剣(つるぎ)の名を持つ男 -拝み屋 葵【外伝】-
* * *
窓の外を流れる夜の暗黒を、佐佑は何とは無しに眺めていた。
ヨークからロンドンへと向かうイースト・コースト(東海岸本線)は、英国最大の幹線だ。海岸線といっても海沿いを走るわけではなく、仮にそうであったとしても、どのみち夜なので景色を楽しむことはできない。幾ら英国の日の入りが遅いといっても、夜の闇は必ず訪れる。
四人掛けのボックスシートの斜め向かいでは、ソフィアが規則正しい寝息を立てている。赤黒のチェック柄のブランケットを身体に巻いて眠る姿は、どこにでもいる小さな女の子のものだ。
佐佑は、ソフィアが眠ってしまうであろうことを予測し、気持ちよく眠れるようにと二席分の指定席を購入していた。英国の特急列車には指定席車両が存在せず、座席に“Reserved”と表示することで指定席に変える、という運用をしている。
尤も、乗客は極端に少なく、同じ車両内に人影は無いのだが。
ヨークを出発して一時間。道程にして約半分ほど進んだ頃、ロンドン側にあたる車両前方の扉が開いた。
そちらに背中を向けていた佐佑は、瞬時に警戒態勢を敷く。これだけ席が空いている状況で、わざわざ車両を移動する理由は数える程度しかない。そのうちの一つは、佐佑またはソフィアの“お客さま”だ。
神経を鋭敏に研ぎ澄まし、歩幅、息遣い、衣服の布擦れ、それらの情報から相手の正体を探る。
男、長身、筋肉質、革靴、荷物無し。ネクタイを締めたスーツ姿で、前は開いている。これが佐佑が知り得た情報のすべてだ。
足音は座席三列分離れた位置で止まった。
「同志が世話になった」
穏やかな響きを持った低く抑えられた声が耳に届き、佐佑は声の主に害意はないと判断し、警戒を解き口元を緩めた。
両者の距離は、互いの間合いの僅かに外。これ以上一歩でも近づけば、瞬息の間に必殺の一撃を放てる、という距離だ。
「テロリストの隊長が自らお出ましとは、なんとも畏れ多いね」
佐佑は、一瞬で間合いを見抜かれたことに驚きながらも、右手を通路に出して振ってみせ、その眼力に賞賛を送る。
「私欲や私憤ではないつもりだ」
距離を保ったまま、通路を挟んだ対角線上の座席に座る。背中合わせに、分かるように音を立てて。
「テロリストはみんなそう言う。口を揃えて、自分たちが正義だ、とな」
「正義についての講義は、またいつかお願いする。今回は私の話を聞いてもらおう」
「その前に一つ。ホテルと屋敷、どっちの件だ?」
「両方さ」
予想通りの回答に頷き、佐佑は相手の意図を探るための問いを模索した。
佐佑がその問いを投げ掛けるよりも早くに、意図の一つが示される。
「お姫さまを起こすつもりはない」
今ここでやりあうつもりは無いということだ。
“今ここで”とはつまり、“いつかは”やりあうということなのだが、当然そんなことは佐佑も承知の上だ。
「そいつはありがたいね」
「真意が届いたようで安心した」
挨拶の終わりを示す沈黙が訪れ、僅かに緊張が走る。
「名前を聞いておこうか」
「“Ignis”(イグニス)」
その名が意味するところは、ラテン語の炎。佐佑の“Gladius”と同様に本名ではなく、武装集団『フレイム・アート』の実行部隊隊長を示すコードネームだ。
「親近感を抱くね。どうもこの業界の連中は、ラテン語が大好きらしい」
イグニスは佐佑の軽口を聞き流し、本題に移った。
「私たちの活動は、そのすべてがイングウェイ・マーカスの指示に従って行われたものだ。お前に世話になったサンライズホテルの件もそうだ」
「それはおかしい。イングウェイは一年前に死んでいる」
「計画はそれ以前に決まっていた。少し逸れるが説明しておこう。スコット・ローレンスの行動は計画の内だった。一番弟子だと褒めた上で秘術は教えられないと言い、継承者としてどこの誰とも知らぬ者の名を出せば、あの行動を取ることは分かっていた」
「なるほど。それで貧弱な力しかなかったアイツが一番弟子だったわけだ」
「彼は高慢なだけで誇りを持っていなかった」
「だがアイツは幸運だ。テロリストにならずに済んだ」
「言ってくれるじゃないか」
「愛車を壊された恨みは深いぜ?」
「一刻も早くロンドンに戻ってもらうためだ」
「パンクさせるとか、エンジンをバラすとか、やりようはあっただろう」
「そうだな、素直に詫びておく」
「修理代も出してくれるとありがたい」
「調子に乗るな」
「へいへい」
列車がグランザムの駅を通過する。
ここからロンドンのキングス・クロス駅に到着するまでは、たっぷり一時間ある。
「フレイム・アートの活動は、“我々”の存在を示すためのものだ」
佐佑は、イグニスの言う“我々”の意味するものをすぐに察した。察しはしたが、敢えて無反応を貫く。
