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剣(つるぎ)の名を持つ男 -拝み屋 葵【外伝】-

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「連れて帰るつもりでいました。しかし今、その考えが変わりました。彼女は、自分のことで苦悩するあなたを、これ以上見たくないのだと思います。逃げだしたいわけではないことは、あなたが一番知っているでしょう。あなたの気持ちは分かる。私も、彼女の願いを叶えてやりたい、と思います。けれど、順番を譲るのは、まだ早い」
「キミは……」
「本当に命を投じても救えないのか、残りの人生を通して試してください。それでもダメだったときは、私が引き継ぎましょう。ただし、今回のようなやり方は認めない」
 誰が認めないのかなど、声に出す意味も必要もない。
「事の始末が付き次第、英国を発ちます。このまま会わずに」
「……感謝する。“Gladius”」
「半分は私の都合です。私の敵は、ここにはいない」
 日本にも、リンダやゼネッティに協力した者がいる。その者こそ“草薙佐佑”の敵。佐佑は日本に帰った後、その者と戦わなければならない。守るものがあっては、戦えない。
 それからしばらくの間、沈黙の時間が続いた。
 そして、何の前触れもなく、その瞬間が訪れた。
「予想より随分早かったじゃない」
 けたたましく開かれた扉、仁王立ちの少女。
 床に向かって真っ直ぐに伸びるナチュラルブロンド、白のブラウス、膝下まである紺のフレアスカート。胸元には、深い輝きを放つサファイアをあしらったブローチ。
 ソフィア・クロウは、嫌味をたっぷりと含んだ言葉を投げ、口の端を緩めた。
「お暇してもよろしいのかしら?」
 ちらり、とゼネッティを見やる。監禁ではないが、一室に軟禁されていたソフィアにしてみれば、嫌味の一つも言ってやりたいところだ。
「行こうか、ソフィア」
 佐佑は、そんなソフィアの視線を遮るように立ちあがった。
「待て」
 佐佑を呼び止めたのは、ゼネッティだ。
 ゼネッティは、デスクの引き出しを開き、中から拳銃を取り出した。
 佐佑は、危険だと判断し身構えたソフィアに対し、手を差し出すことで警戒する必要がないことを伝えた。
「預かっていた銃とバッチだ。何かの役には立つだろう」
 銃本体、弾装、身分証バッチ。デスク上に並べられたその三つを、佐佑は一つ一つ手に取った。
「他に協力できることは?」
 佐佑は、ほんの一瞬だけ思考をめぐらせ、長生きしてください、と告げた。

 *  *  *

「すまなかったな」
「え?」
 佐佑の口から出た言葉は、ソフィアにとって脳が理解を拒むほど意外なものだった。
 軍の施設を出た二人は、一先ず最寄りの駅に歩いて向かっていたのだが、その途中でどちらからともなく、食事をしよう、という話になったのだ。
 二人は、市街のどこにでもあるような軽食店で、それぞれ種類の違うサンドイッチを注文し、それを食べ終えたところだった。
「悪かった、と言っている」
 一度目こそ面食らっていたソフィアだったが、二度目にはしっかりと理解した。
「どの件についてかしら?」
 今この時点での力関係を把握したソフィアは、少しだけ意地悪を言いたくなった。
「いろいろ、全部だ」
「そう。まぁ、赦して差し上げますわ」
 佐佑に非がないことは、ソフィアも分かっている。
 ミラビリスの本体はソフィアに憑いていた。悟られぬようにそれと告げるのは、至難の業であった。成功する確率は高くなく、その上、失敗した際のリスクが大きすぎた。
 佐佑は、ソフィアに何も告げなかったのではなく、告げることができなかったのだ。そしてソフィアにも、自分が正体を見抜けていれば問題は起こらなかった、という負い目があった。
「その手、大丈夫?」
 仰仰しく包帯が巻かれた佐佑の左手は、軍の施設で再会したときから一度も使われておらず、力無く垂れ下がったままだ。
「これか? 不覚を取った。ま、しばらくは使えないが、そのうち治る」
 佐佑は、ぱんぱんと左腕の肩口を叩いた。
「本当に?」
 ソフィアは再度問い掛ける。疑っているのではない。ただ安心を得たいのだ。
「あぁ、本当だ。今も少しは動かせる」
 そう言って、佐佑は左手を目の高さまで上げてみせた。
「よかっ……た」
 佐佑の動作を見届けたソフィアの顔が、くしゃり、と歪む。そして間を置かず、大粒の涙が零れ落ちる。
「一人になって、不安で、あなたが死んでしまったんじゃないかって、でも生きてるって聞かされて、助けられるのならどうなってもいいって、でも怖くて、申し訳なくて」
「いいんだ」
 佐佑はソフィアの言葉を遮り、その代わりに真っ直ぐ瞳を見つめた。
「その服、似合っているよ」
 十二歳のソフィアには、ほんの少し大人びた服装だったかもしれない。しかし佐佑は、決して嘘やお世辞で言ったわけではない。
「ありがとう、うれしい」
 ソフィアは成長したのだ。子供から大人へと。
「そういえば、バニラパフェをご馳走してやる約束だったな」
「ん……でも、今日はやめておくわ」
 ソフィアは涙を拭う。
「だって、すべてが終わってからの方が、今ここで食べるより美味しいはずだもの」
 笑顔が弾けた。輝かんばかりのその笑顔には、誰もが癒され、心温まっただろう。
「それより、お婆さまの居場所だけど」
「バニラパフェを一つ。大急ぎで」
 佐佑はパフェを注文した。
「……え?」
 そして、唖然とするソフィアに対し、冷然と言い放つ。
「ダメだ。今すぐ食え」
「……ちょっと」

 *  *  *

 店を出た二人は、再び最寄り駅への途に就いていた。
「いい気なもんだな」
 時刻は昼下がり。間もなく夕刻を迎える頃。
 道の先に見える駅周辺には、様々なベクトルを内包した雑踏と賑わいがあり、その手前、駅前の広場では、恐らく無認可であろう露天商たちが思い思いの商品を並べていた。
「何がよ」
 ソフィアはまだご機嫌ななめなようだ。
「つい先日だぞ? 一夜にして数百人が消えたのは」
「知らないことに罪はないわ。それに、平然としているのは私たちも同じでしょう」
「自分を良く言うつもりはない。だがその通り。あの人たちに罪はない」
 罪があるとすれば、事前に知っておきながら阻止しようとしなかった者たち。二人にとってそれは、口に出す必要などない共通理解だ。
「高みの見物をしてやがる」
 ソフィアはこの言葉で、佐佑が先ほど口にした言葉が誰を指していたのかを知る。
 表向きには、集団失踪事件。まさしく謎の。
 しかし、事の真相を知っている者の数は、想像よりもずっと多い。
 自分たちには直接害が及ばぬことを知っている。だから何もしない。対策も調査も、何もかもをだ。
 一陣の風が、二人の間を吹き抜けた。
 風上にいたソフィアの髪が、風に吹かれて柔らかな光を放つ。それに呼応するように、佐佑の黒い髪がしなやかに揺れた。
 ソフィアは、風に踊る髪を捕まえ手櫛で整えた。
「そうだ、髪留めを買ってやろう。どれでも好きなものを選べ」
 ほど良く数歩先に、女性用のアクセサリーを所狭しと並べた露店があった。
「クサナギ。あなたが選んで」
「俺はセンスがない」
 ソフィアは微笑みながら首を振る。
「いいの。大切にする」
 二人はうっすらと、しかし確実なものとして感じていたのだ。
 別れのときが、すぐそこまで近づいていることを。