剣(つるぎ)の名を持つ男 -拝み屋 葵【外伝】-
* * *
「……と、いうことです」
室長室で佐佑がその部屋の主に事の顛末を報告し終えたところだ。
「そりゃ災難だったね。五課には抗議文を送っておくから」
珍しくチェス盤と睨み合っていなかった室長は、佐佑の報告に対してそう答えた。それを受けて、佐佑の口元がぴくりと動き、更にそれを受けた室長の口元がぴくりと動いた。
この二人のやりとりを言葉で表すとこうなる。
「そんな抗議文なんか誰も読みやしないでしょうに」
「だからいいんじゃないか」
チェスに誘われる前に退室した佐佑は、ソフィアを待たせていた応接室に向かった。
まがりなりにも一級のエージェントである佐佑は、本部ビルに個室が与えられている。しかし、何度取り除いてもその度に無数の盗聴器が設置されてしまうため、佐佑がそこを利用することは滅多にない。気楽に屁もできない、という佐佑の不満は、恋人であるクローディアにさえも同意を得られなかった。
そんな理由から、佐佑は任務のない日中を応接室か地下のトレーニングルームのどちらかで過ごす。そのどちらにもいなければ、室長室でチェスの相手をさせられているか、ゼネッティ将軍がいる軍の施設に呼び出されているかのどちらかになる。
佐佑が応接室の扉を開けると、室内から緊張した空気が流れてきた。
何事かと室内を見渡した佐佑は、ソフィアと対峙するシェリルの姿を認めて苦笑を漏らした。
その状況を、言葉を変えて説明するならば、猛獣が獲物に襲い掛からんとして隙を窺っているのだが、狙っている獲物が自分よりも遥かに強いことを察した本能が警鐘を鳴らしているため、諦めることもできずに身動きが取れなくなっている。そんな状態だ。
「シェリル」
佐佑は、目を血走らせ、はぁはぁ、と熱い吐息を漏らすシェリルの肩を叩く。
「ハッ!?」
「ここで何をしている」
「何って、こんな可愛い子を放っておく手はないわ」
「そんな趣味があったのか」
「私はただお客様を放っておくわけにはいかな……」
「大事な話があるから邪魔しないでくれ」
佐佑はシェリルの肩を押して、強引に部屋から追い出した。
「悪意はないんだ。赦してやってくれ」
「ロンドンが嫌いになりそうよ」
ため息を吐くように呟いたソフィアに、佐佑は苦笑いを投げる。
「好意しかないのに?」
「だから嫌なのよ」
佐佑は両眉を攣り上げて、それもそうか、という仕草をとった。
それから一呼吸ほどの間を置いて、ソフィアが口を開いた。
「ここにお婆さまが来たのね」
佐佑は沈黙を以って肯定の意を伝える。
「お婆さまはどんな話をしたの?」
「それを先に伝えるのは公平性に欠ける」
ソフィアから表情が消え、代わりに何人をも近寄らせぬ波動が広がった。
「そう……すべてを自分で決めるというのね。自分が選択した責任を、誰かに押し付けてしまわないため、誰かに背負わせてしまわないため。優しさなのか弱さなのか、強さなのか逃避なのか。それは誰にも分からない。勿論、あなた自身にもね」
佐佑は無反応のまま次の言葉を待った。
「我が祖母リンダ・クロウは、“the Witch”の名が示す通り“魔と交わりし者”なのです」
「そう……だろうな。でなければ、あの力は説明が付かない」
佐佑は感情を押さえ込んだ声で呟き、それを聞いたソフィアは僅かな微笑みを見せた。
“the Witch”リンダ・クロウは、魔と交わった。比喩などではない。肉体的繋がりを持つことでその力を強大なものとしたリンダ・クロウは、名実共に“the Witch”となった。
彼女が魔性との共存を唱えていた理由はここにある。
住む世界を異とする両者の交わりは禁止されている。理由は幾つかあるが、その最たるものは、両者の交わりによって生まれる半人半魔の存在が、どちらの世界においても平穏に暮らせないという事実だ。
半人半魔として生まれた存在は、どちらの世界においても周囲に悪影響を与えてしまうのだ。
両者が交わりを持った場合、行為の終了と同時に確実に受胎し、受胎した瞬間に母体から離れ、誰の手も借りずに誕生し、成長する。
両者の交わりは、受胎することが行為の完了を意味するため、必ず半人半魔の存在が誕生してしまうというわけだ。
「だが、話が見えないな」
粛粛と語リ続けるソフィアに対し、佐佑は異議を口にする。