「“核”の存在は抑止力だという。だが、“我々”の存在は不安要素でしかない。それが世界の首脳陣の認識だ」
イグニスの声が、少しずつ熱を帯び始める。
「数年前まではそれでよかった。能力の発現には法則性がなく、望んだからといって得られるものではなかった。どんなに強い能力が発現しようとも、それは一代限りのものだった。だが――」
基本的に能力は子へと遺伝し、継承される。だが、非能力者との間に生まれた子の力は半分になり、血に宿る魔力が濃くなり過ぎるため、能力者同士の間には子供が生まれない。二代目同士で子を生そうとも、それは同じだ。
故に、子の力は必ず親に劣るものとなり、能力の維持さえもままならない。従って、一つの血族が台頭するという事態は発生せず、“突然変異”によって能力を発現させた者が一代限りで力を振るうのだ。
だが、例外が生まれた。魔女の孫娘“St.Sophia”だ。
血統の発生は力の対立を生む。対立は混乱を招き、混乱は混沌を招く。
「世界に警鐘を――」
能力者の存在を軽視している世界に――
佐佑はソフィアの寝顔に微笑みかけた。
佐佑とて、現状に対して思うところはある。
別の生物と呼んでも決して過言ではない絶対の違いは、人類をはっきりと二分する。
力を持つ者と持たざる者。
一握りの強者と、圧倒的多数の弱者。
“正義”が個の力によって作られる世界。
「話が逸れた」
「そうだな」
自嘲するイグニスに、佐佑も同調する。
それは、二人が同じ未来を、忌むべき未来を想像していた証拠だ。
「リンダ・クロウの真意を知るべく近づいたのだが、まんまと利用されてしまった」
「それで、“ささやかな反抗を”か」
「手の内で踊らされているだけかもしれん。恐ろしいよ、あの魔女は」
イングウェイの死は、リンダの支配から逃れる最後の手段だった。
しかし、死の間際に発した無念が強い残留思念となり、リンダに利用されてしまった。イングウェイが抱いた無念とは“己の無力”であり、裏を返せば力への渇望。それは、リンダの思惑と合致する。
「複雑だな」
不意にイグニスが立ち上がった。
「どうやら、わざわざ出向く必要はなかったようだな」
「いやぁ、タメになるお話だったさ」
「……日本に帰るそうだな」
「おかげさまで」
「帰る前に、一杯付き合え」
「川沿いにしてくれるなら」
「任せろ、いい店を知っている」
窓の外を流れる夜の暗黒を、佐佑は何とは無しに眺めていた。
ヨークからロンドンへと向かうイースト・コースト(東海岸本線)は、英国最大の幹線だ。海岸線といっても海沿いを走るわけではなく、仮にそうであったとしても、どのみち夜なので景色を楽しむことはできない。幾ら英国の日の入りが遅いといっても、夜の闇は必ず訪れる。
四人掛けのボックスシートの斜め向かいでは、ソフィアが規則正しい寝息を立てている。赤黒のチェック柄のブランケットを身体に巻いて眠る姿は、どこにでもいる小さな女の子のものだ。
佐佑は、ソフィアが眠ってしまうであろうことを予測し、気持ちよく眠れるようにと二席分の指定席を購入していた。英国の特急列車には指定席車両が存在せず、座席に“Reserved”と表示することで指定席に変える、という運用をしている。
尤も、乗客は極端に少なく、同じ車両内に人影は無いのだが。
ヨークを出発して一時間。道程にして約半分ほど進んだ頃、ロンドン側にあたる車両前方の扉が開いた。
そちらに背中を向けていた佐佑は、瞬時に警戒態勢を敷く。これだけ席が空いている状況で、わざわざ車両を移動する理由は数える程度しかない。そのうちの一つは、佐佑またはソフィアの“お客さま”だ。
神経を鋭敏に研ぎ澄まし、歩幅、息遣い、衣服の布擦れ、それらの情報から相手の正体を探る。
男、長身、筋肉質、革靴、荷物無し。ネクタイを締めたスーツ姿で、前は開いている。これが佐佑が知り得た情報のすべてだ。
足音は座席三列分離れた位置で止まった。
「同志が世話になった」
穏やかな響きを持った低く抑えられた声が耳に届き、佐佑は声の主に害意はないと判断し、警戒を解き口元を緩めた。
両者の距離は、互いの間合いの僅かに外。これ以上一歩でも近づけば、瞬息の間に必殺の一撃を放てる、という距離だ。
「テロリストの隊長が自らお出ましとは、なんとも畏れ多いね」
佐佑は、一瞬で間合いを見抜かれたことに驚きながらも、右手を通路に出して振ってみせ、その眼力に賞賛を送る。
「私欲や私憤ではないつもりだ」
距離を保ったまま、通路を挟んだ対角線上の座席に座る。背中合わせに、分かるように音を立てて。
「テロリストはみんなそう言う。口を揃えて、自分たちが正義だ、とな」
「正義についての講義は、またいつかお願いする。今回は私の話を聞いてもらおう」
