剣(つるぎ)の名を持つ男 -拝み屋 葵【外伝】-
* * *
「イングウェイは、力を求め続けるリンダに危険を感じていたんだな」
佐佑とソフィアの二人は、回廊を屋敷方向へと進んでいた。周囲を照らすオイルランプの火は、ゆらゆらと頼りなく揺れている。
「……」
すぐ隣を歩くソフィアは仏頂面で佐佑の横顔を睨んでいる。
「霧魔が制御不能になる可能性を危惧していたのかもしれないが」
「……」
佐佑は返答を求めて更なる投げ掛けを行ったが、ソフィアは尖らせた唇の先端を背けるだけだった。
「可愛い顔が台無しだぞ」
この言葉にソフィアをなだめる意図があったのかどうかは定かではないが。
「どういうことなのかしら?」
ソフィアの声からは色濃い不満が感じられる。本人には不満を隠す気などさらさら無いようだ。
「あれは式(式神)だ」
「シキ?」
「馬酔木(あしび)から作り出した、俺の姿形を模した“Familiar spirits”(“使い魔”の意)だ」
馬酔木の花言葉は、犠牲・献身。
「私たちは、共闘を約束した仲間ではなかったの?」
ソフィアは、なぜ先に言ってくれなかったのか、と言っているのだ。
「俺たちは、“仲間”の定義に差異があるようだな」
佐佑は正面を向いたまま、歩みを止めることもしなければ、歩速を緩めることもしなかった。オイルランプを持っているのは佐佑なので、ソフィアは付いて行くしかない。
「助け合い支え合うのが仲間でしょ?」
「そうだとも」
「信頼も重要だわ」
「そうだとも」
「仲間を欺くのがあなたのやり方なの? 信頼しているのなら話すべきよ」
佐佑は足を止め、ソフィアを振り返った。
「何よ」
無言で見下ろしてくる佐佑に対して、ソフィアは正面から睨み返す。
佐佑は、ほんの一瞬だけ困ったような呆れたような顔で笑うと、オイルランプの火を消した。
地下回廊は無明の闇に包まれる。足元どころか鼻先さえも見えない闇の中では、立っているだけでも平衡感覚を失ってよろめいてしまう。
「ちょっと! 何してるのよ」
「何度も通った道だろう? 明かりがなくとも帰れる」
目の前にいたはずの佐佑の声は、随分と遠くから聞こえてきた。
「帰れるわけないじゃない」
「よく知っている道だろう?」
ここでソフィアは、玄関でのやり取りをなぞっているのだと気付く。
「玄関でのことは謝るわ。ごめんなさい」
言い終わると同時に、背後で明かりが灯る。
「神妙だな」
佐佑はソフィアのすぐ後ろに立っていた。
ソフィアは驚きはしない。
「もう油断しないわ。私の戦いは見ていたのでしょう?」
「あぁ、見ていた。俺にはあんな真似はできない」
ソフィアは得意気に笑った。ほんの少し嬉しそうに。
「だが、背中を預ける気にもなれないな」
突き刺すように言い放たれた佐佑の言葉に、ソフィアは息を飲み表情を凍りつかせた。
「足手纏いだ」
「止めておけ。“Gladius”の言う通りだ」
噛み付こうとして口を開きかけたソフィアを、姿無き声が制する。
佐佑はオイルランプをソフィアの足元に置くと、暗闇へと姿を消した。
「何よ……あなたまで」 伏し目がちに力無く呟くソフィア。
佐佑の足音は闇の中を迷いなく進み、やがて聞こえなくなった。
「この罠は、彼の能力を知るためのものだった、ということだ」
「どういうこと?」
「ロンドンで接触して、注意が必要だと判断したのだろう。リンダ・クロウにとって、彼“Gladius”の力は未知数だ。勝利を確実なものにするためには、どの程度の力を持っているのかを自分の秤で量っておく必要がある。そのためにイングウェイを捨石にしたのだろう」
「捨石ですって? 初めから終わらせるつもりはなかったというの?」
「気付いていないのか? 思念体であるイングウェイは体内魔力≪オド≫を持たない。そのため必然的に大気魔力≪マナ≫に頼ることになる」
「だから、私はその供給を断ったのよ」
「あのような狭い空間では、充分な量を確保できず満足に力を使えない。本気で仕留めるつもりなら、地下室ではなく屋敷全体に宿らせておくだろう。エントランスに仕掛けた罠も活きる」
どちらかが罠に掛かれば、残るもう一方も身動きが取れなくなる。そこを強襲して守りながらの戦いを強いれば、圧倒的優位に立てる。それを行わなかったことが、様子見である可能性を示している。
「リンダはこう考えたんだ。“Gladius”なら、すぐにイングウェイだと見抜く。そして、エントランスの罠と連携が取れていないことを不審に思い、慎重に行動する。そうなれば彼の実力の一端を垣間見ることができる、とな。実際に会ってそこまでの予測を立てたのだ。……が、“Gladius”は更にその上を行き、リンダが仕掛けた罠を利用して試したんだ」
「試されたのは……私なのね」