「身の上話を聞かせるために俺を探していたわけではないだろう」
そうです、とソフィアは冷静に返した。
「回りくどいのはキライなんだ」
「そうでしたね」
ソフィアに表情が戻り、緊迫していた空気が軽くなる。
「私は今、妖精と行動を共にしています」
佐佑は返事をせず、そのまま続けるように促した。
「その目的は、禁忌を犯した我が祖母リンダを罰するためです。ご存知のように、お婆さまの力は強大であるため、私に協力を求めたのです」
「なるほど、その事情は分かった」
ソフィアは一度だけ満足気に頷くと、一転して表情に陰を落とした。
「相手がお婆さま一人だけならば、私一人が協力するだけで対処できるのですが、厄介なことに、お婆さまが交わった魔性、両者の間に生まれた半人半魔、その三者を相手にしなければならないのです」
「つまり?」
佐佑は結論を引き出すための一言を発する。
「私たちに協力してください」
佐佑は押し黙ったまま考えていた。
リンダとソフィア、二人の言い分のどちらが真実なのかを。
リンダは、ソフィアと行動を共にしている妖精は、禁忌を犯してこちらの世界に来ていると主張し、“禁忌を犯した罰”を与えると言った。
ソフィアは、妖精がこちらの世界に来ているのは、リンダに“禁忌を犯した罰”を与えるためだ、と主張している。
どちらの言い分にも証拠はないが、話の筋は通っている。
選択肢は三つ。
リンダに協力する。
ソフィアに協力する。
どちらにも協力しない。
「目を背けてきた事実……か」
佐佑の頭の中では、リンダが最後に言った言葉が繰り返されていた。
その繰り返しの中で、会ってしまえば避けられないとリンダが言っていたのは何だったかを思い起こそうとして、即座に止めた。
そうして佐佑は、最後の質問を投げる決意を固める。
流れの中で言及されることを期待していたが、成り行き任せのままでは越えられない場面であることを認めざるを得なかったのだ。
「なぜ俺なのだ?」
ソフィアは悲しげに微笑むと、ゆっくりと口を開いた。
「あなたが“the Witch”(魔と交わりし者)だからです」
「……と、いうことです」
室長室で佐佑がその部屋の主に事の顛末を報告し終えたところだ。
「そりゃ災難だったね。五課には抗議文を送っておくから」
珍しくチェス盤と睨み合っていなかった室長は、佐佑の報告に対してそう答えた。それを受けて、佐佑の口元がぴくりと動き、更にそれを受けた室長の口元がぴくりと動いた。
この二人のやりとりを言葉で表すとこうなる。
「そんな抗議文なんか誰も読みやしないでしょうに」
「だからいいんじゃないか」
チェスに誘われる前に退室した佐佑は、ソフィアを待たせていた応接室に向かった。
まがりなりにも一級のエージェントである佐佑は、本部ビルに個室が与えられている。しかし、何度取り除いてもその度に無数の盗聴器が設置されてしまうため、佐佑がそこを利用することは滅多にない。気楽に屁もできない、という佐佑の不満は、恋人であるクローディアにさえも同意を得られなかった。
そんな理由から、佐佑は任務のない日中を応接室か地下のトレーニングルームのどちらかで過ごす。そのどちらにもいなければ、室長室でチェスの相手をさせられているか、ゼネッティ将軍がいる軍の施設に呼び出されているかのどちらかになる。
佐佑が応接室の扉を開けると、室内から緊張した空気が流れてきた。
何事かと室内を見渡した佐佑は、ソフィアと対峙するシェリルの姿を認めて苦笑を漏らした。
その状況を、言葉を変えて説明するならば、猛獣が獲物に襲い掛からんとして隙を窺っているのだが、狙っている獲物が自分よりも遥かに強いことを察した本能が警鐘を鳴らしているため、諦めることもできずに身動きが取れなくなっている。そんな状態だ。
「シェリル」
佐佑は、目を血走らせ、はぁはぁ、と熱い吐息を漏らすシェリルの肩を叩く。
「ハッ!?」
「ここで何をしている」
「何って、こんな可愛い子を放っておく手はないわ」
「そんな趣味があったのか」
「私はただお客様を放っておくわけにはいかな……」
「大事な話があるから邪魔しないでくれ」
佐佑はシェリルの肩を押して、強引に部屋から追い出した。
「悪意はないんだ。赦してやってくれ」
「ロンドンが嫌いになりそうよ」
