剣(つるぎ)の名を持つ男 -拝み屋 葵【外伝】-
* * *
軍施設と言っても、見た目はオフィスビルである。自動小銃を携えた兵士が絶えず巡回しているような、前線の基地ではない。
とはいえ、軍施設であることに変わりはなく、入口で来訪目的を告げ、入館許可証及び身分証を提示し身元確認を受けなければ、内部に足を踏み入れることはできない。
しかし、佐佑には無意味である。
完璧に気配を消した佐佑は、目には映っても脳には認識させない。勿論、監視カメラには映り込むし、その映像を見ている者には認識されてしまうが、そこは何度となく訪れている施設。見覚えがあればそれほど不審には思われない。不審な行動、つまり、いつもとは違う行動さえ取らなければ、どうということはない。
佐佑の見た目は完全に日本人。街中はともかく、軍施設内では完全に異質なものだ。さらに、長髪を一つに結った“しっぽ”という目立つ特徴もある。警備担当者が佐佑を覚えていても不思議ではない。
軍施設に侵入した佐佑が向かったのは、いつも通りの場所、ゼネッティ将軍の部屋だ。
「なぜここに……」
ゼネッティは幾つもの勲章を煌かせたいつもの軍服姿ではなく、紺のスーツ姿であった。
表情には驚きと動揺が色濃く浮かんでいたが、取り乱していなかった。彼の軍人としての矜持が、それを許さなかったのだ。
「迅速、且つ、確実に解決するため、最良の方法を選択したと自負しております」
「それしか言えんのかね」
脱力した笑みを浮かべ、ゼネッティは決まり文句を返す。
「警戒なさらなくても大丈夫です。私は丸腰です」
「キミには銃など必要ないだろう」
「掛けても構いませんか?」
ゼネッティは、片手で佐佑に着座を促すと、自身は本皮の椅子に身体を沈めた。
抵抗が無駄であることは熟知している。引き出しには拳銃があり、デスクの死角には押すだけで武装した警備員が駆けつけるスイッチもある。しかし、下手に人を呼べば被害が増えるだけだ。ゼネッティは既に腹を括っている。
「あなたが私に差し向けた結界師、彼女の記憶をそっくり奪いました」
「嘘も誤魔化しも通用しないということか」
「あなたはフレイムアートの頭目でもあった。CMUとフレイムアート、対極である二つの組織を使ってあなたがやりたかったこと。それは名誉や出世ではない。能力者たちの地位や権利、何よりも市民権を認めさせたかったのですね。英国だけでなく、世界中に」
ゼネッティは否定も肯定もせず、目を閉じた。
佐佑は続ける。
「そのために、脅威と有用性を証明しようとした。しかし、リンダ・クロウや日本退魔師界の長老連中を利用しようとして、逆に利用された」
「無償で協力してくれる者などいやしない」
「一つ分からないのは、なぜ能力者ではないあなたが行動を起こしたのか」
ゼネッティの顔が歪む。
そして訪れる数秒の沈黙。
「キミは、彼女を愛しているかね?」
佐佑は、ゼネッティが言う“彼女”が誰のことなのかを考えた。
沈黙から一転、ゼネッティは佐佑の返事を待たずに話し続ける。
「私は彼女を愛している。親として、ではないよ。私と彼女は親子ではないんだ」
佐佑は、“彼女”がゼネッティの娘であるクローディアであったと分かり、耳を傾ける。
「彼女と出会ったのは、今から三十年ほど前のことだ」
「それでは計算が合わない」
クローディアは、佐佑と同じ二十八歳だ。
「話は最後まで聞きたまえ。今から三十年前、彼女と出会った私は、あっという間に恋に落ちた。そして愛を囁いた。だが彼女は私を受け入れてはくれなかった。自分で言うのもなんだが、当時の私は男としての過不足はなかった。問題は彼女の方にあった。年を取らないという大きな問題がね。三十年前の彼女は、今と変わらぬ姿だったのだ」
「クローディアは一般人と何ら変わりのない“人間”だ。人間離れした特殊能力を持っているわけではない」
佐佑は反論する。だが、ゼネッティが嘘を言っていないことは分かっていた。認めたくない、という佐佑自身の願望が無意味な反論を行わせたに過ぎない。
「彼女はただ年を取らないだけ。心が傷付けば涙を流し、身体が傷付けば赤い血を流す」
そして、佐佑の脳裏に一つの仮定が生まれる。
「霧魔に喰わせる気だったのか」
「キミは頭がいい。いずれは彼女の苦悩にも気が付いていただろう。分かるはずだ、みなが年老いていく中で、ただ一人取り残される恐怖を。あれは、特殊能力などではない。あれは、呪いだ」
ゼネッティは、悲しげに微笑んだ。
「死なせてやるつもりだったのならば、喰わせる必要はないだろう」
「老いて死ぬこと。それが彼女の願い。私には彼女の願いを叶えてやる力はない。だが魔女は、“不老”だけを抜き取れると言った」
「魔女の甘言に釣られたか」
