プリズンマンション
組から与えられたアパートに住んでいた穴生徳は、一旦身の回りの荷物を取りに戻り、丹波屋と待ち合わせて一緒に町を逃げ出す手筈で別れた。
「あいつ、なにしてるんや」
辺りをキョロキョロ気にしながら丹波屋は穴生徳を待った。しかし、約束の時間が過ぎても穴生徳はやって来ない。何かあったのか、途中て逃げ出すのがバレたのかと頭の中をグルグルと心配が駆け巡った。
このままいつまでもここで待っていたら、いつ顔見知りに会うかも知れない。丹波屋は先に町を出る事にした。心の中で(徳、ごめん)と謝って電車に飛び乗った。
「徳、こんなとこでどないしてるんや」
穴生徳は不意に後ろから呼ばれた。恐る恐る振り替えると鉄砲玉を命令した兄貴が立っていた。穴生徳は足が震えて一歩も動けなかった。
「でっ、伝の奴が逃げた。兄貴、伝が逃げた」
「何だと、逃げただと」
「伝が逃げた、伝が逃げた」
咄嗟に思いもよらぬ言葉が自分の口から飛び出した。それしか怖くて言えなかった。
「分かった分かった、いいから一緒にこい」
穴生徳は兄貴に腕を掴まれて組事務所に連れていかれた。
「お前も逃げるつもりやったんやろ」
穴生徳は思いっきり何度も殴られた。
「どこに逃げる手筈だったんや。言わんかい、われ」
また殴られた。いくら殴られても言うかと歯を食いしばった。
不思議だったがこれで一人ライバルが減ったと思った。殴られながら穴生徳が笑った。
「なんやこいつ笑いおった、きしょくわる」
また殴られた。
「どないしたんや」
奥の部屋のドアが開き、ひとりの組員が出てきた。組幹部の黒駒勝男だった。
「喧しくてすんません。こいつ何でもやりますって、いつも言ってるさかい冗談で○○組の玉取ってこいって言ったんですわ。そしたら仲間が一人逃げたんですわ」
「そりゃ、こんなにーちゃんにそんな事いったら逃げ出すわ」
「しめしがつかんさかい、こいつ締め上げてますねん」
そう言って穴生徳を殴ろうとした。
「止めとき。チンピラ一人ほっとけや」
「兄貴、そんな事」
「しばかれるの承知で、このにーちゃんは戻って来たんや、誉めてやりーな」
穴生徳はやっと解放された。
「にーちゃん、えー根性しとるわ。こっち入り」
穴生徳は黒駒勝男に言われ奥の部屋に入った。
誤解と偶然が二人の関係を変えた。
丹波屋は生まれ育った町を出て小さなこの町で電車を降りた。遠くに逃げる度胸は無かった。
丹波屋にはやはりチンピラしか出来なかった。やる事は以前と変わらない、また使い走りからのスタートだった。
一方、幹部の黒駒勝男に目を掛けてもらった穴生徳は、死に物狂いで言われたことはどんな事でもやった
穴生徳のいる組は、勢力拡大路線を進めて周辺の町で抗争を繰り返していた。
やがて丹波屋のいる田舎町にやって来た。大きな組の攻め込まれれば、田舎町の組などひとたまりもなく飲み込まれいった。
その戦争の中に、あの穴生徳も勿論いた。当然、地元の組員として侵略に抵抗する中に丹波屋はいた。二人とも使い捨ての兵隊として最前線でぶつかりもした。
個人的に連絡をとる手段もなく、こんがらがった誤解の糸をときほど事も出来ず二人は抗争の渦の中にいた。
やがて田舎の組は呑み込まれ、丹波屋はその町からも逃げ出した。
しかし、しばらくすると流れ着いたその町にも抗争は押し寄せて来た。
丹波屋は思い切って穴生徳が捨てた東京に行く事にした。
遠く離れた土地を目指して、丹波屋は独り夜行列車に飛び乗った。
「当マンション理事長の神戸です。それでは新規入居希望者の審査を始めます」