「その前に一つ。ホテルと屋敷、どっちの件だ?」
「両方さ」
予想通りの回答に頷き、佐佑は相手の意図を探るための問いを模索した。
佐佑がその問いを投げ掛けるよりも早くに、意図の一つが示される。
「お姫さまを起こすつもりはない」
今ここでやりあうつもりは無いということだ。
“今ここで”とはつまり、“いつかは”やりあうということなのだが、当然そんなことは佐佑も承知の上だ。
「そいつはありがたいね」
「真意が届いたようで安心した」
挨拶の終わりを示す沈黙が訪れ、僅かに緊張が走る。
「名前を聞いておこうか」
「“Ignis”(イグニス)」
その名が意味するところは、ラテン語の炎。佐佑の“Gladius”と同様に本名ではなく、武装集団『フレイム・アート』の実行部隊隊長を示すコードネームだ。
「親近感を抱くね。どうもこの業界の連中は、ラテン語が大好きらしい」
イグニスは佐佑の軽口を聞き流し、本題に移った。
「私たちの活動は、そのすべてがイングウェイ・マーカスの指示に従って行われたものだ。お前に世話になったサンライズホテルの件もそうだ」
「それはおかしい。イングウェイは一年前に死んでいる」
「計画はそれ以前に決まっていた。少し逸れるが説明しておこう。スコット・ローレンスの行動は計画の内だった。一番弟子だと褒めた上で秘術は教えられないと言い、継承者としてどこの誰とも知らぬ者の名を出せば、あの行動を取ることは分かっていた」
「なるほど。それで貧弱な力しかなかったアイツが一番弟子だったわけだ」
「彼は高慢なだけで誇りを持っていなかった」
「だがアイツは幸運だ。テロリストにならずに済んだ」
「言ってくれるじゃないか」
「愛車を壊された恨みは深いぜ?」
「一刻も早くロンドンに戻ってもらうためだ」
「パンクさせるとか、エンジンをバラすとか、やりようはあっただろう」
「そうだな、素直に詫びておく」
「修理代も出してくれるとありがたい」
「調子に乗るな」
「へいへい」
列車がグランザムの駅を通過する。
ここからロンドンのキングス・クロス駅に到着するまでは、たっぷり一時間ある。
「フレイム・アートの活動は、“我々”の存在を示すためのものだ」
佐佑は、イグニスの言う“我々”の意味するものをすぐに察した。察しはしたが、敢えて無反応を貫く。
「“核”の存在は抑止力だという。だが、“我々”の存在は不安要素でしかない。それが世界の首脳陣の認識だ」
イグニスの声が、少しずつ熱を帯び始める。
「数年前まではそれでよかった。能力の発現には法則性がなく、望んだからといって得られるものではなかった。どんなに強い能力が発現しようとも、それは一代限りのものだった。だが――」
基本的に能力は子へと遺伝し、継承される。だが、非能力者との間に生まれた子の力は半分になり、血に宿る魔力が濃くなり過ぎるため、能力者同士の間には子供が生まれない。二代目同士で子を生そうとも、それは同じだ。
故に、子の力は必ず親に劣るものとなり、能力の維持さえもままならない。従って、一つの血族が台頭するという事態は発生せず、“突然変異”によって能力を発現させた者が一代限りで力を振るうのだ。
だが、例外が生まれた。魔女の孫娘“St.Sophia”だ。
血統の発生は力の対立を生む。対立は混乱を招き、混乱は混沌を招く。
「世界に警鐘を――」
能力者の存在を軽視している世界に――
佐佑はソフィアの寝顔に微笑みかけた。
佐佑とて、現状に対して思うところはある。
別の生物と呼んでも決して過言ではない絶対の違いは、人類をはっきりと二分する。
力を持つ者と持たざる者。
一握りの強者と、圧倒的多数の弱者。
“正義”が個の力によって作られる世界。
「話が逸れた」
「そうだな」
自嘲するイグニスに、佐佑も同調する。
それは、二人が同じ未来を、忌むべき未来を想像していた証拠だ。
「リンダ・クロウの真意を知るべく近づいたのだが、まんまと利用されてしまった」
「それで、“ささやかな反抗を”か」
「手の内で踊らされているだけかもしれん。恐ろしいよ、あの魔女は」
イングウェイの死は、リンダの支配から逃れる最後の手段だった。
しかし、死の間際に発した無念が強い残留思念となり、リンダに利用されてしまった。イングウェイが抱いた無念とは“己の無力”であり、裏を返せば力への渇望。それは、リンダの思惑と合致する。
「複雑だな」
不意にイグニスが立ち上がった。
「どうやら、わざわざ出向く必要はなかったようだな」
「いやぁ、タメになるお話だったさ」
「……日本に帰るそうだな」
「おかげさまで」
「帰る前に、一杯付き合え」
「川沿いにしてくれるなら」
「任せろ、いい店を知っている」
作品名:剣(つるぎ)の名を持つ男 -拝み屋 葵【外伝】- 作家名:村崎右近