佐佑は小さくため息を吐いた。その意味するところは、哀れみだ。
「将軍、“不老”であることを呪いと呼ぶのは自由です。しかし、彼女の“不老”は呪いによるものではありません。他者によって付随させられたものであれば、魂の波長に乱れが生じます。彼女を通して私を監視している者がいないかどうか、会う度に精査していました。彼女が“不老”であるならば、それは天性のものです」
ゼネッティは、そんなことは分かっている、とばかりに佐佑を睨んだ。
佐佑は視線を正面から受け止め、そのまま続けた。
「天性のものであるということは、魂の一部であるということです。それを抜き取れば、魂の形が変わってしまう。形というより、内部的な構成。絶妙なバランスによって組まれた魂は、一つの要素が抜けただけで完全に別のものに変わってしまう。抜いた分を補うためには、同質で同量、もしくは極めて酷似したエネル…ギーを……」
佐佑の表情が険しくなる。
「そのために一般人の魂を喰わせたのか」
抑えてはあったが、怒りに震えた声だった。
「この命を投じようとも、私には彼女を救ってやることができないのだ。ならば、それ以上を費やすしかなかろう。尤も、キミに阻止されてしまったが、な」
そう静かに語ったゼネッティは、懺悔するかのように天を仰いだ。
「ソフィアは無事ですか?」
佐佑は話を変えた。事が済んだあと、何らかの形でその責任を取り、余生を贖罪に費やすつもりであったことが伝わってきたからだ。加えて、今ここでゼネッティを責めても、何の解決にもならないことは明白だ。
「丁重に扱っているよ。自由に出歩けないことで、不満が溜まっているかもしれないが」
「リンダ・クロウはどこにいますか?」
「ここにはいない。詳しい居場所は分からないが、北に向かったままだ。今日明日には戻る予定だったが、まだ何の連絡もない」
「ソフィアをここへ。彼女ならリンダの行き先に心当りがあるでしょう。これからすぐ向かいます」
ゼネッティは、おもむろに内線を繋いだ。
「“ナイトが迎えに来た”と伝えて、私の部屋へ」
言い終わると、返事を待たずに内線を切る。
「会っていかないのか?」
ゼネッティは、クローディアに会わないのか、と言っているのだ。その顔は、父親のそれになっている。
「実は、日本に連れて行って欲しい、と言われています」
佐佑は、情けない話ですが、と視線を落とした。
軍施設と言っても、見た目はオフィスビルである。自動小銃を携えた兵士が絶えず巡回しているような、前線の基地ではない。
とはいえ、軍施設であることに変わりはなく、入口で来訪目的を告げ、入館許可証及び身分証を提示し身元確認を受けなければ、内部に足を踏み入れることはできない。
しかし、佐佑には無意味である。
完璧に気配を消した佐佑は、目には映っても脳には認識させない。勿論、監視カメラには映り込むし、その映像を見ている者には認識されてしまうが、そこは何度となく訪れている施設。見覚えがあればそれほど不審には思われない。不審な行動、つまり、いつもとは違う行動さえ取らなければ、どうということはない。
佐佑の見た目は完全に日本人。街中はともかく、軍施設内では完全に異質なものだ。さらに、長髪を一つに結った“しっぽ”という目立つ特徴もある。警備担当者が佐佑を覚えていても不思議ではない。
軍施設に侵入した佐佑が向かったのは、いつも通りの場所、ゼネッティ将軍の部屋だ。
「なぜここに……」
ゼネッティは幾つもの勲章を煌かせたいつもの軍服姿ではなく、紺のスーツ姿であった。
表情には驚きと動揺が色濃く浮かんでいたが、取り乱していなかった。彼の軍人としての矜持が、それを許さなかったのだ。
「迅速、且つ、確実に解決するため、最良の方法を選択したと自負しております」
「それしか言えんのかね」
脱力した笑みを浮かべ、ゼネッティは決まり文句を返す。
「警戒なさらなくても大丈夫です。私は丸腰です」
「キミには銃など必要ないだろう」
「掛けても構いませんか?」
ゼネッティは、片手で佐佑に着座を促すと、自身は本皮の椅子に身体を沈めた。
抵抗が無駄であることは熟知している。引き出しには拳銃があり、デスクの死角には押すだけで武装した警備員が駆けつけるスイッチもある。しかし、下手に人を呼べば被害が増えるだけだ。ゼネッティは既に腹を括っている。
「あなたが私に差し向けた結界師、彼女の記憶をそっくり奪いました」
「嘘も誤魔化しも通用しないということか」
「あなたはフレイムアートの頭目でもあった。CMUとフレイムアート、対極である二つの組織を使ってあなたがやりたかったこと。それは名誉や出世ではない。能力者たちの地位や権利、何よりも市民権を認めさせたかったのですね。英国だけでなく、世界中に」
ゼネッティは否定も肯定もせず、目を閉じた。
