小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

剣(つるぎ)の名を持つ男 -拝み屋 葵【外伝】-

INDEX|40ページ/59ページ|

次のページ前のページ
 

●8.Greater London (霧の魔都)


「ソフィア、起きろ」
 佐佑のその一言で、ソフィアはゆっくりと目を開けた。それから、大きく息を吸って、吐いた。
「私、いつのまに」
 ソフィアは自分が眠ってしまっていたことに驚く。
「座っているだけでも体力を使うからな。自覚が難しい分、タチが悪い」
「今どの辺りなの?」
 ソフィアは窓の外に視線を飛ばす。
「もうすぐキングス・クロスに着く」
 佐佑もソフィアの視線の後を追う。
「言われるままロンドンに来たけれど……」
 佐佑は、控え目に発されたソフィアの言葉を、不満や疑いがあるわけではないけれど、という意味として受け取った。
 ソフィアにしてみれば、祖母リンダ・クロウが向かった北ではなく、反対方向のロンドンに向かう理由は是非とも知っておきたいところだ。
「それを話しておくために、到着前に起こしたんだ」
「それはどうもありがとう」
 ソフィアは暗闇の風景から、車内に視線を移した。
「お姫様を起こすのは忍びなかったんだが」
「早く本題に入ってもらえないかしら?」
 ソフィアは、佐佑の皮肉めいた軽口を相手にしない。
「リンダが北で何かをやろうとしているのだとしたら、なぜ彼女はロンドンを訪れたのだろうか?」
 佐佑は、まだ窓の外に視線を向けたままだ。
「それは私がロンドンに向かったから」
「リンダは、ソフィアが自分の敵に回ったことを知っていた。俺はまんまと騙されてしまったが」
 佐佑の口元が、自嘲するかのように僅かに歪む。
「だから、私を追ってきたのよ」
「俺も最初はそう考えた」
「違うの?」
 二人の視線が交錯する。
「ロンドンへ向かう切っ掛けになったのは間違いない。だが、俺たちの合流を妨害することもなく、むしろ俺に対しては、会わずには居られなくなるような挑発じみたことまでやっておいて、そのままロンドンを離れている」
「まさか、誘導されたの?」
「そのまさかだろうな。ヨークシャーよりもさらに北で何かをやるつもりだったのならば、その妨害を企てるソフィアがロンドンへと南下した機会を逃す手はない。しかも、ロンドン行きの目的は人探しだ。一般人ならまだしも、社会的にも秘匿性の高いこの俺を探し当てるには、何日も掛かる」
「お婆さまは、私たちを合流させてロンドンから離れさせたかった」
 佐佑は、俺はオマケだがな、と肩をすくめた。
「リンダは、明日の夕方がタイムリミット、と言っていたな。明日は新月でも満月でもないから、全くの無警戒だった。何か心当りはないか?」
「ないわ」
 ソフィアは首を振った。ナチュラルブロンドが動きに合わせて揺れる。
「ごめんなさい。私、何の役にも立ってない……」
「そんなことはないさ。可愛い寝顔に癒された」
「……あまり良い趣味とは言えませんよ」
「人は、美しいものには目を奪われる。恐怖から目を逸らすのと同じさ」
 佐佑は窓の外に視線を飛ばす。そして、今度はソフィアがその後を追う。
「さっきから何も見えないけれど、夜のロンドンはこんなに暗いの?」
「霧が出ているんだ」
 窓の外に広がる暗闇は、窓枠というキャンバスを黒一色に染めている。後方へと流れてゆく架線の支柱が見えなければ、進んでいるのかどうかも疑わしくなるほどだ。
「イングウェイの話を聞いて、確信したことがある」
 佐佑は静かに言葉を紡ぎ始めた。
 西暦一九八七年。リンダは霧魔ミラビリスを日本へと送り込んだ。
 その狙いは、他人の身体に自分の魂を移してその身体を乗っ取るという、アジアに伝わる秘術・借体形成の術だ。
 借体形成の術を使った有名な化け物は、白面金毛九尾の狐。古代の中国、インド、そして日本に現れ、時の支配者の寵愛を受けたとされる。
 平安後期、時の陰陽師・阿部泰成によって正体を見破られ、那須野にて殺生石へと変化したという話は、あまりにも有名だ。
 その後、玄翁によって砕かれた殺生石の欠片が日本各地へと飛び散り、そこから妖弧の眷属が派生したとされる。
「お婆さまは、その術を手に入れたのかしら?」
「妖狐の子孫たちは日本で人間社会に溶け込んでいるが、借体形成の使い手は存在していない。少なくとも俺は知らん」
 なら――、言い掛けたソフィアを制して、佐佑は続ける。
「リンダが動き出している事実は変わらない。楽観する要素はない」
 佐佑はソフィアの楽観を断じる。
「リンダは、遺伝子を操作する能力を有していると考えられる」
「その根拠は“St.Sophia”(わたし)ね」
 ソフィアは微笑む。だが、落胆の色はない。
 ソフィアの誕生は、それまでの『遺伝による能力の継承は劣化の一途を辿る』という常識を覆した。例外中の例外、神が与え賜うた奇跡の如き扱いでさえもあった。
 佐佑は、その奇跡を、意図的に行われた極めて計画的で人為的な現象、と言い、ソフィアも、自身の誕生が奇跡などではないことを認めた。
「遺伝子と言ったが、例えば霊子のような、魂を構成する何かに作用する能力と考えてくれ。それがあれば、妖狐の子孫から借体形成の術を取り出せる」
「だとすれば、借体形成の術を持っているのはお婆さまではなくて、霧魔ミラビリスだわ」
「断定はできないが、その可能性は高い。霧魔を倒してしまえばリンダの計画は頓挫する。俺たちの目的はリンダの計画を阻止することではないが――」
 ―― リンダは抵抗しないかもしれない。
 佐佑は口にしなかったが、ソフィアにはしっかりと伝わっていた。
 リンダが抵抗しないのならば、それは情状酌量の余地を生み、さらには、祖母と孫とが直接戦うという凄惨な状況を回避することができる。
「一つ言い忘れていたんだが……」
 そう言って、佐佑は反対側の窓に視線を移した。
「人は、美しすぎるものからも、目を逸らしてしまうんだ」
 ソフィアは、自分が涙を流していることに気が付いた。そして、慌てて拭おうとしたが、不意に拭ってはいけないような気がして、その手を止めた。
 涙は、安堵と感謝の味がした。