「こりゃご丁寧に、おおきに」
「穴生徳さんの入居希望ですが、先有者の権利優先が当マンションの原則になってますので・・・」
神戸は先日の組合総会で規約に加えた項目を持ち出した。
「すんまへん理事長はん。わては部屋を買うだけですわ」
突然、穴生徳が神戸の言葉を遮った。
「それはどう言う事ですか穴生徳さん」
「入居するのんは、わいとちゃと言う事でおますがな」
穴生徳はこれで決めると自信ありげに薄笑いを浮かべた。
「それでは誰なんですか入居希望者は?」
手は打って来ると予想していた。穴生徳はどんな作戦を用意したか丹波屋も注目した。
「この飯岡や、おまはんもちゃんと挨拶しなはれ」
「よろしく、皆さん」
やっと出番かと得意気に飯岡が椅子から立ち上がった。
「これで決まりやな、理事長はん」
穴生徳はこれで落としたと、神戸の次の言葉を待った。
「ちょっと待ってください。飯岡さんは穴生徳さんの組の組員ですよね、ならば穴生徳さんと同じ事になります。ですから飯岡さんの入居は・・・」
神戸のその回答に待ってましたそうこなくっちゃねとニヤリと笑って神戸の言葉を遮って喋りだした。
「おっと、わいが言ってるのはそんな事やない。うちの飯岡はこの入居審査がいらんてこっちゃ」
「審査がいらないとはどう言う事ですか」
「それはやな、この審査会は新規入居者を対象にしたもんやろ」
「そうですが」
「なら、うちの飯岡は以前にこのマンションに住んどった。ならば新規入居者とちゃう、だから審査がいらんってこっちゃ。ねー理事長はんわいの言ってる事間違とりまっか」
穴生徳はどうだと言わんばかりに勝ち誇った顔で、神戸ではなく神戸の横に座っている丹波屋伝三を見た。
「・・・っ」
神戸は予想していなかった展開に反論出来ず言葉に詰まった。
「ちょっと待ったれや、徳」
丹波屋がやっと口を開いた。
「なんじゃい、わいの言ってる事に何か文句があるちゅうのかい、伝」
「そちらはん、飯岡はんて言いましたかいな。そんなお方はこのマンションにいましたかいな」
「なにごちゃごちゃと訳の分からんことぬかしとんゃ」
「このマンションに入居する時には入居届を出し、退去する時には退去届を出す事になってます。それが、飯岡はんはどっちも出しておまへんねん。そやな管理員さん」
審査会に丹波屋が管理員を出席させた訳がやっと分かった。
マンション入居の際の入居届、出ていく時の退去届を住人に提出してもらい管理室で保管する決まりになっていた。
「はい、そうです何も提出されていません」
「そう言うこっちゃ。引越し蕎麦も貰ってないし、コソコソ夜逃げして出てったお方は正式な居住者だったとは認められへんてこっちゃ」
「・・・」
丹波屋の言葉に、穴生徳はしばらく黙っていた。
「今日は、わいの負けやな」
「すまんこっちな、わざわざ東京まで来てもろーたのに、お茶の一杯も出さずじまいで」
「負けは負けや、けど冬の陣は終わったけど、まだ夏の陣が残ってるかも知れへんで」
「そりゃ楽しみや、その時まで待ってるさかいおまはんも次まで頑張りや」
「おおきに、あんたさんもそれまでお元気で」
「それではみなさん。お邪魔さんでしたな」
穴生徳はゆっくりと立ち上がった。
「それにしても、太閤さんの大阪城とはアベコベじや。ここは東京やで」
「ええんゃ、太閤さんの敵討ちじや」
「そんなあほな、おまはん東京者やろ」
「わいは、道頓堀(とんぼり)の虎と言われた男や、大阪者じゃい」
「さよか」