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剣(つるぎ)の名を持つ男 -拝み屋 葵【外伝】-

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 ソフィアが“西海岸の聖女”と呼ばれるようになったのは、リンダがヨークに呼び寄せたあとのことだ。仰仰しい呼び名には、近寄りがたい印象を与える効果がある。
 自分と同等かそれ以上の佐佑と出会ったことは、そうしたソフィアの状況を根底から覆す大きな出会いであった。

 *  *  *

 厨房を漁って紅茶セットを発見した佐佑は、さっそく湯を沸かし香りを楽しんでいた。
 厨房に隣接した休憩室で、佐佑とソフィアは向かい合って座っている。
「応接の方が広いし綺麗よ? 柔らかいソファーもあるわ」
「高級家具は、傷をつけてしまわないかと心配で落ち着かない。見た通りの小心者でね」
 樫で作られた頑丈な四人掛けのテーブルは、高級家具とは言えないものの、決して安物ではなかった。
 ソフィアは、小心者が他人の家の台所を物色するわけがない、と眉をひそめながら紅茶を口に含む。普段この部屋に足を運ぶことが無いソフィアは、このテーブルがいつから使われている物なのかは分からない。けれど、相当の年代物であることは推測できていた。
 染みの付いたクロスや塗装の剥げた脚は、不潔である、みすぼらしいなどの理由で目を細める者もいるが、それはそれで生活感があり、温かみを感じられるものだ。
 ソフィアは前者であったのだが、不思議と不快感は湧いてこなかった。そして、それをそのまま受け入れている自分に驚くこともなかった。
 紅茶を飲み干した佐佑が厨房へと向かうその背中を、ソフィアはぼんやりと見送った。
 定まらない思考、僅かに感じる息苦しさ。けれどその状態は嫌じゃない。それどころか心地良いと感じるほどだ。
「口にできないものはあるか?」
 開け放たれたままの厨房へと繋がる扉。その向こうから聞こえてきた佐佑の声には緊張感がまるで無く、鼻唄までもが流れてくる。佐佑が料理を始めようとしているのだとすぐに分かる。小心者だと言ったのはどの口だったのか、思い返すのも馬鹿らしい。
「全部、よ。食欲がないの」
 ソフィアが厨房へ足を踏み入れると、丁度オーブンの戸を佐佑が閉めたところだった。
「セージ、バジル、ローズマリー。香草焼きだ。美味いぞ」
「そんなこと聞いてないわよ」
「さっきは強く言いすぎた。悪かったな」
「いいわ、事実だもの。謝られても余計に惨めよ」
 つかつかと歩み寄ったソフィアは、オーブンの戸に手を掛けた。
「完成するまで開けてはいけない。そういう料理だ」
 ソフィアは「そうなの、残念だわ」という視線を佐佑に向け、大人しく引き下がる。
「どんなに姑息で狡猾な手を使われたとしても、私はそれを正面から打ち破りたいの。どんな策を講じても無駄よ、ってね。そんなことに知恵を使わないで欲しいし、私自身も使いたくない」
 佐佑は黙って聞いていたが、ソフィアが言葉に詰まるのを見て、調理に使った道具の後片付けを始めた。
 それを受けて、ソフィアは天を仰ぎ深く息を吸う。
「でも、私は間違っていたわ」
 奥の奥から搾り出されたその言葉は、十二歳の少女から発せられたとは思えないほどの気高い響きであった。
 だが佐佑は――
「それも違うな」
 佐佑は否定する。そんなことはない、と。
 ソフィアは驚きに目を見開き、ゆっくりと実に三秒もの時間を費やして、天井から忙しなく動く佐佑の後頭部へと視線を移した。
「間違いではない」 佐佑は力強く断言する。
 そして、肩越しに視線を飛ばし、いつもの何を考えているのか読み取れない不敵な笑みを見せた後、手元に視線を戻した。
「足りていないのだ、実現する力が。ただそれだけのこと」
「簡単に言ってくれるじゃないの」
 身体ごと振り向いた佐佑の顔には、事実だからな、と書いてある。
「間違いがあったとすれば、自分を見誤っていたことだ」
 佐佑はソフィアの脇を通り過ぎて休憩室に行き、空になったティーポットを手に戻ってきた。
「私が自惚れていたってことは良く分かったわ。だから、これからはあなたに従うわ」
「それも違うな」 佐佑は三度否定する。
「俺たちは仲間だ。そこに上下関係は存在しない」
 そう言いながら紅茶の準備をする佐佑の動きは、まるで自分の家であるかのように迷いと遠慮とを知らない。
「つまり、聞く耳を持てってことね」
「端的に言えばそうなるな」
「回りくどいわね。始めからそう言ってくれれば」
「持って回った言い方をしなければ、伝わらないこともある」
 佐佑は「飲むか?」と葉の入ったケースを持ち上げて見せた。
「ひねくれた子供で悪かったわね」
「悪いとは言ってない」
 “ひねくれた”の部分を否定されなかったソフィアは、ぷい、とそっぽを向いた。その横顔を佐佑は微笑ましく見守った。
 大英博物館での邂逅からたったの半日。二人は壁を取り払って打ち解けて始めていた。勿論、すべての壁が取り払われたわけでもないし、心のすべてを開いているわけでもないのだが、博物館でのやりとりとの違いは明白だ。
 複数対複数の団体戦においては、個々の実力よりも連携が重要となる。各人がどんなに優れた能力を保持していたとしても、それぞれの能力が噛み合っていないのであれば、団体戦での勝利は難しい。
 “西海岸の聖女”などとして仰仰しく育てられたソフィアは、万全のフォローとケアが施された状態に慣れてしまっているため、連携というものに疎い。自身の力が強いこともある。一方の佐佑は、完全に援護に回ることはやぶさかではないが、如何せん本職ではない。どうしても粗が出てしまう。それでも勝つことはできるかも知れないが、不安要素であることに変わりはない。
 そして佐佑には、不安要素を取り除いておきたい事情がある。
 ―― クローディア
 佐佑の気配に僅かな乱れを感じたソフィアは、何事かと向き直った。
 そこには、相変わらず何を考えているのか分からない笑みを浮かべた、いつも通りの佐佑がいた。
「……で、飲むのか?」

 *  *  *

 オーブンから引き出された鶏の香草焼きは、これぞという焼き目と、まさにという香りを誇示した。鶏肉が食べられないのでも無い限りは、否が応でも食欲を駆り立てられる見事な逸品だ。
「食べておけ。疲労回復にもいい」
 佐佑の拒否を許さぬ物言いに圧されたわけではないが、ソフィアは素直に頷くことにした。
「そうね、頂くわ」
 フォークとナイフを乗せた小皿を受け取り、クッションのない硬い椅子に腰を下ろす。
 大皿に移された香草焼きが目の前に運ばれてくる。見た目はそれほど美しくないが、今までに食してきたどの香草焼きよりも美味しいのだろうと思わせる何かがあった。
「私が切り分けても構わないかしら?」
「均等に分けてくれるならな」
 ソフィアは、皮肉めいた佐佑の返事にめげることなく、にっこりと笑って、ありがとう、と言った。
 フォークとナイフが皿に触れ、カチャカチャと音が響く。お世辞にも綺麗とは言えない切り口は、切り分ける作業に不慣れであると告げていた。
 普段の食卓には、一口サイズに切り分けられた状態で運ばれてくる。ソフィアはそれをフォークで刺して口に運ぶだけだ。
 自ら切り分けるなど、初めてのことだったのだ。