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剣(つるぎ)の名を持つ男 -拝み屋 葵【外伝】-

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 *  *  *

 大英博物館の正面玄関はギリシャ様式で建造されている。それは爽快な地中海の空の下で映えるものであって、陰鬱な霧に包まれた情景においては、美しさよりも不気味さを感じてしまう。
 霧に浮かぶその姿を、地中海ではお目に掛かれないもの、として評価するかどうかは、見た者の心持ち次第だ。

「ではタキタ。そいつを確認した場所に案内してくれ」
 佐佑はタキタの返事を待たずに歩み始める。
「ボスは、とりあえず正体だけは突き止めて欲しいってよ」
「分かっている」
 そこで歩みを止めた佐佑は、頭だけを振り返らせて続けた。
「ちゃんと生け捕りにする。いつも通りさ」
「さっきも言ったが、あんた以上の化け物だぞ、いけるか?」
「俺との比較は意味を成さない。戦う相手は俺じゃない」
 佐佑は歩みを再開する。その足取りは、これ以上は待ち切れない、という冷静な口調とは裏腹な心情を、如実に表していた。
「頼りにしてるぜ、“Gladius”(グラディウス)」
 タキタは佐佑の背中を追い掛けようとして、一歩踏み出した。
 ――その刹那。
「グラディウス?」
 響く少女の声。
「誰だ!?」
 タキタは、声の主が常人ではないことを一瞬で把握していた。いや、把握させられたのだ。これでもか、と言うほどの存在感は、疑問を持つ隙を与えない。
 異常を感知した佐佑は、すぐさま周囲を探るために気を飛ばした。奇しくもその行為が、“Gladius”が誰であるかを示すことになった。
「見つけた“Gladius”」
「逃げろタキタ!」
 いち早く危機を察した佐佑は、タキタに退避するよう促す。勧告や警告といったものではなく、命を落とすぞ、という宣告だ。
 だが、時既に遅し。
 霧に包まれて薄暗かった博物館正面玄関は、その色を更に薄め、灰色に、そして石膏のような白へと熱を失っていった。
 完全に色を失い彫刻のように固まったタキタは、砂時計の落ちる砂のように音もなく崩れ去った。
「俺を探しているということは、ソフィア・クロウか」
 崩れ行く見知った顔を目の前にしながらも、佐佑は至って冷静だった。厳密に言うならば、多少の驚きはあったかもしれない。
 人間が塵になるという現象を目にしても無感動と言えば、冷血な人間であるように思えるが、実際には誰も塵になどなっていないのだから、そういった評価を与えることは間違いだ。
 佐佑が驚きを感じているのは、一切抵抗する間もなく引き摺り込まれたことに対してだった。
 柱の影に身を潜めていたソフィア・クロウは、タキタが発した“Gladius”という単語と、その後に佐佑が発した気配によって、“Gladius”である確信を持った。そして、誰にも邪魔されないように、佐佑を異界空間に引き摺り込んだのだ。尤も、ソフィア本人に言わせれば“ご招待”ということになる。
 術者であるソフィアには、悪意が一切なかった。そのため、佐佑の感知が遅れ抵抗する時間がなかったのだ。
「お会いするのは初めてと認識しておりましたけれど?」
 ふわりと広がったソフィアのナチュラルブロンドは、重力を無視して広がったまま仄かに光を発していた。背景に広がる暗白色が、その輝きを強調する。
「世界中の美人は、一人も漏らさず調べてある」
「あなたも“そういう趣味”をお持ちで?」
 ソフィアは遠慮のない侮蔑を佐佑に投げつける。
「数年もすれば、立派な淑女になる」
 まだ子供だ、と佐佑はやり返した。
「子供相手に大人気ないですね」
「問答無用ってのは好きじゃない」
「一般の方には聞かれたくないお話ですから。勿論、専門の方にも」
「にしても、だ。やりようってもんがある」
「回りくどいのはキライなんです」
「それは同感だ」
 それぞれが持つ、茶と青の瞳が交錯する。
「話を聞いて頂けますか?」
「この状況でそれを訊くか?」
「ご自身が置かれた状況は把握できているみたいですね」
「そうだな。中年好きの美少女に強引な逆ナンパを受けている」
「失礼な方ですね」
「俺たちの間に上下関係は存在しない。つまり平等だ。同等として接するのは初対面の相手へ最大の敬意だと思うが? それとも、年上というクソ食らえな理由を掲げてふんぞり返った方がいいかな?」
「嫌な大人」
 ソフィアの表情が僅かに強張る。
 それまで淡々と続いていた会話に感情が宿り、空気に緊張が走った。
「半端に知恵を付けた子供ってのは、下手な大人より性質が悪いもんだ」
 佐佑は口の端を攣り上げて笑う。
「半端な知恵かどうか、お試しになります?」
「俺はそんなに偉くはないぞ」
 目に力を宿したソフィアの視線を、佐佑はするりとかわす。
 ソフィアの表情は、更なる強張りを見せる。
「ここは肉体と精神の狭間の世界。私が創り上げた世界。私がルール。ここにいる限り、あなたは私が敷いたルールを拒むことはできない」
「ルールとは?」
「私が発した力以外は、すべてが無効化されるのよ」
「そりゃまた困ったな」
 ソフィアは一転して笑顔を見せる。ただしそれは、子供が見せる無邪気な笑みなどではない。
「知恵比べをしましょう。ここから脱出できたらあなたの勝ち。諦めたらあなたの負け。時間の制限はないわ。目を覚ます寸前に見る夢のようなものだから、納得できるまでチャレンジしてもらって構わないわ」
「結界破りは禁止なのかな?」
「やってみたら?」
 では遠慮なく、と懐から札を取り出した佐佑は、直後に色を失い風化してゆく札を無言で見送った。
「力押しは駄目ってことか。こりゃ参ったね」
「謝ったら赦してあげなくもないわ」
 佐佑は、一体どこで機嫌を損ねてしまったのか、と首を捻らせながら、同時に、相手が目的を見失っていることを教えてやるべきかどうかについても思案した。
「考え事をするとき、物を噛む癖があるんだが、構わないかな?」
 どうせ考えても無駄よ、とソフィアは鼻で笑った。
 それを受けた佐佑は、懐からチューイングガムのような板状のものを一つ取り出して、ソフィアに見せつけるように掲げた。
「これは、植物の球根を薄切りにして、天日で乾燥させたものだ。噛むほどに味が出る」
 ソフィアの余裕は崩れない。
「どうぞ。せいぜい足掻いてみせて」
 ソフィアが許可を出すのを待って、佐佑はおもむろに口へと運んだ。
 そして、高らかに宣言する。
「俺の、勝ちだ」
 ソフィアは、佐佑が発したその言葉が決して偽りでないことを悟る。
 そうして、遅まきながらも抵抗を試みたが、ソフィア自身、奪われた主導権を取り返すことは叶わぬ願いであることを十二分に把握してした。
「私以外は何の力も使えないのよ!」
 悔しさを滲ませて叫ぶソフィアに、それは嘘だ、と佐佑は断じた。
 大英博物館の正面玄関前であった風景は音もなく崩れ去り、すぐさま別の景観が組上げられ始める。それはソフィアが知るはずのない、日本の神社の境内だった。
「これは安部晴明神社だ。と言っても、安部晴明の名を冠した神社は一つじゃないんだが――」
「どうして……」
 呆然とするソフィアには、嬉嬉として解説する佐佑の声は届いていない。
「仕方がない、説明しよう」
 佐佑は右手の人差し指をビシリと立てた。