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剣(つるぎ)の名を持つ男 -拝み屋 葵【外伝】-

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「十種神宝 八握剣(トクサノカンダカラ ヤツカノツルギ)」
 突如として立ち昇った光の柱が、ヘリポートの三分の一を消し飛ばした。柱は天に届かんばかりの勢いで伸び、ロンドン上空に浮かぶ雲という雲を一瞬のうちに蒸発させた。
 ぽっかりと開いた穴の中心には、草薙佐佑の姿があった。
 十種神宝・八握剣は、佐佑の最終奥義。雷術・八雷神を遙かに凌駕する威力を持ちながらも、術者の消耗と負担は皆無という、恐るべき術である。全開で水平発射すれば、射線上にあるすべてを削り取り、旋回照射など行おうものならば、地平の彼方まで見渡す限りの更地ができあがる。一片の瓦礫さえも残すことはない。欠点は、威力が大きすぎて使いどころが無いという点だ。周囲に及ぼす影響を考えれば、早々使うことはできない。一匹の蚊を戦車砲で打ち落とそうとする者はいない。
 佐佑は、この術を我が物にせんとする輩に狙われ、遠く英国の地に派遣されたのだ。
 リンダは驚愕の目を佐佑に向けた。
 その破壊力もさることながら、あれだけ強力な術を放っておきながら、佐佑から僅かな疲弊も見て取ることができなかったからだ。
 十種神宝・八握剣は、八握剣という超兵器を召喚する術。ただトリガーを引くだけの動作には、何の疲労も無い。
「美しいわ」
 リンダは賞賛の声を発した。
 正面からの力比べでは、リンダはソフィアに劣る。リンダの勝機は、長年の経験を駆使して正面からの戦いを避け、老獪に絡めとることにある。不意を突かれてしまえば、リンダに勝ち目は無い。
 それは、この決戦に臨む三人の共通認識であり、揺るぎ無い事実でもあった。
 必然的に、如何にして不意を突くか、不意を突かせないか、という点を重視した戦いとなる。
 故に、リンダのこの行動は、致命的とも言える悪手であった。
 リンダと佐佑は、視線を交えた。
 刹那、ヘリポートと屋内とを結ぶ扉が勢いよく開け放たれ、そこに仁王立つソフィアの気迫が、ごう、と音を立ててリンダを襲う。
 リンダは、自身を見上げる佐佑に微笑みを残し、ソフィアに向き直る。ゆっくりと、一瞬を惜しむように。
 リンダは既に敗北を悟っていた。
 力で他を統べようとしていたリンダには、自分を遙かに上回る力の存在から目を逸らすことなどできはしない。
 現在の力弱き者が台頭する世界の構造を変える。それがリンダの最終目的。リンダが思い描いていた理想。
 正義が勝つのではない。勝った者が正義となる。
 ならば、勝者が道を誤らなければ、正義は真の正義となる。
 クローディアの“不老”、ソフィアの“魔力”、そしてリンダ自身の“理想”、これらが揃い、老いることなく、衰えることのない、力を手にしたそのとき、永遠の正義が実現する。
 けれど、実現のために用意した大魔法陣は、リンダが求めていたものを遙かに上回る力によって消し去られてしまった。易易と阻まれてしまった。
 認めなければならなかった。永遠の正義を実現させるのは、自分ではないことを。
 だが、リンダは抵抗をやめなかった。
「そう甘くはなくてよ」
 リンダは、ソフィアの気迫を真っ向から受け止める。
 マジック・ミサイルの形を成す必要は無い。ただただ魔力そのものをぶつけあうのみ。強い者が勝つ、気迫の勝負。
 既に負けを認めたリンダが勝負を受けたのは、意地でも自棄でもない。
 勝った者が正義であるならば、歴史はリンダを悪として裁く。リンダだけではない。その家族にも、正義という名の鉄槌を振り下ろす。敗れた自分は、どのような裁きも受けよう。どんな罰も受けよう。
 だが、受けるのは自分だけだ。
 ソフィアが引導を渡してリンダの計画を阻止すれば、少なくとも共犯を疑われることはなく、罪に問われることもない。
 リンダが勝負を受けたのは、家族への、孫への親愛によるものだ。
 だからこそ、佐佑も手を出さずに見守っている。

 やがて、決着の瞬間が訪れた。

 *  *  *

 佐佑が階下から屋上ヘリポートへと辿り着いたとき、ソフィアは横たわるリンダの脇に膝をつき、物言わぬままその手を握っていた。
 リンダは笑っていた。髪が少し乱れているだけで、眠っているかのようだった。
 その数歩先に、地に伏したクローディアの姿があった。拘束していたリンダの術がその効力を失ったために、地面に落ちている。
 佐佑はソフィアには声を掛けず、クローディアの元へと向かった。
 抱き起こし、意識を失っているだけであることを確認し、そっと頬を寄せる。その表情には、微塵の緩みも存在しない。
 その胸中では、自問が繰り返されている。
 クローディアは無事だった。しかしそれは、身体的には、だ。
 リンダから自身の秘密を聞かされているかもしれない。聞かされていなかったとしても、記憶を封じることで“不老”の存在であることを忘れていたクローディアは、時の流れとともに異変を感じ、自身の正体に気付くことになるだろう。
 佐佑の手で記憶を消してしまうこともできる。だがそれは、何の解決にもならぬ一時的な処置でしかない。
 そして、クローディアが“不老”の存在であることを知ってしまった佐佑もまた、似て非なる苦悩を抱えることになる。
 これからの二人は、互いに埋められぬ孤独を抱えて生きてゆくのだ。
 かつて、ゼネッティも佐佑と同じ苦悩を味わった。“不老”という超常の現象を目の当たりにした混乱、恐怖、そして突きつけられた己の無力に絶望した。
 その後、ゼネッティはクローディアを形式上の妻として迎え、時が過ぎると娘とした。一時しのぎでしかなくとも、安息のときを過ごして欲しいと願った。
 それがゼネッティの選択だった。
 ―― 自分ならどうするだろう
 佐佑は自問を繰り返す。
 ゼネッティには偉そうなことを言ったが、結局は自分を守りたいだけではないのか。
 答えなど見出せるはずもなく、佐佑はクローディアを抱く手に力を込めた。
「行きましょう」
 力の無い、ソフィアの声。
「キーを手に入れて、エレベーターを動かさなければ」
 佐佑が式神を出せば、二人を抱えて移動することも可能なのだが、人を抱えたまま梯子を下る行為には、相応の危険が伴う。
「そう……だな。だが、二人をこのままにもしてはおけない。俺が一人で行く」
「分かった……お願いするわ」
 半ば放心状態にあるソフィアを一人残すことには躊躇いがあったが、他に選択の余地がなかった。
「二人を頼む」
 佐佑は、屋内へと続く扉へと走った。