ソフィアはぽつりと呟く。その表情に怒りの色は無い。
「悲しむことはない。あの男は我々が思っている以上に本気だということが証明されただけだ」
ソフィアは足元に置かれたオイルランプを掬い上げる。
「あとは私がそれを受け入れるだけね」
* * *
地下からエントランスへと戻ったソフィアは、自身と瓜二つの石膏像の前で佇む佐佑に歩み寄った。
隣に並んでいるものの、二人の間に交わされる言葉は無い。
佐佑は不気味な存在感を放つ石膏像をまじまじと眺めていた。時折、ほお、ふぅん、などの何事かを口にしながら自身の顎の辺りを擦っている。
「自分の彫像は気持ちの良いものではないな」
独裁者になった気分だ、と佐佑は顔を歪める。
「朝までには解くことができると思う」
ソフィアの声には力が無い。
「必要ないさ」
佐佑は、揃えて立てた右手の人差し指と中指の二本に息を吹き掛けるようにして何事かを呟いた。すると、石膏像は形を変えながら縮み、あっという間に爪の半分ほどの小石に変貌した。札で包まれた髪と共に石膏の質感はそのままだ。
佐佑が指先で触れると、それらは脆くも崩れ去った。
「私が、使い魔を犠牲にさせてしまったのね」
ソフィアの声は更に小さいものとなる。
「それが役割だからな」
「そんな」
「なんだ、責めて欲しいのか」
「違う……けど」
「切る場所を考えるべきだったな」
佐佑は話題を変え、歪に切り取られたソフィアのナチュラルブロンドを掬いあげた。
「いいわ。また伸びるもの」
「花もまた咲く。惜しむことはあっても、嘆くことはない」
この話は終わりだ、と言わんばかりに歩きだした佐佑は、荷物を取ってくる、と言い残して外へ出ていった。
ソフィアは、自分は特別な存在なのだ、と教えられ、そのように育てられてきた。ヨークに来てからは学校にも行かず、専属の家庭教師が付いていた。
勝気で傲慢で身勝手な性格に育った。
否。育てられた。
自分を超える力を持つソフィアを妬んだリンダは、ソフィアが自分を超える名声と人望を得ることがないように、性格と人格に分かりやすい欠陥が生まれる教育を施していた。
ソフィア自身もそのことには気が付いていたのだが、教育されるまでもなく高飛車な性格であったソフィアは、名声や人望に興味が無かったこともあり、自分に劣る者の策謀など、と一笑に伏して気にも留めていなかったのだ。
「イングウェイは、力を求め続けるリンダに危険を感じていたんだな」
佐佑とソフィアの二人は、回廊を屋敷方向へと進んでいた。周囲を照らすオイルランプの火は、ゆらゆらと頼りなく揺れている。
「……」
すぐ隣を歩くソフィアは仏頂面で佐佑の横顔を睨んでいる。
「霧魔が制御不能になる可能性を危惧していたのかもしれないが」
「……」
佐佑は返答を求めて更なる投げ掛けを行ったが、ソフィアは尖らせた唇の先端を背けるだけだった。
「可愛い顔が台無しだぞ」
この言葉にソフィアをなだめる意図があったのかどうかは定かではないが。
「どういうことなのかしら?」
ソフィアの声からは色濃い不満が感じられる。本人には不満を隠す気などさらさら無いようだ。
「あれは式(式神)だ」
「シキ?」
「馬酔木(あしび)から作り出した、俺の姿形を模した“Familiar spirits”(“使い魔”の意)だ」
馬酔木の花言葉は、犠牲・献身。
「私たちは、共闘を約束した仲間ではなかったの?」
ソフィアは、なぜ先に言ってくれなかったのか、と言っているのだ。
「俺たちは、“仲間”の定義に差異があるようだな」
佐佑は正面を向いたまま、歩みを止めることもしなければ、歩速を緩めることもしなかった。オイルランプを持っているのは佐佑なので、ソフィアは付いて行くしかない。
「助け合い支え合うのが仲間でしょ?」
「そうだとも」
「信頼も重要だわ」
「そうだとも」
「仲間を欺くのがあなたのやり方なの? 信頼しているのなら話すべきよ」
佐佑は足を止め、ソフィアを振り返った。
「何よ」
無言で見下ろしてくる佐佑に対して、ソフィアは正面から睨み返す。
佐佑は、ほんの一瞬だけ困ったような呆れたような顔で笑うと、オイルランプの火を消した。
地下回廊は無明の闇に包まれる。足元どころか鼻先さえも見えない闇の中では、立っているだけでも平衡感覚を失ってよろめいてしまう。
「ちょっと! 何してるのよ」
「何度も通った道だろう? 明かりがなくとも帰れる」
目の前にいたはずの佐佑の声は、随分と遠くから聞こえてきた。
「帰れるわけないじゃない」
「よく知っている道だろう?」
ここでソフィアは、玄関でのやり取りをなぞっているのだと気付く。
「玄関でのことは謝るわ。ごめんなさい」
言い終わると同時に、背後で明かりが灯る。
「神妙だな」
