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剣(つるぎ)の名を持つ男 -拝み屋 葵【外伝】-

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 仕掛けられていたのは、捕縛型の魔法陣だった。陣の隠密性を犠牲にして捕縛する力を上昇させた、知能は低いが強い力を持つ相手に対して使われるものだ。仮にソフィアが万全の心構えをしていたとしても、発動してしまったこの陣から逃れるのは容易ではない。
 このように非常に強力な陣ではあるが、発動前であれば破るのは簡単で、小石でも小枝でも、ハンカチでもタオルでも、とにかく何でも良いから陣の上に放って、描かれた紋様を変えてしまえば良いのだ。
 陣の魔力は、ソフィアの身体を少しずつだが確実に蝕んでいった。既に足首までが石膏のように白くなっている。
 ソフィアは混乱しながらも抵抗を試みていたが、侵蝕の速度が僅かに緩む程度の効果しかなかった。
 ソフィアの背後にいた佐佑は、状況を冷静に観察していた。見離したのでも諦めたのでもない。どうすれば助けられるのかを分析しているのだ。罠に掛かったソフィアに対して一言も声を掛けていないのは、下手な言葉を掛ければ感情を逆撫でしてしまうと判断したためだ。
「仕方がないか」
 陣の影響がソフィアの膝下まで及んだ頃、佐佑は決心したように呟く。
 その声を耳にしたソフィアは、助けてよ、と懇談の目を佐佑へと向け、その視線を受け止めた佐佑は、優しげな苦笑いを返した。
「少しもらうぞ」
 どこから取り出したのか、佐佑の右手にはいつの間にか小振りのナイフが握られている。そして、空いている左手でソフィアのナチュラルブロンドの毛先を一掴みすると、一息に切り取った。
 長さ十センチほどの切り取った髪の毛を、ジャケットの内ポケットから取り出した札で手早く包み、その上から紐で括り一纏めにすると、それを手にソフィアの正面へと回り込んだ。
「流れを他へ向けようとしたが、対象が限定されていて不可能だった。術式が特殊すぎて、俺では解除に数日掛かる」
 佐佑は淡々と述べた。
「今から流れを俺に向ける」
 ソフィアの頭に浮かんだ、どうして、という疑問が、錯綜した思考のすべてを否応なしに塗り替える。
「頼んだぞ。自慢じゃないが、山のような未練を残してあるんだ」
 佐佑は屈託のない笑みでそう言うと、胡坐をかいて座った。
「覚えておくんだ。定石(セオリー)とは、効果的だからこそ用いられる」
 そう言って目を閉じた佐佑は、札で包んだソフィアの髪を口に咥えた。そして、佐佑が姿勢を正すと、既に腰まで白く固まっていたソフィアの身体が倍以上の速度で元に戻り始めた。
 完全に元通りになったソフィアの目の前には、石膏の彫像と化した佐佑が静かに座っていた。

 *  *  *

 手に提げたオイルランプの火が、ゆらゆらと頼りなく揺れている。
『定石(セオリー)とは、効果的だからこそ用いられる』
 頭に浮かぶ佐佑の言葉を振り払い、失いそうになった冷静と集中とを手繰り寄せる。
 ソフィアは、そんな作業を幾度となく繰り返しながら、暗闇の地下回廊を進んでいた。
 思い出したくもない。
 事実、ソフィアは仕掛けられていた罠に気付くことができず、無防備に足を踏み入れてしまった。
 迂闊。慢心。油断。
 決定的に覚悟が足りていなかったことを、ソフィアは思い知った。
 リンダ・クロウの相手は、孫である自分が担うことになっている。相手は孫にも容赦しない“the Witch”だ。偉大なる祖母は、なりふり構わず敵である自分を排除しようとしてくるだろう。
 ソフィアは心に刻み付ける。
 祖母ではない。孫ではない。今はただの敵なのだと。

 長い回廊に終わりが訪れ、直径十メートルほどのドーム状の広間に出る。扉のような明確な境界はなく、他に出入口もない袋小路だ。勿論そこにも明かりはない。
「来たか」
 しわがれた老人の声に、ソフィアは足を止める。
 人の気配はなかった。声を聞いた今でも、人の気配は感じられない。
 少しでも遠くを照らそうとオイルランプを掲げてみたが、明かりの中に人影は見つからない。
「どうした? まさか怖気付いたわけではあるまいな“Gladius”」
 ちがう、と開きかけた口を無理矢理に閉じる。同時に、否定するな、という声が頭の中に響く。
 無言で頷き、一歩踏み出すソフィア。
 しわがれた老人の声は、尚もソフィアに語りかける。
「そうさ、ここにある。入口の罠を解除する手段はここにある。ここにあるのは秘宝中の秘宝。その使い方を教えてやる。恐れることはない。そのためにここに縛られている肉体を持たぬ思念体だ。この声以外は現世に何の干渉もできやしない」
 ソフィアが地下回廊の際奥を訪れるのは、これが初めてのことではない。
 しわがれた老人の声が言うように、ここには秘宝中の秘宝が保管されている。それらに関する文献などは一切存在せず、ただ口伝により受け継がれていくのみだ。すべてではないが、ソフィアがリンダより口伝を受けているものがある。その中の一つに呪法による効果を打ち消す力を持ったものがあり、ソフィアはそのために長い地下回廊を歩いてここまでやってきたのだ。
 ソフィアは周囲を注意深く観察しながら一歩二歩と踏み出した。もう油断はしない、という決意が身に纏った空気からも伝わってくる。
「そう、そのまま真っ直ぐ。そこに環があるだろう。それを相手の頭に載せてやるのだ。それだけで良いのだ、それだけで良いのだ」
 ソフィアの目の前には、金色に鈍く光る簡素な冠があった。これといった意匠はなく、重ねられた二つの輪が数回捻じられている程度のものだ。
「甘く見られたものね」
 金環を握ったソフィアは、そう吐き捨てる。
「その声、“Gladius”ではないのか!?」
「えぇ、違うわ」
「気配はきゃつのものであったのに、なぜだ、在り得ぬ」
 そのからくりは至って単純だ。ソフィアに“憑いて”いる姿無き声は、佐佑と魔性との間に生じた半人半魔だ。であれば、波長が似るのは当然のことであり、実際に本人を知らぬ者であれば勘違いしても何ら不自然なことはない。勿論、ソフィアが自分の気配を抑え、意図的に佐佑に似せた波長を出していたということもある。大きな光の傍では、小さな光は見えなくなるのと同じだ。
 罠は幾重にも張り巡らせることでその効果を相乗させる。一つ罠があれば、まだ他にも仕掛けられていると考えるのが吉だ。
 佐佑はソフィアとして罠に掛かったのだから、その後にソフィアがソフィアとして行動しては辻褄が合わなくなる。そこで、前述の方法で気配を誤魔化して行動することにし、次の罠を逆手に取ったというわけだ。
「企業秘密、よ」
 ソフィアは意地悪く笑う。
 金環は装着した者の力を封じるための拘束具だった。ソフィアはそのことを知っていたが、佐佑には知る由もない。
 仮に、ここを訪れたのが佐佑であったとして、声に従って金環を罠に掛かったソフィアの頭に載せていれば、ソフィアの力は封じられてしまい、彼女に憑いている半人半魔もまた力を失うことになっていたのだ。
 しかし、佐佑が素直に声の誘導に従っただろうかという問いには首を傾けざるを得ず、甘く見られたものね、というソフィアの発言は、そういった意味合いも含めてのことであった。