佐佑は続ける。
「そのために、脅威と有用性を証明しようとした。しかし、リンダ・クロウや日本退魔師界の長老連中を利用しようとして、逆に利用された」
「無償で協力してくれる者などいやしない」
「一つ分からないのは、なぜ能力者ではないあなたが行動を起こしたのか」
ゼネッティの顔が歪む。
そして訪れる数秒の沈黙。
「キミは、彼女を愛しているかね?」
佐佑は、ゼネッティが言う“彼女”が誰のことなのかを考えた。
沈黙から一転、ゼネッティは佐佑の返事を待たずに話し続ける。
「私は彼女を愛している。親として、ではないよ。私と彼女は親子ではないんだ」
佐佑は、“彼女”がゼネッティの娘であるクローディアであったと分かり、耳を傾ける。
「彼女と出会ったのは、今から三十年ほど前のことだ」
「それでは計算が合わない」
クローディアは、佐佑と同じ二十八歳だ。
「話は最後まで聞きたまえ。今から三十年前、彼女と出会った私は、あっという間に恋に落ちた。そして愛を囁いた。だが彼女は私を受け入れてはくれなかった。自分で言うのもなんだが、当時の私は男としての過不足はなかった。問題は彼女の方にあった。年を取らないという大きな問題がね。三十年前の彼女は、今と変わらぬ姿だったのだ」
「クローディアは一般人と何ら変わりのない“人間”だ。人間離れした特殊能力を持っているわけではない」
佐佑は反論する。だが、ゼネッティが嘘を言っていないことは分かっていた。認めたくない、という佐佑自身の願望が無意味な反論を行わせたに過ぎない。
「彼女はただ年を取らないだけ。心が傷付けば涙を流し、身体が傷付けば赤い血を流す」
そして、佐佑の脳裏に一つの仮定が生まれる。
「霧魔に喰わせる気だったのか」
「キミは頭がいい。いずれは彼女の苦悩にも気が付いていただろう。分かるはずだ、みなが年老いていく中で、ただ一人取り残される恐怖を。あれは、特殊能力などではない。あれは、呪いだ」
ゼネッティは、悲しげに微笑んだ。
「死なせてやるつもりだったのならば、喰わせる必要はないだろう」
「老いて死ぬこと。それが彼女の願い。私には彼女の願いを叶えてやる力はない。だが魔女は、“不老”だけを抜き取れると言った」
「魔女の甘言に釣られたか」
佐佑は小さくため息を吐いた。その意味するところは、哀れみだ。
「将軍、“不老”であることを呪いと呼ぶのは自由です。しかし、彼女の“不老”は呪いによるものではありません。他者によって付随させられたものであれば、魂の波長に乱れが生じます。彼女を通して私を監視している者がいないかどうか、会う度に精査していました。彼女が“不老”であるならば、それは天性のものです」
ゼネッティは、そんなことは分かっている、とばかりに佐佑を睨んだ。
佐佑は視線を正面から受け止め、そのまま続けた。
「天性のものであるということは、魂の一部であるということです。それを抜き取れば、魂の形が変わってしまう。形というより、内部的な構成。絶妙なバランスによって組まれた魂は、一つの要素が抜けただけで完全に別のものに変わってしまう。抜いた分を補うためには、同質で同量、もしくは極めて酷似したエネル…ギーを……」
佐佑の表情が険しくなる。
「そのために一般人の魂を喰わせたのか」
抑えてはあったが、怒りに震えた声だった。
「この命を投じようとも、私には彼女を救ってやることができないのだ。ならば、それ以上を費やすしかなかろう。尤も、キミに阻止されてしまったが、な」
そう静かに語ったゼネッティは、懺悔するかのように天を仰いだ。
「ソフィアは無事ですか?」
佐佑は話を変えた。事が済んだあと、何らかの形でその責任を取り、余生を贖罪に費やすつもりであったことが伝わってきたからだ。加えて、今ここでゼネッティを責めても、何の解決にもならないことは明白だ。
「丁重に扱っているよ。自由に出歩けないことで、不満が溜まっているかもしれないが」
「リンダ・クロウはどこにいますか?」
「ここにはいない。詳しい居場所は分からないが、北に向かったままだ。今日明日には戻る予定だったが、まだ何の連絡もない」
「ソフィアをここへ。彼女ならリンダの行き先に心当りがあるでしょう。これからすぐ向かいます」
ゼネッティは、おもむろに内線を繋いだ。
「“ナイトが迎えに来た”と伝えて、私の部屋へ」
言い終わると、返事を待たずに内線を切る。
「会っていかないのか?」
ゼネッティは、クローディアに会わないのか、と言っているのだ。その顔は、父親のそれになっている。
「実は、日本に連れて行って欲しい、と言われています」
佐佑は、情けない話ですが、と視線を落とした。
作品名:剣(つるぎ)の名を持つ男 -拝み屋 葵【外伝】- 作家名:村崎右近