ため息を吐くように呟いたソフィアに、佐佑は苦笑いを投げる。
「好意しかないのに?」
「だから嫌なのよ」
佐佑は両眉を攣り上げて、それもそうか、という仕草をとった。
それから一呼吸ほどの間を置いて、ソフィアが口を開いた。
「ここにお婆さまが来たのね」
佐佑は沈黙を以って肯定の意を伝える。
「お婆さまはどんな話をしたの?」
「それを先に伝えるのは公平性に欠ける」
ソフィアから表情が消え、代わりに何人をも近寄らせぬ波動が広がった。
「そう……すべてを自分で決めるというのね。自分が選択した責任を、誰かに押し付けてしまわないため、誰かに背負わせてしまわないため。優しさなのか弱さなのか、強さなのか逃避なのか。それは誰にも分からない。勿論、あなた自身にもね」
佐佑は無反応のまま次の言葉を待った。
「我が祖母リンダ・クロウは、“the Witch”の名が示す通り“魔と交わりし者”なのです」
「そう……だろうな。でなければ、あの力は説明が付かない」
佐佑は感情を押さえ込んだ声で呟き、それを聞いたソフィアは僅かな微笑みを見せた。
“the Witch”リンダ・クロウは、魔と交わった。比喩などではない。肉体的繋がりを持つことでその力を強大なものとしたリンダ・クロウは、名実共に“the Witch”となった。
彼女が魔性との共存を唱えていた理由はここにある。
住む世界を異とする両者の交わりは禁止されている。理由は幾つかあるが、その最たるものは、両者の交わりによって生まれる半人半魔の存在が、どちらの世界においても平穏に暮らせないという事実だ。
半人半魔として生まれた存在は、どちらの世界においても周囲に悪影響を与えてしまうのだ。
両者が交わりを持った場合、行為の終了と同時に確実に受胎し、受胎した瞬間に母体から離れ、誰の手も借りずに誕生し、成長する。
両者の交わりは、受胎することが行為の完了を意味するため、必ず半人半魔の存在が誕生してしまうというわけだ。
「だが、話が見えないな」
粛粛と語リ続けるソフィアに対し、佐佑は異議を口にする。
「身の上話を聞かせるために俺を探していたわけではないだろう」
そうです、とソフィアは冷静に返した。
「回りくどいのはキライなんだ」
「そうでしたね」
ソフィアに表情が戻り、緊迫していた空気が軽くなる。
「私は今、妖精と行動を共にしています」
佐佑は返事をせず、そのまま続けるように促した。
「その目的は、禁忌を犯した我が祖母リンダを罰するためです。ご存知のように、お婆さまの力は強大であるため、私に協力を求めたのです」
「なるほど、その事情は分かった」
ソフィアは一度だけ満足気に頷くと、一転して表情に陰を落とした。
「相手がお婆さま一人だけならば、私一人が協力するだけで対処できるのですが、厄介なことに、お婆さまが交わった魔性、両者の間に生まれた半人半魔、その三者を相手にしなければならないのです」
「つまり?」
佐佑は結論を引き出すための一言を発する。
「私たちに協力してください」
佐佑は押し黙ったまま考えていた。
リンダとソフィア、二人の言い分のどちらが真実なのかを。
リンダは、ソフィアと行動を共にしている妖精は、禁忌を犯してこちらの世界に来ていると主張し、“禁忌を犯した罰”を与えると言った。
ソフィアは、妖精がこちらの世界に来ているのは、リンダに“禁忌を犯した罰”を与えるためだ、と主張している。
どちらの言い分にも証拠はないが、話の筋は通っている。
選択肢は三つ。
リンダに協力する。
ソフィアに協力する。
どちらにも協力しない。
「目を背けてきた事実……か」
佐佑の頭の中では、リンダが最後に言った言葉が繰り返されていた。
その繰り返しの中で、会ってしまえば避けられないとリンダが言っていたのは何だったかを思い起こそうとして、即座に止めた。
そうして佐佑は、最後の質問を投げる決意を固める。
流れの中で言及されることを期待していたが、成り行き任せのままでは越えられない場面であることを認めざるを得なかったのだ。
「なぜ俺なのだ?」
ソフィアは悲しげに微笑むと、ゆっくりと口を開いた。
「あなたが“the Witch”(魔と交わりし者)だからです」
作品名:剣(つるぎ)の名を持つ男 -拝み屋 葵【外伝】- 作家名:村崎右近