佐佑はソフィアのすぐ後ろに立っていた。
ソフィアは驚きはしない。
「もう油断しないわ。私の戦いは見ていたのでしょう?」
「あぁ、見ていた。俺にはあんな真似はできない」
ソフィアは得意気に笑った。ほんの少し嬉しそうに。
「だが、背中を預ける気にもなれないな」
突き刺すように言い放たれた佐佑の言葉に、ソフィアは息を飲み表情を凍りつかせた。
「足手纏いだ」
「止めておけ。“Gladius”の言う通りだ」
噛み付こうとして口を開きかけたソフィアを、姿無き声が制する。
佐佑はオイルランプをソフィアの足元に置くと、暗闇へと姿を消した。
「何よ……あなたまで」 伏し目がちに力無く呟くソフィア。
佐佑の足音は闇の中を迷いなく進み、やがて聞こえなくなった。
「この罠は、彼の能力を知るためのものだった、ということだ」
「どういうこと?」
「ロンドンで接触して、注意が必要だと判断したのだろう。リンダ・クロウにとって、彼“Gladius”の力は未知数だ。勝利を確実なものにするためには、どの程度の力を持っているのかを自分の秤で量っておく必要がある。そのためにイングウェイを捨石にしたのだろう」
「捨石ですって? 初めから終わらせるつもりはなかったというの?」
「気付いていないのか? 思念体であるイングウェイは体内魔力≪オド≫を持たない。そのため必然的に大気魔力≪マナ≫に頼ることになる」
「だから、私はその供給を断ったのよ」
「あのような狭い空間では、充分な量を確保できず満足に力を使えない。本気で仕留めるつもりなら、地下室ではなく屋敷全体に宿らせておくだろう。エントランスに仕掛けた罠も活きる」
どちらかが罠に掛かれば、残るもう一方も身動きが取れなくなる。そこを強襲して守りながらの戦いを強いれば、圧倒的優位に立てる。それを行わなかったことが、様子見である可能性を示している。
「リンダはこう考えたんだ。“Gladius”なら、すぐにイングウェイだと見抜く。そして、エントランスの罠と連携が取れていないことを不審に思い、慎重に行動する。そうなれば彼の実力の一端を垣間見ることができる、とな。実際に会ってそこまでの予測を立てたのだ。……が、“Gladius”は更にその上を行き、リンダが仕掛けた罠を利用して試したんだ」
「試されたのは……私なのね」
ソフィアはぽつりと呟く。その表情に怒りの色は無い。
「悲しむことはない。あの男は我々が思っている以上に本気だということが証明されただけだ」
ソフィアは足元に置かれたオイルランプを掬い上げる。
「あとは私がそれを受け入れるだけね」
* * *
地下からエントランスへと戻ったソフィアは、自身と瓜二つの石膏像の前で佇む佐佑に歩み寄った。
隣に並んでいるものの、二人の間に交わされる言葉は無い。
佐佑は不気味な存在感を放つ石膏像をまじまじと眺めていた。時折、ほお、ふぅん、などの何事かを口にしながら自身の顎の辺りを擦っている。
「自分の彫像は気持ちの良いものではないな」
独裁者になった気分だ、と佐佑は顔を歪める。
「朝までには解くことができると思う」
ソフィアの声には力が無い。
「必要ないさ」
佐佑は、揃えて立てた右手の人差し指と中指の二本に息を吹き掛けるようにして何事かを呟いた。すると、石膏像は形を変えながら縮み、あっという間に爪の半分ほどの小石に変貌した。札で包まれた髪と共に石膏の質感はそのままだ。
佐佑が指先で触れると、それらは脆くも崩れ去った。
「私が、使い魔を犠牲にさせてしまったのね」
ソフィアの声は更に小さいものとなる。
「それが役割だからな」
「そんな」
「なんだ、責めて欲しいのか」
「違う……けど」
「切る場所を考えるべきだったな」
佐佑は話題を変え、歪に切り取られたソフィアのナチュラルブロンドを掬いあげた。
「いいわ。また伸びるもの」
「花もまた咲く。惜しむことはあっても、嘆くことはない」
この話は終わりだ、と言わんばかりに歩きだした佐佑は、荷物を取ってくる、と言い残して外へ出ていった。
ソフィアは、自分は特別な存在なのだ、と教えられ、そのように育てられてきた。ヨークに来てからは学校にも行かず、専属の家庭教師が付いていた。
勝気で傲慢で身勝手な性格に育った。
否。育てられた。
自分を超える力を持つソフィアを妬んだリンダは、ソフィアが自分を超える名声と人望を得ることがないように、性格と人格に分かりやすい欠陥が生まれる教育を施していた。
ソフィア自身もそのことには気が付いていたのだが、教育されるまでもなく高飛車な性格であったソフィアは、名声や人望に興味が無かったこともあり、自分に劣る者の策謀など、と一笑に伏して気にも留めていなかったのだ。
作品名:剣(つるぎ)の名を持つ男 -拝み屋 葵【外伝】- 作家名:村崎右近