みを見るのが嫌で、中身が入っていないと分かっているティーカップに手を伸ばした。
「ディナーに招待されたらしいな。グラディウス」
「おかげで“オメカシ”しなければならん。用件は?」
「つれないなぁ。これだから東洋人は。同僚への対応すら非紳士的だ」
眉を攣り上げておどけて見せたが、佐佑がその男に視線を預けることは無かった。
「右も左も分からない相手を突き放すのが、英国紳士のやり方か?」
男の名はスコット・ローレンス。
ロンドンにやってきたばかりの佐佑に、東洋人の相手はごめんだ、と正面切って言い放ち、佐佑の世話役を断固として拒否し、放棄したのだ。
その結果、自ら志願したクローディアが佐佑の世話役を務めることになり、現在に至っている。
「昔のことをいつまでも気にしているのでは、器の底が知れるぞ?」
「それで、何の用だ?」
佐佑には、スコットの話に付き合う気など毛の先ほどもなかった。
「上からの命令だ。手伝いに来たんだ」
「手伝い? 監視の間違いだろう?」
「被害妄想は止めたまえよ」
「他に“ヤツ”を見た者がいないからな。自作自演で点数を稼いでると疑うのも尤もなことだ。まだスパイだと疑う連中もいるようだしな」
「なら、はっきり言わせてもらうよ、グラディウス。今回の相手は火の魔物だそうじゃないか。塵一つ残らず焼かれたようにみせれば、行方を眩ませることができるからね。キミは上層部に信用されていない。証人が必要だ。私という証人がね」
スコットは自分の優位を確信して、フフン、と笑った。
「そうだな、確かにその通り。身元が判別できる程度に焼き残してもらえるよう頼んでみるさ」
「何をバカな!」
飄々と返す佐佑に対し、遂にスコットは声を荒げる。
「来るのは構わんが、条件が三つある。手を出すな、自分の身は自分で守れ、自分の車で行け」
佐佑はここにきて初めてスコットを直視した。
「条件を出せるような立場じゃない」
その眼光に一瞬怯んだスコットは、ほんの少し声を上ずらせていた。
「そうだな。既に謹慎の身で、これが終われば“母国に更迭”だ」
佐佑は手の中にある空のティーカップに視線を注いだ。
「そんな条件は飲めない。同じ車に乗る。途中で逃げられては困る」
スコットは、待遇の違いを思い出して再び鼻で笑った。
「そうか? お前のために言ったつもりなんだが」
佐佑は手の中で遊ばせていたティーカップをテーブルに戻し、ついと窓に視線を飛ばした。
「なんだと?」
窓の下では、回転灯の赤い光が周囲を照らしていた。
「知らないのか? 駐車違反の罰則金は、経費では落とせないんだぞ」
佐佑のコードネームがグラディウス(剣)なのは、剣(日本刀)を使う戦法を好むためだ。『剣・ツルギ』とは厳密には両刃のものを指すのだが、すぐに帰るつもりでいたこともあり、佐佑はこだわらなかった。
佐佑の愛刀は、破魔の経文が掘り込まれた“柳風(やなぎかぜ)”だが、その名が銘なのか愛称なのかは定かではない。
日本刀の柳風は常時持ち歩くことができないため、予備の武器として絶えず破魔札をどこかしらに隠し持っている。
英国に来たことで特殊工作員の一人となった佐佑は、汎用武器として拳銃を支給されている。佐佑の拳銃は、今日の午前中からバッチと共に将軍のデスクの中に保管されているが、部屋には支給されたものとは別の拳銃が、各所に三丁ほど隠されている。使うのも隠したのも、佐佑本人ではない。
「こんなところか」
佐佑はアタッシュケースを閉じた。その言葉とは裏腹に、準備に抜かりはない。準備段階でのミスは命取りになる。反対に、万全の準備をしていれば、生き延びる可能性はその分だけ高くなる。
