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剣(つるぎ)の名を持つ男 -拝み屋 葵【外伝】-

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 *  *  *

 佐佑は、英国内に存在する複数の国家機関によって監視されている身だが、それは各機関の正式な任務としてではなく、度の過ぎた愛国心や、東洋人に対する偏見、軽蔑などの理由による、個人的感情が多くの比重を占める非正式なものだ。尾行を撒いたり監視者を眠らせたりと、好き放題にやっている佐佑がその責任を追及されていないのはそのためだ。
 佐佑に対する責任の追及は、見下している相手に後れを取ってしまった、という恥を晒すことになる。自尊心のために粗を探ろうとして、反対に足を掬われるという結果になっているのだ。
 彼らが優秀であったなら、佐佑はとっくに“母国に更迭”されていたかもしれないが、このような茶番に参加している時点で大した人物ではなかったということだ。

 熱を失い、暗白色に染まった世界で、数名の男たちが愕然と立ち尽していた。半開きになったままの口からは、言葉にならない声が漏れ出ている。
 二人を遠巻きに取り囲んで監視していた男たちを除き、中庭を行き交う見物客も、オープンカフェで寛いでいた人々も、それらのすべてが塵となって散っていた。
 雑踏も談笑する声も消えた無音の世界に、ただ一つ少女の声が響き渡る。
「ちょっと感心しちゃった」
 仄かな笑みを浮かべたソフィアは、正面に座る佐佑に感嘆の声を送った。
 肉体と精神の狭間の世界。大英博物館の正面入口で、ソフィアが佐佑を引き込んだ世界と全く同じものだ。異なるのは、対象が複数であることと、その所在が不明であったことだ。その場合は、ソフィアが行ったものよりも数段高度な業となる。
「あとで説明してやる」
 佐佑は得意気に口の端を攣り上げ、パフェの容器を掴んで腰を浮かした。
「反射を利用したんだ、なるほどね」
 ほぼ同時に、ソフィアが会得の声を上げる。
「おいおい」
 佐佑は立ち上がる動作を止めて苦笑いを浮かべた。
「注意を払って監視している相手となら、容器で反射させた視線で目を合わせることも可能よね。特に全員を引き込む必要はないわけだし。どう? 正解でしょ?」
 ソフィアは満足そうに笑いながら鼻息を荒くする。
 その様相から彼女の本性を垣間見てしまった佐佑は、それが歳相応な女の子のものであったことに、密かに安堵していた。
「ま、そういうことだ」
 ソフィアから視線を外した佐佑は、一番近くにいる男に身体を向け、まるで公園でも散歩しているかのような軽い足取りで歩き始めた。
「名は必要ない。所属だけ言え」
 佐佑の口から発せられたのは、質問でも命令でもなく強要だ。如何に訓練を受けた人間であっても、常識では考えられない状況に放り込まれては拒否も無視も不可能となる。加えて言えば、彼らは優秀ではないのだ。
「五課の者だ」
 五課とは、イギリス情報局保安部、軍情報部第五課のことだ。
「保安部だと? Kブランチか?」
 Kブランチとは、対スパイ部門の名称だ。
 東西冷戦の終結宣言がなされる前年である一九八八年当時、軍情報部第五課は共産圏の監視を行っていた。
 早い話が、佐佑もソフィアも要注意人物として軍情報部に監視されていたのだ。勿論、それは濡れ衣であるし、言いがかりである。
「十二歳の女の子がスパイなわけねぇだろ」
 佐佑は五課の諜報員に呆れ返った言葉と共に苦笑いを送ると、パフェの容器からスプーン一杯分のアイスクリームを掘り出して、そのまま地面に落とした。
 着地と同時に、アイスクリームの中に散りばめられた黒い斑点が一斉に発芽し、暗白色の芽を伸ばす。
 黒い斑点はバニラビーンズで、バニラはラン科の蔓性植物だ。
 その蔓は濁流の如き勢いで伸び、五課の諜報員を一人残らず捕縛する。
 蔓の先端が鼻の穴から侵入し、鼻腔を通って内部から口を開けさせる。
「悪趣味」
 ソフィアはぼそりと呟き、佐佑はそれを聞かなかったことにした。
 続いて、抉じ開けた五課の諜報員たちの口内に、乾燥させたグラジオラスの球根を押し込む。球根といっても、それは欠片であって、一センチ角にも満たない程度の大きさだ。
 “忘却”の花言葉を持つグラジオラスを使うことで、佐佑は自分だけでなく他人の記憶をも消し去ることができる。

 秘術は謎であるからこそ秘術。知れ渡り、研究され、対策を立てられては、秘術は秘術ではなくなる。それ故の“必殺”。
 それを受け入れられなかった佐佑は、すべてを差し置いて秘術を守る方法を探し、辿り着いた答えが記憶操作。記憶の完全なる消去だ。
 例えば逆行催眠などの手法による過去への邂逅を行っても、消去された記憶を取り戻す、あるいは引き出すことはできない。それは過去の改ざんにも等しく、本人は経験していないことになるのだ。
 秘術を守るための必殺を回避する目的で手に入れた記憶消去の術は、結果として自身の手の内を秘匿し身を守る最大の武器“謎”を生み出した。
 世の誰もが佐佑の手の内を知らない。
 知られているのは、剣(つるぎ)を使うということだけ。
 そうして佐佑は“必勝”の二文字を背負うことになった。

「手伝う必要なんてなかったじゃない」
 テーブルへと戻ってきた佐佑を、ソフィアは微笑んで迎え入れた。
「私も見ちゃったけど?」
「そうだな、口止め料でも払うさ」
「いいわ。黙っておいてあげる」
 佐佑が腰を下ろすのと同時に色が戻り、静寂に包まれていた世界が熱を取り戻す。
「少し待っていてもらえるかな?」
 腰を下ろすや否や、佐佑は即座に立ち上がった。
「どちらへ?」
「本業の化け物退治をしなければならん」
「この監視の中に留まるのは、あまりいい気はしないのですが」
「彼らのことは放っておいていい。どうせ何もできやしない」
「高く付きますわよ?」
「せいぜい覚悟しておくさ」
「それらしい気配なら、日本ブースで感じました。衆人の中では戦えないので一時撤退したのですが――」
 佐佑は、はぁ、とため息を吐いて再び腰を下ろした。
「どうしたのです?」
 ソフィアはきょとんとした顔で首を傾げる。その仕草は、可愛らしい十二歳の少女のものだ。
「俺の用件は済んだ」
「あら、そうなのですか?」
「どうやら、な」
「私の用件に移る前に、場所を変えたいところですね」
「それなら、CMU本部まで彼らに送ってもらうことにしよう」
 佐佑は、にっと白い歯を見せて笑うと、紅茶のカップを手に取って、それを口へと運んだ。

「保安部だ。一緒に来てもらおうか」