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剣(つるぎ)の名を持つ男 -拝み屋 葵【外伝】-

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 佐佑には、一つだけ腑に落ちないことがあった。
 明確に感じていたわけでもなく、ほんの僅かな違和感でしかなかったが、ずっと燻り続けていた。
 なぜリンダは佐佑が過去の記憶を消し去っていることを知っていたのか。
 佐佑が過去の記憶を保持していれば、自身が魔性と交わったことで生まれた半人半魔の存在を知らぬはずは無いし、間違えることも無い。しかし、ソフィアに憑いていた魔性は、ミラビリスの本体であった。そして、それがリンダの計画であることにも間違いは無い。
 つまり、リンダは佐佑が過去の記憶を持たぬことを知っていたのだ。日本の上層部でも、一部にしか知られていないことであるにも拘らず、だ。
 そこから導かれる答えは、佐佑が英国に派遣されることも計画の一つであった、ということ。リンダの計画に協力する者が日本の上層部にいる、ということ。
 リンダの目的は、借体形成の術とソフィアの身体である。よって、ソフィアにとっての黒幕は、リンダ・クロウだ。
 それに準じるならば、佐佑とっての黒幕はリンダの計画に協力する何者かであり、その目的は佐佑にあることになる。
 佐佑には心当りがあった。
「俺の持つ“神宝(かんだから)”が狙いだったのか」
 佐佑は、自身が英国へと派遣されることになった詳しい経緯を知らない。上から言われるままやってきたにすぎない。とは言え、佐佑自身にも渡英する利点はあった。
 佐佑は欲していたのだ。――“敵”の存在を。
 打ち破り、刺し貫き、あらゆるを屠る。そのために名を捨て、家族を忘れ、過去を消した。守るものがあっては攻められない。
 世に完全な悪は無い。ゆえに、完全な善も無い。しかし多くの場合、守る者が善とされ、攻める者が悪と見なされる。攻めることは侵害であり、侵略であるからだ。
 だがその通り。壊すこと、奪うこと、それらの行為は、その対象を拠り所としていた者にとっては侵害であり侵略そのものである。
 一方には害であるが、もう一方には守るべき利。善悪ではない、価値観の違い。
 それを知る佐佑は、非情になりきれなかったのだ。支えを失う恐ろしさを知っていることは、守る際には強さに変わり、攻める際には迷いに変わる。
 迷いは刃を乱す。それでは与えられた使命を果たせない。使命を果たせなければ、誰も救えない。
 それゆえに、葛藤の果てで、守るものを捨てたのだ。

 ―― すべては勝利のために

 *  *  *

「室長、入ります」
 扉が開くのとほぼ同時に、部屋の主から声を掛けられる。
「良い報告かね?」
「いえ、悪い報告です。目標を見失いました」
 部屋を訪れた女性事務官は、淡々と述べた。
「予定ポイントに姿を見せなかったばかりか、周辺に配置していた監視との連絡が取れなくなりました」
「どこに配置した監視だ?」
「全員です」
「……そうか」
 コツ、と分厚い木材を叩く音。
 女性事務官は、室長が机を叩いたのかと思った。しかし、音の発生源は間逆となる真後ろ、部屋の入口方向だった。
 室長と女性事務官は、互いに目を合わせて、音を出したのは自分ではない、と告げる。
「一局、お相手願えますか?」
「勿論だとも、“Gladius”」
 音を出したのは佐佑であった。
 動じることなく冷静に返した室長も、只者ではない。
「あなたには、観戦していて頂こう」
 佐佑は女性事務官の動きを制し、見える位置に座らせる。
 その間に、室長がすべてのチェスの駒を並べ終えていた。
「キミが白(先手)だよ」
 [e4 c6]
 [Nc3 d5]
 [d4 dxe4]
 [Nxe4 Bf5]
 [Ng3 Bg6]
 [Nf3 Nd7]
 二人は次々と互いの駒を進めていった。目を閉じていれば、チェス盤に駒を置く際の音が、ブーツを履いて歩く足音のように聞こえただろう。
「綺麗に守りを固めたね。らしくもない」
 キングサイド、ポーンが三つ並び、その前にはナイトが二つ並ぶ。ビショップを前に出してキャスリング(キングとルークを一手で入れ替える)を行えば、強固な守りが完成する。
 室長が言うように、佐佑はこれまでの対戦において守りを固める戦法をあまり使用していなかった。
 [Bd3]
「その手は、大丈夫なのかね?」
 室長は、目線を仰仰しく包帯で巻かれた佐佑の左手に落とした。
 佐佑の左手は、力無く垂れ下がったまま一度として使われていない。
 [... Ngf6]
「ご心配なく。負けたときの言い訳には、使いませんよ」
 佐佑はビショップの駒を掴んだ。
 [Bxg6]
 佐佑のビショップは、敵キングサイド、ポーンの前でナイトと並んで守りを固めていたビショップを落とす。
「ふむ。一転してこじ開けに来たか。弱気を悟られたくないのかな?」
 [... hxg6]
 すかさず、端のポーンがビショップを食う。
 盤上は、互いに一手では相手の駒を取ることができない状態となる。
 ここで佐佑が打つ手は、キャスリングだ。
「十三手で大勢が決します」
 重く、冷たく、佐佑の声が盤上を巡った。
「強気だな。言ってくれる。だが果たして、読み通りにいくかな?」
「私の負けですよ、室長」
 佐佑は、自分のキングの駒を掴み、その場に倒した。
「僅か八手で投了するとは……」
 室長は佐佑の真意を測りかね、困惑の表情を浮かべた。
「やはり、守るのは性に合わん」
 言葉と当時に、佐佑の身体から発される気が、がらりと様相を変える。
 普段の、風に吹かれる柳葉のような気配ではなく、ただただ威圧的なそれは、決壊寸前のダムを目前としているような絶望と無力をもたらした。
「ソフィアはどこです?」
 佐佑は、ゆっくりと静かに問い掛けた。
「時間を稼いでも無駄です。この本部で意識があるのは、この部屋にいる三人だけ。おっと、二人になった」
 佐佑の視線の先で、女性事務官が白目を剥いていた。抵抗力を持たない普通の人間である彼女が、佐佑の発する圧力に耐えられる道理は無い。室長が気を失わないのは、軍人としての訓練によって身に着けた精神力の賜物だ。
「ソフィアはどこです?」
 佐佑は同じ質問を繰り返した。
「軍…の、施設に……いる」
 呻くように発されたその声は、まだ人としての尊厳を保っていた。
「リンダ・クロウはどこに?」
「分から…ない……近く…引…取りに……」
「クローディアは?」
「彼女は…将軍…の…要望で」
「将軍? ゼネッティ将軍か。巻き込まれないよう、俺から遠ざけたのか。ならば無事だろう。むしろ感謝しなければならんか」
 佐佑は、誰に言うともなく独りごつ。
 そして、改めて問い掛ける。
「軍の施設とは、ゼネッティ将軍のところですか?」
 室長は答えず、ただ頷いた。
「では室長、私はこれからソフィアを迎えに行きます。邪魔しなければ何もしません。尤も、このCMUの戦力では何の障害にもなりはしませんが」
 フ、と不敵な笑みを浮かべた佐佑は、悠然と歩いてCMU本部を後にした。