窓の外では、赤い色をした月が地平線の近くに浮かんでいた。太陽は一足先に沈んでいる。ロンドンの街は、これから夜の顔を見せ始める。
ドアをノックする音がして、佐佑は反射的に得物の位置を確認した。その視線の先にあるのは、拳銃ではなく破魔刀・柳風だ。
「どちらさまで?」
自身の声に被せてPCディスプレイの電源を入れる。映し出されたのはグレーのスーツを着た金髪の男が一人で立っている映像であり、それはドアの外側の様子を捉えたものだ。
その男は、佐佑にとって見覚えはあるが、家を訪ねてくるほどの親しい付き合いではない相手だった。つまりは職場の同僚、佐佑が所属するCMUのエージェントだ。
「講義日程のことで話がある」
勿論、佐佑は教職になど就いていない。これは、仕事の用件で来た、という意味の単純な暗号だ。
佐佑は、チィ、と短く舌打ちをしてドアの電子ロックを解除すると、すぐにディスプレイの電源を切った。
「開いている。入れ」
ドアを開いて入ってきた男は、佐佑の顔を見るなりニコリと笑った。
佐佑はその取り繕った笑みを見るのが嫌で、中身が入っていないと分かっているティーカップに手を伸ばした。
「ディナーに招待されたらしいな。グラディウス」
「おかげで“オメカシ”しなければならん。用件は?」
「つれないなぁ。これだから東洋人は。同僚への対応すら非紳士的だ」
眉を攣り上げておどけて見せたが、佐佑がその男に視線を預けることは無かった。
「右も左も分からない相手を突き放すのが、英国紳士のやり方か?」
男の名はスコット・ローレンス。
ロンドンにやってきたばかりの佐佑に、東洋人の相手はごめんだ、と正面切って言い放ち、佐佑の世話役を断固として拒否し、放棄したのだ。
その結果、自ら志願したクローディアが佐佑の世話役を務めることになり、現在に至っている。
「昔のことをいつまでも気にしているのでは、器の底が知れるぞ?」
「それで、何の用だ?」
佐佑には、スコットの話に付き合う気など毛の先ほどもなかった。
「上からの命令だ。手伝いに来たんだ」
「手伝い? 監視の間違いだろう?」
「被害妄想は止めたまえよ」
「他に“ヤツ”を見た者がいないからな。自作自演で点数を稼いでると疑うのも尤もなことだ。まだスパイだと疑う連中もいるようだしな」
「なら、はっきり言わせてもらうよ、グラディウス。今回の相手は火の魔物だそうじゃないか。塵一つ残らず焼かれたようにみせれば、行方を眩ませることができるからね。キミは上層部に信用されていない。証人が必要だ。私という証人がね」
スコットは自分の優位を確信して、フフン、と笑った。
「そうだな、確かにその通り。身元が判別できる程度に焼き残してもらえるよう頼んでみるさ」
「何をバカな!」
飄々と返す佐佑に対し、遂にスコットは声を荒げる。
「来るのは構わんが、条件が三つある。手を出すな、自分の身は自分で守れ、自分の車で行け」
佐佑はここにきて初めてスコットを直視した。
「条件を出せるような立場じゃない」
その眼光に一瞬怯んだスコットは、ほんの少し声を上ずらせていた。
「そうだな。既に謹慎の身で、これが終われば“母国に更迭”だ」
佐佑は手の中にある空のティーカップに視線を注いだ。
「そんな条件は飲めない。同じ車に乗る。途中で逃げられては困る」
スコットは、待遇の違いを思い出して再び鼻で笑った。
「そうか? お前のために言ったつもりなんだが」
佐佑は手の中で遊ばせていたティーカップをテーブルに戻し、ついと窓に視線を飛ばした。
「なんだと?」
窓の下では、回転灯の赤い光が周囲を照らしていた。
「知らないのか? 駐車違反の罰則金は、経費では落とせないんだぞ」
作品名:剣(つるぎ)の名を持つ男 -拝み屋 葵【外伝】- 作家名:村崎右近