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剣(つるぎ)の名を持つ男 -拝み屋 葵【外伝】-

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「どうかしら?」
 力を入れ過ぎて萎えた手を擦りながら、ソフィアはあくまでも成果を誇る立場を崩さなかった。
「上出来だ」
 佐佑はその強がりを微笑ましく思っていたが、それを気取られるとソフィアがへそを曲げてしまうことは分かりきっていたので、無表情を貫いている。
 そっけない返事だったとはいえ佐佑に評価されたことに満足したのか、ソフィアは自分の小皿に移した鶏肉を細かく切り分ける作業に取り掛かった。嬉しさを隠し切れていない辺りは、やはり十二歳の女の子であった。
 佐佑は、ソフィアが一口目を口に運ぶのを見届けてから、自分の皿に乗せられた鶏肉に視線を落とした。力任せに裂かれた切り口からは、肉汁と皮脂が溢れている。それから両手を合わせ、いただきます、と呟いてから、フォークとナイフに手を伸ばした。
 ソフィアは、そんな佐佑の動きを不思議そうに眺めた。
「日本ではみんなこうするんだ」
 佐佑は簡潔に説明し、フォークを鶏肉に突き刺した。
 と同時に、ズン、という地響きが発生する。
「またか」
 佐佑はがっくりと項垂れる。
「何事かしら?」
「窓には近づくな」
 佐佑は窓に駆け寄ろうとしたソフィアを引き止めた。ソフィアは素直に従って席に戻る。
「魔力の発動は感じられなかったけど、またあなたのお客様なの?」
「多分な」
 佐佑はフォークを刺した鶏肉をそのまま切り分けることなく口に運んで、豪快に喰いちぎる。
 一方のソフィアは、冷静に不慣れな動きで鶏肉を切り分けている。
「表の車が破壊されたんだな」
 これ見よがしにため息を吐く佐佑に、ソフィアは呆れ顔だ。
「“ここ”ならある程度のことは誤魔化せるからね。言っておくけど、屋敷には対魔障壁しか張ってないわよ。だいたい、ゆっくり食事をしている場合なのかしら?」
「それは問題ない。多分」
 佐佑は再び鶏肉を口に運ぶ。
「余裕ね」
「気を付けねばならんのは、奇襲と狙撃だ。それは相手も理解しているはず。そんなことも分からん素人なら、慌てる必要はない」
「そうね」
 ソフィアはようやく切り分けることができた肉片を口に運ぶ。
「奇襲というカードを捨ててまで先に車を破壊した理由は、確実に仕留めるために脱出手段を封じた、と考えられる。だが、敢えて車を破壊して襲撃者の存在を知らせた、とすれば、狙いは仕留めることではなく足止めと消耗だ、ということになる」
「言っていることは分かるけれど、無理があるわ」
「命が目的の場合は、息を殺して必殺の瞬間を待つ。俺なら、な」
「嫌な大人」
 ソフィアはため息と共にフォークとナイフを置いて、背もたれに身体を預けた。
「消耗させる目的は何?」
「俺の客だが、キミのお婆さまのご友人でもあるということさ」
 佐佑は、残った鶏肉をすべて口に詰め込んだ。そして、驚くべき速さで咀嚼して一気に飲み下す。
「どういうこと?」
「忘れたのか? 『孫娘の身体を乗っ取る計画を立てていた』とイングウェイが言っていただろう」
 俄かにソフィアの表情が硬直する。
 それを見届けて、佐佑は続ける。
「リンダの目的は、俺たちを生け捕りにすることだ。いや、より正確に言えば、狙っているのはソフィア、お前さんだけだ」
 ソフィアは下を向いて小さく震えた。……が、その直後に勢いよく立ち上がり、佐佑に笑顔を向けた。
「ってことは、私は命に関わるような危害を加えられることはないのよね」
 ソフィアが見せたのは“最高の笑顔”だ。
 周囲の人間が持ち得ぬ能力を備えていたソフィアにとって、同様の能力を持っていた祖母リンダは唯一の理解者であった。ソフィアはそう考えていた。だが実際には、盲目的に育てられて利用されていたのだ。その存在のすべてを。ソフィアにとって、裏切られた、という次元の話ではない。
 事実を知ったソフィアに訪れたのは、怒りでも悔しさでもない。砂漠の真ん中に放り出されたような絶望に似た心細さだ。
 そしてソフィアは、哀れみを覚えた。
 他人が持ち得ぬ能力を鼻に掛けていた自分自身を恥じた。何人にも負けぬ力を持って生まれたがゆえに、自分自身には勝つことができなかった。誰よりも強かったが、誰よりも弱かった。こんな力がなければ、自分も、祖母も、誰もが苦しむことはなかったのに、と思った。加害者は自分自身で、被害者も自分自身。けれどそれは、いずれも単独では完結し得ないものだ。
 ソフィアは祖母も同じなのではないかと思った。自分が心の奥底で理解者を求めていたように、同じ境遇であった祖母も、自分と同じように理解者を求めているのではないか。そうであれば、自分は祖母の理解者になることができる。祖母の理解者になれるのは自分だけだ。
 やるべきは、倒すことじゃない。救うことだ。与えるのは罰じゃない。この力という呪縛からの解放だ。
 高慢を捨て去ったソフィアは、女神と呼ぶに相応しい輝きを放つ“最高の笑顔”で笑ったのだ。
 ソフィアの心境の変化を読み取った佐佑は、にっと白い歯を見せて笑った。
「ごちそうさまでした」
 佐佑は空になった皿を持って立ち上がった。
「素人を相手にするのは主義に反するわ。屋敷を壊さないでね」
「まるで他人事だな」
「他人事だもの」
 わざとらしく振り向いた佐佑に、白々しく答えるソフィア。
「そう言わずに手を貸しておくれよ、セニョリーナ」
「こんなかよわい乙女を頼りになさるの、ミスター」
 台本に書かれたセリフを読み上げるように、二人の会話は淡々と続いた。
「アサルトライフルを装備した男たちを一人で相手にするのは、さすがに骨が折れるのですよ、プリンセス」
「八人程度なら物の数ではないでしょう、ナイト」
 二人はそれぞれ遠視と探知を行って、相手の正体と人数を見極めていた。
「よし、六:二だな」
「いえ、七:一よ」
 空気に緊張が走る。
「頭目は譲ってやるから二人で我慢しろ」
「クサナギこそリーダーだけで満足すれば」
「主義に反するんだろ」
「屋敷を壊されてはたまりませんから」
「五:三にしてやる」
「七:一よ」
「おいおい」
「七:一」
「……」
「七:一」
「……もうそれでいい」

 ソフィアが、祖母でも孫でもないただの敵同士なのだ、と心に刻み込んだのはほんの少し前のことだった。その瞬間はそれが正しいことだと、それだけが正しいことなのだと思っていた。
 しかし、今は違う。祖母リンダは味方ではないけれど、少なくとも分かり合えない敵ではない。同じ苦しみを共有するもの同士なのだから、きっと争わない道が見つけられるはずだ。
 それが正しいことなのかは分からない。分からないけれど、迷いはない。
 ソフィアは、初めて自分自身を見ることができたのだ。
 かつて、偉大なる祖母は保身のために生きてきた自分を恥じ、戒めのために“the Witch”を名乗るようになった。だから自分も祖母に習い、高慢に生きてきた自分を恥じ、戒めのために名乗り続けることを誓う。
「私は“St.Sophia”よ」
 輝くナチュラルブロンドをかきあげたソフィアは、騒動が片付いたら髪を切りに行こうと思った。