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剣(つるぎ)の名を持つ男 -拝み屋 葵【外伝】-

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 *  *  *

 リンダによる拘束を受けていたのは、クローディアだけではなかった。拘束されていた者たちが解放され、施設機能の復旧を始めていた。
 最上階のエレベーターホールに辿り着いた佐佑は、昇ってくるエレベーターの表示を目にすることで、その状況を察した。
 エレベーターホールの監視カメラを見上げ、手を振って合図を送る。佐佑には、害意も敵意もないことを示しておく必要があった。
 拘束されていた軍施設の者たちは、侵入者が強い力を持つ能力者であることを把握している。一般人が高位の能力者に対抗する方法として有効なのは、意識の外、つまり超長距離からの狙撃と、有無を言わさぬ先制攻撃だ。佐佑とて、出会い頭にズドンとやられてはたまらない。
「待っていた」
 佐佑は、エレベーターの到着と同時に声を掛けた。
 監視カメラの向こうに誰かがいるとは限らない。誰かがいたとしても、すでに上昇を始めていたエレベーター内に情報が伝わるという保証も無い。
 エレベーターには四人の男が乗っていた。Yシャツにネクタイ姿で、それぞれに拳銃を構えている。
「CMUのクサナギだ」
 佐佑は右手に持った身分証を掲げたが、四人の男たちは気を緩めることなく、拳銃を握り直した。
「両手を上げるんだ」
「ゼネッティ将軍に確認してくれ」
「両手を上げろと言っているんだ!!」
 佐佑に銃を向ける男は、軽い興奮状態にあった。訓練を受けてはいるのだろうが、このような状況には不慣れな事務方の男なのだろうな、と佐佑は思った。
「左腕は負傷で上げられない」
 他の三人が機敏な動きで周囲の安全を確認しているのを目端に捉え、まともなのがいて良かった、と安堵する。
 この事務方の男は、他の三人の上官にあたるのだろう。どういった経緯で先発隊を率いることになったのかは定かではないが、綺羅かに慣れていないし、恐らく本意でもない。その証拠に、銃を持つ手が震えている。
「この襲撃を手引きしたのがゼネッティであることは、既に調べがついている」
「なっ!?」
 リンダとゼネッティが共謀していたことは、紛う事無き事実だ。
 共謀の事実を利用して失脚させれば、目障りなCMUを排除することができる。ほんの少し思考をめぐらせれば、そのような動きがあってもおかしくないことに気が付く。
 佐佑は自分の迂闊を呪った。
「襲撃を受けた施設の者が、一階で倒れていた。長い黒髪の東洋人。貴様は目撃証言と一致する」
 拳銃を握る手に、より一層の力が込められた。少しでも怪しい素振りを見せれば、射殺も止む無し、という気概が見て取れる。
 佐佑にとって、今この瞬間に四人を制圧することは難しいことではない。それぐらいの余力はある。自分一人であれば、四人の頭からここで出会った記憶を消して身を潜め、じっくりと脱出の機会を待てばいい。だが、その方法では屋上の二人を連れて脱出することはできず、かといって、二人を残して脱出することなど、佐佑にできるはずもない。
 選択肢は二つ。
 大人しく捕まるか、蹴散らして脱出するか。
 どちらも道も、安息の日々には通じていない。
「まいったな」
 佐佑は無意識に呟いていた。

 エレベーターの到着を報せる音がエレベーターホールに響いた。
 佐佑は銃口を向けられたままであったため、眼球を動かさずにどのエレベーターが到着するのかを確認した。
 この施設にあるエレベーターの総数は八基。そのうち、機密区画を移動できるエレベーターは、半数の四基。最上階は機密区画であるため、その四基分の扉しかない。
 その四つの扉すべてに、到着を報せる明かりが灯っていた。それはつまり、機密区画を移動できるエレベーターが、すべて最上階に揃うということだ。
 四基のエレベーターを最上階に保持しておけば、更なる後続の到着を大幅に遅らせることができる。
 佐佑は表情には出さずにほくそ笑んだ。
 最初のエレベーターに乗っていたのは僅かに四人。それが、待ち伏せによる被害と機動性とを考慮した上での最小限の人数であったとしても、エレベーター一基につき六人から八人が関の山となる。
 最上階に向かっている三基にそれぞれ八人が乗っていたとしても、既に最上階にいる四人を含め、三十人を下回る計算だ。エレベーターホールのような狭い場所にまとまっているのであれば、四人でも三十人でも大差は無い。
 佐佑は、自分に銃口を向ける男と目をあわせ、肉体と精神の狭間の世界へ引きずり込んだ。一般人であろうが能力者であろうが、注視してくる相手は容易く引きずり込むことができる。
 色と音とが抜け落ちた世界。未体験の者は、あっという間に恐怖に呑まれ、混乱に陥る。
そこに一つ二つ声を掛けてやれば、恐慌状態の出来上がりだ。
 掴んでいた精神を解放し、現実世界へと戻す。その瞬間に生まれる、戻ってきた色と音とに途惑う僅かな隙。
 佐佑がとった行動は、目の前の男を殴り飛ばすことでも、身を翻して逃げることでもなかった。
 佐佑は、後ろで纏めてあった自分の髪を、一息に解いた。
 緩やかに広がり重力に引かれて垂れてゆく黒髪は、エレベーターホールの味気ない照明でさえも美しく反射して輝いた。
「何をしている!」
 混乱から抜け切れていない問い掛けに、佐佑は答えなかった。
 答えはしなかったが、代わりに笑んで見せた。
「貴様! 何をした!?」
「粉末状にしたケシの種子を撒いた。人間の体内に侵入し、痺れさせて意識を奪う。麻酔と同じだな。ただ、俺の呪いをたっぷりと吸った特製のヤツだ。俺自身には効果は無いし、口を塞いだところで防げはしない」
 ケシはアヘンやモルヒネの原料となる植物だ。
 粉末状にしたケシの種子は、佐佑が追い詰められたときに使用する奥の手であり、常に髪の中に隠し持っている物だ。
「う…ぁ…」
 一人、また一人とその場に崩れ落ちる。
 エレベーターホールは、決して気密性が高いとは言えないが、短時間であれば充分な効果を発揮する。エレベーターが到着していない扉を開け、エレベーターシャフトという広大な空間と繋げれば、あっという間に換気を行うことができる。
 だが、エレベーターが四基とも最上階にある今は、エレベーターシャフトを利用した換気は不可能となる。
 エレベーターが到着する寸前に行動を起こしたのは、もう一つ理由がある。到着直前であれば、監視カメラを通して異変を察知しても、それをエレベーター内に伝える時間が無く、仮に伝えることができていたとしても、上昇するエレベーター内で有効な対策を立てることは不可能である。
 ケシの粉末は、人体が持つ静電気に吸い寄せられ、目鼻口、そして皮膚からも体内に侵入する。全身を覆う防護服でも身に着けていない限り、防ぐ手立ては無い。
 三つの扉が順に開く。
 佐佑はエレベーターホールの端で気配を消し、エレベーターから何人もの人間が飛び出してくる様子を眺めていた。